初級翻訳・塩原多助一代記 第3話

塩原多助一代記

もしや貴方様にお目にかかれることもあるかもしれないと、神仏を信じていた甲斐あって、こうしてお会いすることができました」
右内が涙を拭っていると、
塩原「連れもいるようだが、今晩はわしの家へ泊まってはくれまいか」
右内「はい、泊まらせていただくのはありがたいのですが、商売仲間の連れがおりますので、あの男を先へ帰しましょう」
そう話していると、傳吉が言いました。
「おい、宇之助さん、宇之助さん! おや、あの女にへいへいとお辞儀をしているよ。弁当の残りでももらう気じゃないのか? 宇之助さん、どうするんだい?」
右内は傳吉に向かって言いました。
「私は今少し訳のある方に会ったので、今晩は泊まらなければなりません。あなたは明日、沼田の大竹屋という宿屋へお泊まりなさい。事によると二日くらい遅れるかもしれませんが」
傳吉「左様かい。それじゃあ先に行っているよ。お前さんが三日くらいかかっても待っているからな。それじゃあ磯之丞さん、先へ行こう」
そう言って別れ、案内人と二人は連れ立って去っていきました。
こちらは三人で、女房が薬缶を提げ、右内が脇に付き添い、少しずつ山道を小川村へと二里ほど下りていきました。そこから横に四、五町ほど入ってみると、屋根には板の上に石を載せて嵐を防ぐ、見る影もない山住まいがありました。中へ入ると大きな囲炉裏が切ってあり、竹の自在鉤に煤けた薬缶が掛かっています。
留守番をしていたのは多助という、八歳になる角右衛門の一人息子です。この子が後に「塩原多助」と名乗り、天下にその名を轟かせる人物となるわけですが、生まれつき他の子供とは違い、おとなしく座っていました。
右内は、どれほど運が悪かったとはいえ、八百石取りの身分であった人が、人も通わぬ山中のこのような茅屋に住んでいるのかと思うと、あまりにも不憫で、気の毒そうに(家の中へ)上がってきました。右内は「本当に、思いがけずお目にかかることができました」と言いました。
お清が「右内、お前が屋敷を出ていく前に生まれた多助という息子が、この子だよ」と紹介しました。
右内は「ええ、あのお坊ちゃまでございますか。お父様に実によく似ていらっしゃいます。私は右内でございますが、あなたは私のことをご存じないでしょうね」と話しかけました。
多助は「なんだか知らねえやい」と答えました。
右内は「どうも、すっかり田舎の言葉になってしまわれましたね」と言って、涙を拭いました。
そして「なるほど、猟師の家のようですね」と周囲を見渡しました。
塩原角右衛門は「まあ、とにかく一杯飲んでくれ」と言いました。
奥様のお清が支度を始めると、前川で捕れたヤマメやイワナが並べられ、その頃会津あたりから入ってきていた、味醂のような真っ赤な酒が出されました。
塩原は「さあ、これは奥州から取り寄せた石首魚(イシモチ)の干物だ。一つ食べてみてくれ」と勧めました。
右内は「へえ、奥様にお酌をしていただくなんて、恐れ入ります。私が家出をしましたのは、八月の朔日(ついたち)でございました。その年の三月の節句のあと、お客様が帰られた跡で、奥様にお白酒を頂戴したことなどを、妻のおかめと噂しておりました。家出をいたしましたのも、おかめが懐妊いたしましたゆえでございます。今では七歳になりまして、名を『おえい』と申します」と話しました。
お清は「おお、そうかい。お前に似てもおかめに似ても可愛い子だろうが、会うこともできないなんてねえ」と嘆きました。
右内は「それでもあの子は裏長屋の暮らしに慣れて、今ではすっかり馴染んでおります。働けない私ですので不自由ばかりさせておりますが……へえ、これは変わったお酒ですね」と言いました。
清は「お前は飲んだことがないだろう?」と尋ねました。
右内は「へえ、甘いような酸っぱいような、変な味ですね。へえ、これが会津から来るものですか」と答えました。
塩原は「右内、お前の親父の右平は、屋敷に永年奉公をしてくれていたし、その息子の其方も屋敷に勤めていた。家来とは言っても、もはや家来ではない。とりわけ私の妹を妻にしているのだから、弟と同じようなものだ」と語りました。
お清が続けました。「旦那様は訳あって浪人暮らしをされているけれど、頑固な性分だから『二君に仕えず』と言っておいでです。でも、この息子(多助)だけはどうしても世に出したいと願っています。私の甥にあたる戸田様の家来で、野澤源作という者が宇都宮の藩にいるので、そこへ頼もうと思って度々手紙を送りました。すると『重役に相談して世話をするから、一度話をしたいので出てきてくれ』と返事をもらったのですが、その後の山水(洪水)で田んぼも家財道具も衣類もすべて流されてしまい、今ではどうすることもできません。今、お金が五十両あれば、江戸のお屋敷へ住み込むことができるのです。ですから、ここで私からのお願いですが、おかめと二人で何とか工面して、送ってはくれないでしょうか」
右内は「へえ、なんとかいたしましょう」と答えました。
しかし塩原は「馬鹿を言うな。旅商人の右内に五十両もの大金ができるはずはないだろう」とたしなめました。
お清は「そうは言っても旦那様、この子に頼るより他に道はないのです。それに右内は家出をする時、家のお金を二十両持って逃げているのですから」と言いました。
右内は「ええ、誠に恐れ入ります。今すぐにはお金を用意できませんが、来年の三月まで待っていただければ、どうにかいたしましょう」と約束しました。
お清は「来年の三月では遅すぎるじゃないか。どうしても今年のうちにと言っても、雪が深くて来られないかもしれないが、何とか今年のうちに送っておくれ」と強く頼みました。
右内は「何とぞ、なんとかいたしましょう。なに、どうしてもなければ、おかめを勤め奉公に出してでも……いえ、これは奥様の前で失礼いたしました。とにかく、なんとかいたします」と答えました。
口ではそう言ったものの、今の右内の身の上では五十両もの大金を工面できる道理はありません。しかし、何とかしてやりたいと悩みながら、その晩は眠りにつきました。翌日、出立しようとすると「まあ、そう言わずに」と引き止められ、昼過ぎになってようやく振り切るようにして旅立ちました。塩原一家は親子三人で、須賀川の堤まで見送りに来ました。「それでは、ご機嫌よう」
そう言って右内は去っていきました。こちらからも見送ります。右内は何度も振り返りながら、五十両もの金などどう考えても工面できるはずがないが、神仏の加護を願ってなんとか知恵を絞らねばと悩みつつ、ぼんやりと大原村という場所までやってきました。すっかり疲れ果てていたので、茶店に腰を下ろして休んでいると、そこへ一人の百姓が入ってきました。年齢は四十四、五歳ほど。木綿の綿入れに羽織を重ね着し、千草色の股引に、お納戸色の足袋とわらじを履いています。

客「本当に、久しぶりですね」
婆「おや、角右衛門さん、さあさあ、上がってくださいな」
角「ちょっと顔を出そうと思いつつ、秋口になると用事が多くてなかなか来られなくてね。まあ、あんたも達者で何よりだ」
婆「先日は本当にありがとうございました。あんたのところへ娘を遣ったら、お芝居を見せてくださるとおっしゃって。

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