初級翻訳・怪塔王 第33話

怪塔王

いや、青江の仇(かたき)を取らないうちは、どんなことがあっても逃がしはしないぞ」
 兵曹長は、飛行の邪魔になっている麻綱を、くるくると機内に引き込みました。
そして、勇敢にもぐっと操縦桿を引いて上昇の体勢を取り、エンジンを全開にして、猛然と急上昇を始めました。
エンジンは幸いにも、とても調子が良いので、兵曹長はひとまず安心しました。
雲の中を突き抜けながら、兵曹長の目はあちらこちらへと動きます。
雲が視界を遮っていましたが、雲の切れ目に、もしかしたら怪塔ロケットの姿が見えはしないだろうかと考えたのです。
しかし、敵の姿はどこにも見当たりません。
そのうえ、雲はいよいよ濃く渦を巻いてきて、自分がどこを飛んでいるのかさえ分からなくなりました。
暴風雨が近づいている予感さえします。
「残念だなあ。
こうしていては、雲に巻かれてガソリンを無駄にするばかりだ。仕方がない、雲の外に出よう」
 雲の外に出ようと言っても、いつの間にか、古綿のような密雲がすっかり小浜機を包み込んでしまい、どこが雲の切れ目なのか見当もつきません。
兵曹長の心は、焦るばかりです。

死力

1

 せっかく急上昇したのに、密雲に邪魔をされ、ふたたび下降しなければならなくなった小浜機は、いまぐんぐんと雲を突き抜けて下りていきます。
「あっ、五千メートルだ。
四千八百メートル。
もっと急いで下りよう」
 小浜兵曹長は、さらに水平舵を引いて機首を下げたので、飛行機は弾丸のように下へと落ちていきます。
「三千九百、三千七百。
――まだ雲が切れない。
執念深い雲だなあ、まるで怪塔王の親類みたいだ」
 それでも雲は、なかなか切れません。
三千メートル、二千八百――
「これは変だなあ。
こんなに厚ぼったい雲があるものだろうか」
 兵曹長は、あまりに厚い雲に対して不平を言いながら、愛機を操縦して、なおもぐんぐん下りていきました。
あたりはますます暗くなる一方で、まるで壁の中に塗り込められたような感じです。
いつの間にか飛行服の上を、雨が滝のように流れています。
空中生活に慣れた兵曹長も、こんな目に遭うのは初めてです。
普通の人だったら、泣き出していたかもしれません。
兵曹長は操縦桿を握りしめたまま、なおもぐんぐん落ちていきました。
九百メートル、七百メートル――
 雲はまだ、そこら中に漂っています。
そのうちに、彼は雲を通して、はるか下に黒ずんだものを見つけました。
「あっ、見えた。
陸地か、それとも海面か」
 轟音を立てて落ちていく機体の前に、下からむくむくともり上がるように迫ってきたのは、白い波頭を振り立てて怒り狂う大海原でした。
まるでガラスの棒のような雨が、海面をめちゃくちゃに叩きつけています。
「これは大変だ。
ものすごい荒天だな」
 飛行機は、まるで水の中を飛んでいるように見えます。
視界は極めて狭い。
怪塔ロケットを追うどころではありません。

2

「ずいぶん海上生活もしてきたが、こんな荒天に出くわしたのは初めてだ」
 小浜兵曹長は、篠つく雨の中に愛機を操縦して、海面すれすれに飛び続けます。
「はて、ここは一体どこの海面だろう」
 太平洋であることは分かっていますが、太平洋と言っても非常に広いですからね。コンパスを見れば方角は分かりますが、自分が今いる正確な場所までは分かりません。
こういうときには、無線ビーコンというものを受信すれば、今いる場所がすぐに分かるのです。
無線ビーコンとは、無電灯台という場所から、その灯台の名前を無線で送っている信号のことです。
小浜兵曹長は、後ろの座席にある受信機のスイッチを入れました。
そして受話器を耳に当ててみました。
ところが、いつまでたっても受話器からは何の音も聞こえてきません。
「これは変だなあ。
スイッチはちゃんとは入っているのに、なぜ聞こえないのだろう」
 いろいろと試してみましたが、どうしても聞こえません。
残念ながら、受信機が故障していることが分かりました。
「さあ困ったな」「今、自分がどこを飛んでいるのか、さっぱりわからなくなってしまったぞ」

 送信機の方はどうだろうと、そちらのスイッチも入れてみましたが、やはり動きません。無線機は、送る方も受ける方も、すっかり壊れてしまったのです。
 そうこうしているうちに、あたりは夜のように真っ暗になり、視界は五十メートル先も見えないほどになってしまいました。
 あぶない、あぶない。
 遭難する一歩手前の危険な状態です。怪塔ロケットを追いかけるどころか、こうして飛行を続けること自体が命がけになってしまいました。
 小浜兵曹長は、荒れ狂う暴風雨を相手に、腕が折れんばかりの力で操縦桿を握りしめ、両足でしっかりと踏ん張り、この危機を乗り越えようと必死に戦っています。
 しかし、激しい雨と風に叩かれ、今は海面に車輪がすれすれという低空飛行を強いられています。
 ああ!

     3

 頼みの綱である無線も使えず、愛機は雨と風に叩きつけられ、少し気を抜けば車輪がざざーっと怒濤に洗われてしまいます。
 一度は空中で命拾いをしたものの、ついに今ここで小浜兵曹長の運命も尽きてしまうのかと思われました。
「敵陣に自爆するのなら帝国軍人として本望だが、荒れ狂う海の中に突っ込んで、死んで何になる。よし、俺はどうしてもこの暴風雨と海を征服してやるぞ」
 兵曹長は、機上でこう叫びました。
 飛行眼鏡も雨で曇りきって、もう何も見えません。翼は何度も、波にばっさりと呑まれそうになります。人力ではどうすることもできない自然の猛威です。
 それでも我らが小浜兵曹長は、飛び続けました。
 それは二時間半という長い時間が過ぎた後のことでした。どこをどう飛んだのか、一瞬たりとも油断のならない二時間半の飛行に、さすがの勇士も気力と体力を使い果たしてクタクタになってしまいました。
 いよいよ翼を波にパクりと呑まれる時が来た、と彼は思いました。
「残念だ。青江の敵(かたき)を討たないうちに死ぬなんて、本当に残念だ」
 兵曹長は歯を食いしばり、目をしばたたきながら、眼下の真っ白な波浪をにらみつけました。その時です。彼はふと前方に、真っ黒な鯨のようなものが横たわっているのに気がつきました。
「あっ、あれは何だ。鯨か?」
 目をしきりにパチパチさせてこの黒い影を見ていた兵曹長の頬に、さっと血の気が戻りました。
「あっ、あれは島だ! 島だ!」
 島が見つかったのです。死の一歩手前で島影が見えるなんて、何という幸運でしょう。小浜兵曹長の元気は百倍にもなりました。
「何としても、あの島までたどり着かなければ――」
 それから先は、夢中でした。どこをどう飛んだのか、気がついたときには、飛行機のエンジンはぴたりと止まっていました。

4

 小浜兵曹長は、夢の中にいるような気分で周囲を見渡しました。
 嵐は相変わらずゴーゴーと吹き荒れていますが、飛行機の下にあるのは、例の波の高い荒海ではなく、真っ白な砂浜でした。
 飛行機は片方の車輪を砂の中に深く突っ込み、斜めに傾いて止まっていました。
 一体ここは、どこなのでしょう。

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