「そこもとは一つ木の安倍の縁者だろう、南部坂の昌雲寺で会ったことがあるぞ」
「それがどうした」
「刀をひけ、われわれは安倍の友人だ」
「寄るな」千之助は叫び返した、「安倍には恨みがある、きさまたちのしんしゃくも受けぬ、抜け」
抜け、と叫んだとき、千之助は、とつぜん、横へ跳躍した。
窮鼠の勢い、という感じで、そちらにいた捕方の者は、わっと左右へ崩れたった。
千之助はそれを追うようにみせ、身を翻して、走りだした。
「待て、逃げられはしないぞ」
主馬が喚きながら、捕方の者たちと、追ってゆこうとした。
すると平四郎が、「追うな、危ない」と呼び止めた。
それは正に危うい瞬間だった。平四郎の声で、思わずかれらが踏み停ったとき、逃げてゆく千之助の、足の下が揺れ、彼は奇妙な恰好によろめいた。
そこは池の水際であったが、こちらから見ると、その地面が、まるで水に浮いてでもいるかのように、ぐらぐらと揺れた。
千之助は足を取られ、転倒しそうになったが、巧みに立ちなおって、その揺れる地面を、跳び越え、跳び越え、すばやく池畔をまわって、林のほうへ走っていった。
そのときである。
「ああ、あれを見ろ、あの林の木を」
と捕方の一人が叫んだ。
檜と椹の林が揺れだした。
ざあーときみの悪い音をたてて、梢と梢が触れあい、まるで烈風にでも煽られるように、幹と幹を打ちあわせ、そうして、端のほうから順に、ゆらゆらと揺れ傾きながら、池の中へと倒れ始めた。
みんな息をのみ、眼をみはって立ち竦んだ。
それは恐ろしい、白昼夢のような、出来ごとであった。
僅かに東南の微風があるばかりで、初夏の山は眠っているように静かだった。
空は青く澄みあがって、ひる近い日光が、眩しいほど明るく照っていた。
この穏やかな景色のなかで、林の樹々が、つぎつぎに、大きくゆらめき、身ぶるいをしながら、どうどうと倒れてゆく。
水を打つ音。
枝の折れる響き、高くふきあがる飛沫。
そして、倒れたものから順に、ずるずると、池の中へひき込まれてゆくのである。
根がはねあがり、土くれが飛んだ。
「みんなさがれ」平四郎がそう叫んだ、「もっとうしろへさがれ」
こちらの地面も震動した。
だが、誰も動かなかった。
あまり異常な、まったく経験のない出来ごとの、すさまじさに、平四郎の声も聞えず、身動きもできなかったのである。
「どうしたんです、あれは、どういうわけなんです」
主馬が、唾をのみながら、ふり返って平四郎を見た。
平四郎はゆらりと手を振り、眉をしかめて、口ごもった。
「わからない、が、たぶん、此処は地盤がゆるくて、つまり、樹が大きくなると、支えきれなくなる、……というのだろう」
「すると水が濁っていたのは、あのときもう地盤が動きだしていたわけですか」
「かんば沢の崩壊の、影響もあるだろうね」
「ぎょっとしますね」
主馬はまたふり返った。
彼の眼には、倒壊する林の中へ、走り込んでいった千之助の姿が、ありありと残っている。
平四郎は本草学などをやるので、敏感に危険を感じたのだろうが、彼に止められなければ、自分も千之助と同じ最期をとげたにちがいない。
……どうやらもう倒れ終るらしい、林の跡の、からっと明るく、裸になった池畔を見ながら、主馬はぶつぶつと呟いた。
「どうも、私の前兆の勘も、知れたもんですな、金二十枚どころか、せいぜい……」
秋の章
一
その年は、二百二十日の厄日の前後に、小さな暴風雨が二度あって、それからにわかに秋がきた。
半之助は、椹ヶ池の少し下の、蕨平というところに、小さな住居を建て、七月からそこで寝起きをしている。
よそから入って来た彼に、そんなことが許されたのは、花世のおかげもあるが、また、四月の騒動のとき、彼がみどう一族のために、尽力したことも、役立ったのは慥かである。
崩壊する洞窟から、花世を援けて、辛くも脱出した彼は、清左衛門や、一郷のおもだった者たち(全部で五十余人に及んだ)が捕えられ、その検挙の指揮者が、村田平四郎であり、青山主馬もいることを知って、かれらを釈放するように、交渉した。
平四郎や主馬が、そんな処で、半之助に会ったことをどんなに驚いたかは、云うまでもないだろう。
半之助の交渉は成功した。
検挙の目標は、登世と、彼女をとり巻く、柳沢系の者たちにあった。
それは、かれらが江戸で策謀していたときから、予定されていたことであるし、十一日夜半の、武田八幡宮での、登世の言葉で、さらにはっきりした。
清左衛門も花世も、その他の土着民の、多くの者たちも、暴挙には無関係であったし、むしろ反対していたのである。
もっと根本的には、平四郎らが、江戸から乗り込んで来た理由は、甲府城に対する示威、ということであった。
綱吉の死に続く、吉保の失脚によって、かねて甲府城に武備を貯えていた、無思慮な一味が、万一にも事を起こすようなことが、あってはならない、「暴挙の企図はわかっているぞ」という意味を、行動で示すためであった。
……じっさいには、これよりさきに、六代将軍となった家宣(甲府侯)と、その帷幄の人々の、すばやい、果断な処置によって、柳沢系の勢力は、巧みに骨抜きにされ、もはや、なにをする余力も、無くなっていたのであるが。
登世は死に、登世といっしょに来た者も、菱屋庄兵衛、次高来太、遠藤千之助らと、他に死者三人、七人が捕えられた。
これらは、甲府城の城代、柳沢隼人に引渡されたが、他の者は(二三の条件付きで)二十日ほどのちに釈放され、騒ぎはおさまった。五月の終わりに、平四郎たちは江戸へ去っていった。
そのとき、主馬はしきりに、半之助にも江戸へ帰るようにとすすめた。
――いつまでこんな山の中にいられるものじゃない。いま帰れば、こんどの件でいっしょに働いたという実績が残るし、いい役職にもつけただろうに。世捨て人になるのは、おじいさんになってからで十分じゃないか。
半之助は首を横に振った。
――安倍半之助はもうこの世にはいない。おれはまったく別の人間なんだ。ここで会ったことは誰にも言わないでほしいし、このまま忘れてもらいたい。
主馬は、半之助の決心が固く、もう変わらないものだと察したようだった。
最後に主馬は、――いったい、何が原因なんだ。
と尋ねた。
半之助はただ微笑んだだけで、答えようとはしなかった。
二
蕨平の住居は、地元の人たちが建ててくれたものだった。
そこは甘利山の頂上へ登る道と、椹ヶ池へ行く分かれ道の手前で、雑木林に囲まれたかなり広い平地になっていた。
水の便利さは少し悪かったけれど、北と西を茅戸の尾根が囲んでいるので風や雪を防ぐのにはちょうどよく、平地の端まで出ると、北東と南に、遠く近く広がっている重なり合った山々を見渡すことができた。
家は杉の皮で屋根を葺いた小さなもので、部屋が二つと水屋があるだけ。
うしろに物置小屋がついているだけの、とてもシンプルなつくりだった。
東側の小さな部屋には机を置き、南向きの八畳間には囲炉裏を切った。
水屋につづく土間にかまどが作ってあったが、ふだんの煮炊きはその囲炉裏だけで十分に足りた。
食料や日用品も、わざわざ韮崎の町まで下りなくても、地元の村人たちがすべて用意してくれた。
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