初級翻訳・怪人二十面相 第8話

怪人二十面相

「うん、私立探偵という手があるな。しかし、個人の探偵などに、この大事件が解決できるだろうか」

「聞くところによりますと、なんでも東京に一人、とても優秀な探偵がいると申すことでございますが」

老人が首をかしげているのを見て、早苗さんが突然口をはさみました。

「お父さま、それは明智小五郎探偵のことですわ。あの人ならば、警察でさじを投げた事件をいくつも解決したというほどの名探偵ですのよ」

「そうそう、その明智小五郎という人物だった。実にすごい男だそうで、二十面相とは格好の相手になるだろうて」

「うん、その名はわしも聞いたことがある。では、その探偵をそっと呼んで、一つ相談してみることにしようか。専門家には、われわれには想像もつかないような名案があるかもしれない」

そして結局、明智小五郎にこの事件を依頼することに決まったのでした。

さっそく近藤老人が電話帳を調べて、明智探偵の事務所に電話をかけました。すると電話口から、子供のような声でこんな返事が聞こえてきました。

「先生は今、ある重大な事件のために外国へ出張中ですから、いつお帰りになるかも分かりません。しかし、先生の代理を務めている小林という助手がおりますから、その人でよろしければすぐにお伺いいたします」

「ああ、そうですか。だが、非常に難解な事件ですからねえ。助手の方ではどうも……」

近藤支配人がためらっていますと、先方からは、かぶせるように元気のよい声が響いてきました。

「助手といっても、先生に劣らぬ腕利きなんです。十分にご信頼なすっていいと思います。ともかく、一度お伺いしてみることにいたしましょう」

「そうですか。では、すぐに一つご足労くださるようにお伝えください。ただ、お断りしておきますが、事件を依頼したことが相手方に知れては大変なのです。人の命に関することなのです。十分ご注意のうえ、誰にも悟られぬよう、こっそりとお訪ねください」

「それは、おっしゃるまでもなく、よく心得ております」

そういったやり取りがあって、いよいよ小林という名探偵がやってくることになりました。

電話が切れて十分も経ったかと思われたころ、一人のかわいらしい少年が羽柴家の玄関に立ち、案内を求めました。秘書が取り次ぎに出ると、その少年は「ぼくは壮二君のお友達です」と自己紹介をしました。

「壮二さんはあいにく不在ですが」と答えると、少年は「おおかた、そんなことだろうと思いました」という顔つきで、「では、お父さんにちょっと会わせてください。ぼくのお父さんから伝言があるんです。ぼく、小林という者です」と、すまして会見を申し込みました。

秘書からその話を聞くと、壮太郎氏は「小林」という名に心当たりがあるものですから、ともかく応接室に通させました。壮太郎氏が入っていくと、リンゴのようにツヤツヤしたほっぺたで、目の大きな、十二、三歳くらいの少年が立っていました。

「羽柴さんですか、はじめまして。ぼく、明智探偵事務所の小林という者です。お電話をくださいましたので、お伺いしました」

少年は目をクリクリさせて、はっきりした口調で言いました。

「ああ、小林さんのお使いですか。少し込み入った事件なのでね。ご本人に来てもらいたいのだが……」

壮太郎氏が言いかけるのを、少年は手を挙げて止めるようにしながら答えました。「いえ、ぼくがその小林芳雄です。ほかに助手はいないのです」

「ホホウ、きみがご本人ですか」

壮太郎氏はびっくりしました。と同時に、なんだか、みょうに愉快な気持ちになってきました。こんなちっぽけな子どもが、名探偵だなんて、本当かしら。だが、顔つきや言葉づかいは、なかなか頼もしそうだわい。ひとつ、この子どもに相談をかけてみるかな。

「さっき、電話口で腕ききの名探偵といったのは、きみ自身のことだったのですか」

「ええ、そうです。ぼくは先生から、留守中の事件をすっかり任されているのです」

少年は自信たっぷりです。

「今、きみは、壮二の友だちだっていったそうですね。どうして壮二の名を知っていました」

「それくらいのことが分からないでは、探偵の仕事はできません。実業雑誌にあなたのご家族のことが出ていたのを、切りぬき帳で調べてきたのです。電話で、人の一命にかかわるというお話があったので、早苗さんか、壮二君か、どちらかが行方不明にでもなったのではないかと想像してきました。どうやら、その想像が当たったようですね。それから、この事件には、例の二十面相の賊が、関係しているのではありませんか」

小林少年は、じつに小気味よく口をききます。なるほど、この子どもは、本当に名探偵かもしれないぞと、壮太郎氏はすっかり感心してしまいました。そこで、近藤老人を応接室に呼んで、ふたりで事件の顛末(てんまつ)を、この少年にくわしく語り聞かせることにしたのです。

少年は、急所急所で、短い質問をはさみながら、熱心に聞いていましたが、話がすむと、その観音像を見たいと申し出ました。そして、壮太郎氏の案内で、美術室を見て、もとの応接室に帰ったのですが、しばらくのあいだ、ものもいわないで、目をつむって、何か考えごとにふけっているようすでした。

やがて、少年は、パッチリ目をひらくと、ひとひざ乗りだすようにして、意気ごんで言いました。

「ぼくはひとつうまい手段を考えついたのです。相手が魔法使いなら、こっちも魔法使いになるのです。非常に危険な手段です。でも、危険を冒さないで、手柄をたてることはできませんからね。ぼくはまえに、もっと危ないことさえやった経験があります」

「ホウ、それは頼もしい。だがいったいどういう手段ですね」

「それはね」

小林少年は、いきなり壮太郎氏に近づいて、耳もとに何かささやきました。

「え、きみがですか」

壮太郎氏は、あまりのとっぴな申し出に、目をまるくしないではいられませんでした。

「そうです。ちょっと考えると、難しそうですが、ぼくたちには、この方法は試験済みなんです。先年、フランスの怪盗アルセーヌ=ルパンのやつを、先生がこの手で、ひどい目にあわせてやったことがあるんです」

「壮二の身に危険がおよぶようなことはありませんか」

「それは大丈夫です。相手が小さな泥棒ですと、かえって危険ですが、二十面相ともあろうものが、約束を違えたりはしないでしょう。壮二君は仏像と引き換えにお返しするというのですから、危険がおこるまえにちゃんとここへ戻っていらっしゃるにちがいありません。もしそうでなかったら、そのときには、またそのときの方法があります。大丈夫ですよ。ぼくは子どもだけれど、決して無茶なことは考えません」

「明智さんの不在中に、きみにそういう危険なことをさせて、万一のことがあっては困るが」

「ハハハ……、あなたはぼくたちの生活をご存じないのですよ。探偵なんて警察官と同じことで、犯罪捜査のために倒れたら本望なんです。しかし、こんなことはなんでもありませんよ。危険というほどの仕事じゃありません。あなたは見て見ぬふりをしてくださればいいんです。ぼくは、たとえお許しがなくても、もうあとへは引きませんよ。

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