廊下を足音が来て停り、障子の向うで「お客さまで、ございます」と女中の云うのが聞えた。
「新町さまと仰しゃいます」
「ああ、とおして呉れ」
平四郎は、筆の尖を唇で揃えながら答えた。
すぐに青山主馬が入って来た。
新町とは彼の仮の名であろう、羽折も袴も、乗馬用のものである。
主馬は爽やかな、緊張した、活気の溢れるような顔つきで、つかつかと入って来て坐った。
「すぐ終るから、ちょっと……」平四郎は色筆を動かしながら、主馬のほうは見もしないで、云った。
「手紙は十日に貰いました、しかし今日こっちへ来たのは、いっしょにでかけるためじゃありません」
「――でかけないって」
平四郎は運筆をやめない、なにかの草の葉を、じつに入念に塗っている。
「これから関所で、ちょっとひと揉みあるんですが、それが済んだら江戸へ戻ります」
平四郎はなにも云わなかった。
彼はいつでも、相手に云うだけのことを云わせる。
合槌を打つこともなければ、せきたてることもなかった。
「それというのが、なにか感づいたのでしょう、土屋侯が代表でいきり立ちましてね、旗本にして十日以上、江戸を離るる者は、老中連署の認証を要す、などという緊急特令を拵えちまったんです、だから今すぐには動けないし、事情によると無届け脱出ということになるかもしれませんが、とにかくそういうわけで」
「どうしてまた、急にそんなことが……」
「口火になる事があったんです、安倍が出奔しましてね」
筆を停めて、その姿勢のまま、平四郎が眼をあげた。
「――安倍が、どうしたって」
「とつぜん出奔したんです、先月の十五六日ごろなんですが、ふいと一つ木の家へ帰って、着替えの物や、金もだいぶ持ったらしいですが、そのまま駒場へは戻らず、どこかへいってしまったというわけです、なんのために、どこへいったんだか、誰にも云わず書置もないんで、しかし金も二百両ちかく持ち出しているし、着替えなんかも持って出たので、まさか自殺の心配はなかろうというんですが」
平四郎は筆を措いて、眼を細くしながら、考えこんだ。
「駒場のほうは……」
「あっちもきちんと片つけてあって、用意のうえの出奔だということは明らかだといいます、私はいきませんでしたがね、その祟りがこっちへきて、かなりまずいことになりました」
幕府の法規では、「旗本」の身分関係について、いろいろ厳しい定めがあり、その一に、特に重要な役目でもない限り、江戸を離れてはならない。
という箇条があった。
もちろん法規の常で、相当ぬけみちもあったろうが、かなりな程度まで、重んじられていたことは、慥からしい。
半之助の出奔は、柳沢系の幹部に、いい口実を与えた。
かれらは、反柳沢派の動きを、かなり綿密に探知していた。
少なくとも、そう思われる根拠は幾つかあった。
主馬は(まだ必要がないので)云わないが、平四郎の出張についても、土屋相模守から、寺社奉行に対して、相当つよい抗議が出たもようである。
――植物分布などは、その地の役人に調査申告を求めればよい、特に出張するほど重要なことでもないし、隣接する外様諸侯に、隠密の疑いをいだかせる危険もある。
こういうことだったという。
「そうかといって、首をすくめているわけにもいかない、というのがですね」主馬は続けた。
「将軍家が御病臥で、柳沢邸で倒れて以来なんですが、どうも御容態が思わしくないらしい、そのためにかれらはひどく焦りだしたんでしょうな、だいぶ人や荷駄を甲府へ送り始めたんです、今日もその荷駄の一つが此処を通るんで、そいつを検査することになってるんですよ」
行列は長持五|棹に、鉄櫃が三棹、馬はからしりを合わせて十五頭。
これだけの荷物に、二十人の侍と小者人足で、一昨日の朝、江戸を立った。
その日は八王子泊り、昨夜は吉野|宿で泊って、今日こっちへ来るというのである。
「荷物は将軍家からの恩賜品という名目で、柳沢美濃守と、土屋相模守はじめ老中連署の証札を立てています、情報によると、中身はたしかに鉄炮らしい、というんですよ、こいつをね、関所で押えて、それにはちょっとした手を使いますが、中を調べたうえ、鉄炮だったらそのまま江戸へ持ってゆこう、というわけです」
関所の役人はしかじか、万一のばあいの手配はかくかく。
主馬が熱心に話しているあいだ、平四郎は正坐したまま、眼を細めて、とぼんとどこかを見まもっていた。
そうして、主馬の話が、終ると、放心したような声で、「可哀そうに、どうしたんだろう、どこへいったんだろう」
こう呟いた。
主馬はどきっとした。もちろん半之助のことを言ったのだろうけれど、そのつぶやきにこもった心にしみるような響きは、ふだんは自分の気持ちをあまり表に出さない平四郎にしては、これまでにはないものだった。
けれどすぐに、彼は主馬のほうを振り向いて、
「その関所の検査っていうのは、ぼくたちも立ち会わなくちゃいけないのかい?」
「できれば来てもらえるとありがたいんですがね」
「そんな必要はないと思うけれど」
こう言いながら、平四郎は出かける準備をするために立ち上がった。
関所は、上野原から江戸のほうへ戻って、関野という宿の手前にある。
そこは武蔵(むさし)と甲斐(かい)のあいだに、ほんの少しだけ相模(さがみ)の国が頭を出しているところで、相模の国の代官が管理していた。
関所が見えるところまでやって来ると、「おや、もう着いているぞ」と主馬が言った。
「裏から入りましょう」
二
二人は関所の建物の裏から入り、わきの廊下を通って、尋問する部屋の横にある、杉戸の出入り口へとままわり込んだ。
当時は関所の備えもとても厳重で、柵や木戸なども太い丸太でしっかりと組み立てられ、いざという時には、十分にひと戦いできるように作られていた。
また、槍(やり)や、十手のような捕縛用の道具のほかに、鉄砲が(関所の格によって数は違うけれど)何丁も並べられていて、これには担当の係員がついており、その中のほんの一丁だけはいつも弾が込められていて、いつでも火縄に火をつけられるようになっていた。
もちろん形だけのことで、どこまで本気で実行されていたかは怪しいものだったけれど。
それから、関所を通るときにいちばん厳しかったのは、みんなもよく知っているとおり、江戸から地方へ出ていく女性と、鉄砲だった。
特に鉄砲については、それが間違いなく鉄砲であることをしっかり示し、幕府の老中(ろうじゅう)たちの直筆の許可証がなければ、どんなに由緒ある親藩(しんはん)の家であっても重く罰せられたのだった。
いまそこでは、さきほどお話しした柳沢家の荷物を積んだ馬の行列が、厳しく調べられていた。
ここは、関所の建物の後ろが小さな丘になっていて、前はすぐ桂川に沿った、崖の上の細い一本道という、守るにはとても都合のいい場所だった。
与力(よりき)という責任者が一人、同心(どうしん)という部下が六人、小者(こもの)という雑用係が十人いるほかに、ものすごい気合いの入った格好で、棒を持った足軽が十人いた。これは主馬が八王子の「千人同心(せんにんどうしん)組」から(もちろん反柳沢派の偉い人たちからこっそり連絡があってのことだけど)連れてきたものだった。
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