初級翻訳・学問ある蛙の話 第2話

学問ある蛙の話

つまり、日本語の世界では「水」がふつうの状態だと考えて、そこから「氷」に変わっていく変化のほうに注目して名前をつけたんだね。
それに対してアイヌの場合は、なんと「氷」のほうがふつうの状態だと考えて、それが「とけていく」変化のほうに注目して「とけるもの」と名づけたんだ。結果として同じものを指しているとしても、心の中のものの見方はまさに正反対というわけさ。
しかも、そんなふうに考える心は、おそらく北の寒い場所で、氷をとかして水として使っていた厳しい寒さの土地にずっと住み続けてきた民族でなければ生まれないものだと言えるだろう。だからこそ、これをアイヌの人たちが昔はもっと南からやってきたという説(傍証南下説)を証明する一つの材料にすることもできるんだよ。

アイヌの研究をするうえで最も大切なことの一つは、こうした種類の言葉(語彙)を見つけ出して、正しくその意味を解釈することではないかと私は思う。それなのに、バチェラー博士の辞書では、この「とける」という意味を持つ「ル」という言葉に対して、「凍る」とか「凍氷」といった、まったく正反対の訳がつけられているんだ。
ここでもやっぱり、桃を川の下から流してしまうような、とんちんかなことが起きているというわけさ。

子どものころに聞いた昔話に、こんなお話があった。どこかのカエルが、京都を見物しようと出かけていく。
そして峠の上まで登って立ち上がり、京都の町を眺めてみた。「なんだ、オレのいる町とどこも違わないじゃないか!」と言って、そのまま引き返してしまったというんだ。
自分がものを見ている「視点」がひっくり返っていることに気づかなかったのが、この失敗の原因だった。
だけど、私たちはこのカエルのバカらしさを笑うことはできない。
私たちの世界にも、じつは「学問のあるカエル」みたいに頭でっかちで思い込んでいる人が案外たくさんいるような気がするし、もしかすると自分自身もそのうちの一人かもしれないからなんだよ。

〈『北海道大学新聞』332号 昭和24年7月12日〉

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