初級翻訳・金成マツとユーカラ 第1話

知里 真志保

おばさんとは、もう2年近くも会っていなかった。
なにしろ高齢で、すっかりお年を召していたので、私がテープレコーダーなどを持ってユーカラ(アイヌの叙事詩)の録音に行っても、同じところを何度も繰り返してばかりで、なかなか研究の資料としては使いにくい状態だったのだ。

彼女の頭の中に刻み込まれていたユーカラのすべてが記録できたわけではないし、今となってはそれも永遠にかなわないことになってしまった。けれど、私は私なりに、学問的な損失はそこまで大きくないと思っている。

膨大な量のユーカラを伝えてくれた金成(かなり)マツは、頭脳の衰えから、もう何年も前――そう、無形文化財として表彰されるよりも前から、学問的な重要性は失われていたのだから。

金成マツが伝えてくれたユーカラの量は、決して少ないものではない。
実際に声に出して歌うときは、独特のメロディーや節回しがつくこともあって、ものすごく長い時間がかかる。ふつう、夕ご飯を食べ終わってから囲炉裏(いろり)を囲んで始まり、何度も休憩をはさみながら、次の日の昼を過ぎるまで続けられた――と言えば、そのすごまじいボリュームが想像できるだろう。これほど膨大な物語を、どうやって正確に覚え、伝えることができたのだろうか。

金成マツは、幸か不幸か子どもの頃から足が悪く、生活のほとんどを家の中で過ごさなければならなかった。
彼女の家は裕福で、血筋もよかった。
当時(明治10年)、キリスト教の伝教のために北海道にやってきたバチェラー博士がひらいた「愛隣学校」が、北海道中から優秀な子どもたちを選抜したとき、まっさきに入学できたことからもわかるように、彼女はとても頭のいい女性だったのだ。

祖先に対する強い誇り、一つのことにじっくりと集中しやすい環境、そして当時としてはかなり高いレベルの教育が、彼女を偉大なユーカラ伝承者へと育て上げたのだと私は考えている。

もっとも、ただの「伝承者」としての腕前でいうなら、彼女の母親であり、私にとっては祖母にあたる金成モナシノウクのほうが上だったように思う。それでも、今日(こんにち)の研究にとって、マツが残してくれた影響が大きかったことは間違いない。

そして、彼女の記録をもとにした分類や翻訳、研究が進められている。一昨年から始まった集大成の本も、ようやく第2巻が出版できるところにまでこぎつけたという現状を見てもわかる通り、この研究の道のりは決して簡単なものではないのだ。

現在、金田一(きんだいち)博士を中心に進められている研究に私も参加しているが、金成マツが伝えてくれたユーカラは偉大である一方で、彼女自身の生活範囲が狭かったがゆえに言葉(語彙)が限られており、それが原因で物語の注釈(くわしい解説)が正確につけられないという壁にぶつかるたび、もどかしさを痛感させられる。

つまり彼女は、世間で言われているような「ユーカラ学者」や「研究家」ではなく、あくまでも「貴重な伝承者」として考えるべきなのだ。

肉親を失う悲しみは、とても深い。
たとえ天寿をまっとうしたお別れであっても、それは人間として当然の気持ちだろう。

おばさんのご冥福を心から祈るとともに、私たちが進めているユーカラの集大成を完成させ、それを彼女の霊前に捧げられる日がすぐそこまで来ていることを、強く祈り、期待したいと思う。

(お話し:金成マツの親族・関係者など)
〈『北海タイムス』昭和36年4月8日朝刊より〉

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