初級翻訳・山彦乙女 第49話

山彦乙女

村人たちは口数が少なく、無表情で、おまけにすごく不愛想に見える。
それは長い間、ほかの地域と関わらない閉ざされた生活をしてきたからだろう。
だけど気持ちはとてもピュアで、細かいところまでよく気がつく優しい心を持っていた。
それこそ針や糸の心配までしてくれるのだが、何も言わずに持ってきて、こちらが気づかないうちにそっと置いていく、というふうだった。
……こうした村人たちの心遣いに対して、今のところはお返しをする方法が何もない。
もちろん、村人たちもそんなものは期待していないようだったけれど、いつか自然にそういう機会もやってくるだろうと思えたし、実際にごく少しずつではあるけれど、お互いの心の壁がなくなっていくのを感じられた。

静かな日が続いた。
訪ねてくるのは花世ひとりだけだった。
言うまでもないことだが、花世が来ているときは、決して「静かで閑寂」とは言えなかった。
――あまりしょっちゅう来ると、人に目立ってよくないからさ。
半之助はこういう意味のことを何度も言った。
実際に清左衛門という人に対しても遠慮があるし、まわりの人たちの目がどう思っているかも気になったからだ。
しかし花世はまったく気にする様子もなく、半之助の言うことなど耳にもかけなかった。
ときどき二日も三日も姿を見せないかと思うと、今度はあの「ほっほう」という陽気な呼び声を響かせながらやってきて、
――私が来なかったから、どうしたのかって心配したでしょ。
などと言うのだった。
そうして帰るまで相変わらず勝手気ままなことを、口から出まかせに途切れなくおしゃべりし、しばしばいっしょにご飯を食べ、すっかり満足すると、
――また来まぁす。
と言って、元気いっぱいに帰っていくのだった。

また夏のあいだは、毎日のように釜無川へ誘い出し、川の早い流れを自在に泳いでみせたり、見事に魚を素手で捕まえたりしてみせた。
水底の岩の間にヒレを休めている魚たち、ウグイやアユやヤマメなど、六、七寸もあるような魚を、びっくりするほど上手に捕まえてしまうのだ。
――でも海はだめよ、海といったらもう。
あるとき花世はこう言って怒った。
――底はのっぺらぼうの砂だし、岩があっても魚の隠れる場所がないし、明るくて四方八方見通せるし、魚は臆病ですぐチョロチョロするし、まったく何て言ったらいいのかしらね。
――海へ行ったことがあるんですか。
半之助が尋ねた。
――ありますとも、それも江戸の海よ!
この話をしているとき、彼女は捕まえたアユを青竹の筒に入れ、クズのツルで巻いて、焚き火で炙っていた。
半之助はそれが、いつか築地の「丸茂」で食べた「アユの竹蒸し」という料理と同じやり方であるのを思い出していた。
――江戸の築地の海なんて、いくらやっても一匹も魚が捕まらないんだから。そのうちに私のことを笑う奴がいたから、思いきりこらしめてやったわ。
――どんなふうにしてです?
――とても言えませんわ、そんなこと。乙女だって女の子なんだから。
そして、いかにもおかしそうに、含み笑いをした。

あるときは蜂蜜が採れたといって、大きな瓶にいっぱい、香ばしい匂いのする蜜を下僕に担がせて持ってきてくれた。
山ブドウでお酒を造ったものや、料理の味付けに使うイノシシの脂など、「丸茂」で食べたような珍しい品々が、次々と届けられた。
日々はひたすらシンプルに過ぎていった。
昼の間は、近くの山や谷や高原を歩き回ったり、水を汲んだり、薪を作ったりして過ごすのだった。夜はたいてい早めに床についたけれど、雨の日や眠れない夜には、机に向かって「かんば沢」を中心にこれまでに起きた出来事をくわしく書き留めたり、気がすむまで物思いにふけったりした。
江戸にいたころの、どうしようもない退屈さや、拠りどころのないむなしさ、孤独感などは、もうほとんど感じられなくなっていた。
これが意味のある生活だとか、生きがいのある生活だと言い切ることはできないにしても、自分が束縛から解き放たれて自由になったこと、そしてここから何かが始まるのだという感覚(少なくともそう思えること)は確かにあった。
それが確実なものかどうかはまだわからない。この先には何も始まらないかもしれないし、やがてこの解放感も消え去って、ふたたび退屈や徒労感にとりつかれるかもしれない。
だけど、今の彼はこう考えることができた。
――人間はどれほど多くの経験を積み重ねたとしても、それだけで自分を肯定したり満足したりすることはできない。
――いま置かれた状態の中で、自分が望む生き方をし、その中に自分なりの意味を見出していく。それ以外の生き方なんてないのだ、と。
すでに、江戸の出来事ははるか遠くの出来事のようだった。
村田や青山、そのほか大勢の知人たちは、(柳沢の一派に代わった)新しい権力者たちのもとで、それぞれお気に入りのポジションにちゃっかり収まっていることだろう。
谷町の安倍の親子はどうしているだろうか。物欲のかたまりのような冲左衛門は、八百石から千二百石へと大番頭に出世して、相変わらず柳沢一派のしっぽにつかまり、その息子の又五郎とともに東奔西走して必死に働いていることだろう。
その結果がどうなったかなんてわからない。もしもあの政権交代の波をうまくかわせたのだとしたら、いまごろは新しい情勢のなかでまたもや忙しく駆けずり回り、心をすり減らし、怒ったり憎んだりしているにちがいない。
――あの佐枝という娘は、どうしているだろうか。
その父親や兄にそっくりで、派手好きでプライドの高いあの娘の姿は、思い出そうとしても、もうすっかり目の前には思い浮かばなくなっていた。
――すべてがすっかり落ち着いたら、お母さんをここに呼ぼうか。
彼はときどき、そんなふうに考えることがあった。
母親のことになると、彼はほとんど本能的な罪悪感のようなものを覚えてしまう。
それはときに耐えがたいほど強烈だったが、彼はいつも自分の心に向かって、力強く首を振るのだった。
――安倍半之助はもうこの世にはいない。おれはまったく別の人間なんだ。……お母さんにはお母さんの人生を生てもらうしかない。

八月の十七日の夜、八時ごろになって、花世がやって来た。
ずっと前から、満月の夜に法王山へ景色を見に行こうという約束があったのだ。
なんだかんだと邪魔が入ってこれまで果たせずにいたけれど、今度こそ名月の晩に行こうと、改めて約束していたのである。
――十五夜っていうと、よく曇ったり雨が降ったりするけど、今年は絶対に大丈夫なのよ。
花世はもっともらしい顔をして言った。
――だって去年は閏年(うるうどし)だったでしょ? 閏年の翌年の中秋の名月には、絶対に月が曇ることはないんだってよ。
しかしその十五日は、朝から小雨がぱらつくあいにくの天気で、空は一面の重苦しい雲に覆われ、雪でも降り出すのではないかと思うほど寒かった。
そして、実際に花世がやって来たときには、はらはらと小雨が降り始めていたのだった。
――大丈夫、いまにきっと晴れるわよ。
彼女はすべてを知っているかのようにうなずいた。
――まさかお空の神さまだって、去年が閏年だったことを忘れるわけないじゃない!
だが、雨はむしろ強くなる一方だった。

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