初級翻訳・山椒大夫 第4話

山椒大夫

「水の底の魚や貝には聞こえても、あの女たちには聞こえやしないよ。
女子どもなんて、佐渡へでも連れていって、粟(あわ)畑の鳥追いでもさせられるのがオチさ」
姉の安寿と弟の厨子王は、しっかりと抱き合いながら泣き続けました。
故郷を離れるときも、遠い旅をするときも、ずっとお母様と一緒に行くものだと思っていたのに、今は思いがけず引き離されてしまい、二人はどうしてよいのか分かりません。
ただ悲しさだけが胸いっぱいに広がり、このお別れが自分たちの人生をどれほど大きく変えてしまうのか、そのことさえまだ理解できていませんでした。
お昼時になると、宮崎は持っていた餅を取り出して食べました。
そして安寿と厨子王にも一つずつくれました。
二人は餅を手に持ったものの食べる気にもなれず、顔を見合わせて泣くばかりでした。
夜になると、宮崎がかぶせたむしろ(苫:とま)の下で、泣きながら眠りにつきました。
こうして二人は、何日も何日も舟の上で朝を迎え、夜を過ごしました。
宮崎は越中(えっちゅう)、能登(との)、越前(えちぜん)、若狭(わかさ)のさまざまな港町をまわって子どもを売り歩きました。
しかし二人はまだ幼く、体もか弱そうに見えたため、「買いたい」という人はなかなか現れませんでした。
たまに買い手が見つかっても、値段の話し合いがまとまりませんでした。
宮崎はだんだん機嫌を悪くし、「いつまで泣いているんだ!」と二人を打つようになりました。
宮崎の舟があちこちを巡ったすえに着いたのは、丹後(たんご)の由良(ゆら)の港でした。
ここには「石浦(いしうら)」という場所に大きな屋敷を構える大金持ちがいました。
その男は、田畑で米や麦を作らせ、山では狩りをさせ、海では漁をさせ、カイコを育てさせ、機(はた)を織らせ、金属や陶器、木の器に至るまで、あらゆる職人を使って何でも作らせていました。
それが「山椒大夫(さんしょうだゆう)」という大富豪であり、人手は何人でも買い取っていたのです。
宮崎はこれまでも、よそで買い手がつかない人間がいると、いつもこの山椒大夫のところへ連れてくることになっていました。
港に出てきていた大夫の部下の頭(かしらの頭)は、安寿と厨子王を一目見るなり、すぐに七貫文(ななかんもん)で買い取りました。
「やれやれ、このガキどもを片づけて身軽になったぞ」
宮崎三郎は受け取ったお金を懐にしまい込むと、そのまま波止場の酒場へと入っていきました。一抱えもあるような太い柱を何本も立て並べて建てた大屋敷の、そのまた奥深い広間に、一辺が約一メートル四方の囲炉裏を切らせて、赤々と炭火がおこしてあります。
その向こう側に、座布団(茵)を三枚重ねて敷き、山椒大夫は肘掛け(几)にもたれかかっています。
左右には、二郎と三郎の二人の息子が、まるで狛犬(こまいぬ)のように行儀よく並んでいます。
もともと大夫には三人の息子がいましたが、長男の太郎は十六歳のとき、逃げ出そうとして捕まった奴隷に、父が自ら焼きごてを押し付けるのをじっと見つめていたかと思うと、一言もものを言わずに、ふいと家を出て行き、そのまま行方不明になってしまいました。
今から十九年前のことです。
奴隷の頭(奴頭)が、安寿と厨子王を連れて大夫の前に進み出ました。
そして、二人の子どもに「お辞儀をしなさい」と言いました。
しかし二人の子どもは、頭の言葉が耳に入らない様子で、ただ目を丸くしてじっと大夫を見つめています。
今年で六十歳になる大夫の、まるで朱を塗ったように真っ赤な顔は、額が広く、頬(ほお)のあたりが張っていて、髪も髭(ひげ)も銀色に光り輝いています。
子どもたちは、怖いというよりもむしろ不思議でたまらないといった様子で、じっとその顔を見つめているのです。
大夫は言いました。
「買ってきた子どもというのはこいつらか。
いつも買う奴隷とは違って、『どう使ってよいか分からない、珍しい子どもだ』と言うから、わざわざ連れてこさせてみたが、顔色は青白く、か細い子どもたちだな。
どう使っていいものか、わしにもさっぱり分からん」
すると、そばから三郎が口を挟みました。
末の弟ではありますが、すでに三十歳になっています。
「いや、お父っつあん。
さっきから見ていれば、お辞儀をしろと言われてもお辞儀もしない。
ほかの奴隷のように名前すら名乗らない。
弱々しく見えても、なかなかしぶとい連中だぜ。
奉公の最初は、男は柴刈り、女は汐汲みと決まっている。
その通りにさせなさいよ」
「おっしゃるとおり、名前はわたくしにも申さないのです」と、奴頭が言いました。
大夫は冷笑しました。
「おろか者どもめに見える。
名前はわしがつけてやろう。
姉の方は『いたつきを垣衣(かきごろも)』、弟の方は『我が名を萱草(かぞう)』だ。
垣衣は浜へ行って、一日に三荷(みか)の潮を汲め。
萱草は山へ行って、一日に三荷の柴を刈れ。
その弱々しい体に免じて、荷物は軽くして持たせてやれ」
三郎が言いました。
「過分なご慈悲だな。
おい、奴頭。
さっさと連れて下がって、道具を渡してやりなさい」
奴頭は二人の子どもを新参小屋に連れて行き、安寿には桶と杓子(しゃくし)を、厨子王には籠と鎌を渡しました。
どちらにも、お昼ご飯を入れる弁当箱(※子)が添えられています。
新参小屋は、ほかの奴婢たちが暮らす場所とは別の建物になっています。
奴頭が出て行くころには、あたりはすっかり暗くなっていました。
この家には灯すための明かりすらないのです。

――――――――――――

 翌日の朝は、身を切るようにひどく寒かった。
昨日の夜は、小屋に備え付けられていた布団(衾)があまりにも汚れていたので、厨子王が敷きわら(薦)を探してきて、まるで舟の中でむしろ(苫)をかぶるように、二人でそれをすっぽりとかぶって寝たのです。
昨日の夕方、奴頭に教えられた通り、厨子王はお弁当箱(※子)を持って厨房へ朝ご飯を受け取りに行きました。
屋根の上や、地面に散らばった藁の上には、真っ白な霜が降りています。
厨房は大きな土間で、すでに大勢の奴婢たちが集まって待っていました。
男と女では受け取る場所が違うのに、厨子王は姉の分と自分の分を一緒に受け取ろうとしたため、最初は叱られてしまいました。
しかし、「明日からはめいめいがもらいに来ます」と約束して、ようやくお弁当箱のほかに、大きな木桶(面桶)に入った塩気のあるご飯(※)と、木の椀に入った温かい汁(湯)の二人前を受け取ることができました。
ご飯には塩を入れて炊いてあるのです。
姉と弟は朝ご飯を食べながら、「もうこんな身の上になってしまった以上、運命に従って頭を垂れるよりほかないね」と、子どもながらにけなげに話し合いました。
そして姉は浜辺へ、弟は山道へと向かって歩いていくのです。
大夫の屋敷の三の木戸、二の木戸、一の木戸を一緒にくぐり抜け、二人は霜を踏みしめながら、何度も振り返りつつ、それぞれの左右の道へと別れました。
厨子王が登る山は由良ヶ岳の裾野で、石浦の集落から少し南へ行ったところから登ります。
柴を刈る場所は、麓からそう遠くはありません。

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