ところが、よく見ると、その町を歩いているのは四十面相だけではないことがわかってきました。
四十面相の二十メートルほど後ろから、小さな人間が、音ひとつ立てずにこっそりと尾行しているではありませんか。
それはゾッとするほど汚らしい、乞食の少年でした。
髪の毛はモジャモジャに伸びて、目の上まで垂れ下がっています。ジャンパーのようなものを着ていますが、それがボロボロに破れ、ズボンも裾がちぎれて膝小僧が見え、顔も手も足も真っ黒に汚れて、まるで黒ん坊のような少年です。靴も履かず、素足にわらじを履いています。
そうです。読者諸君がお気づきになったとおり、これは少年名探偵、小林君の変装した姿でした。
世界劇場のまわりの大群衆のなかで、たった一人、アドバルーンによるごまかしを「もしや」と疑った人間がいました。それが小林少年だったのです。
ずっと昔、明智探偵が手がけた事件で、犯人がアドバルーンにぶら下がって逃げたことがありました。それをヘリコプターで追いかけると、犯人だと思っていたのが実は人形であったことが判明したのです。
小林君は明智探偵からその話を聞いていたものですから、アドバルーンが飛ぶのを見ると、すぐさまそれを思い出したのです。
そこで小林君は、大急ぎで楽屋に飛び込むと、顔や手足に薄黒い絵の具を塗り、衣装部屋にあった一番汚い服をハサミでズタズタに切り裂いて身につけ、モジャモジャ頭のカツラをかぶって劇場の屋上に上り、塔から下りてくるやつを見張っていたのです。
また、小林君は悪賢い犯人が警官に化ける事件に何度も出会っていたので、不思議な警官の姿を見ると、すぐにそれとさとりました。そして、尾行をはじめたのです。
中村係長に知らせようとしたのですが、急には見つからなかったので、ただ一人で尾行したのです。
暗い町はどこまでも続いています。その寂しい町をコツコツと歩く四十面相のニセ警官、あとからコッソリつけていく汚い乞食少年。実に奇妙な光景です。
突然、ニセ警官が立ち止まったかと思うと、すばやく後ろを振り返りました。尾行に気づいたようです。
乞食少年はハッとして、大急ぎでそばの生け垣の下へ身を伏せましたが、もう間に合いません。さとられてしまったのです。
ニセ警官は、いきなり駆け出しました。そして、向こうの四つ角を曲がるのが見えました。
相手にさとられたからには、もうやぶれかぶれです。乞食少年も足音高く、それを追いかけました。
ところが、そのとき、またしても実に不思議なことが起こったのです。
小林君が四つ角まで駆けつけて、ニセ警官が曲がったほうを見ますと、そこにはまったく人影がありませんでした。
両側には高いコンクリート塀が続いていて、まっすぐに見通せる町なのですが、ニセ警官はどこへ消えたのか、影も形もありません。
両側のコンクリート塀は、よじ登るにはあまりにも高すぎたのです。地面には四十面相のとくいのかくれ場である、マンホールすらありません。
向こうの曲がり角までは百メートルもあり、いくら足が速い彼でも、そこを曲がりきるほどの時間はなかったはずです。
赤いポスト
小林君は、すぐさま駆け出して、向こうの町角まで行ってみました。
しかし、どちらを見ても、人影はありません。
しかたがないので、またもとの場所まで戻ってきました。
そして、そこに立ち尽くしたまま、長いあいだじっとしていました。
ちょうど、ネコがネズミを見失ったときのように、あたりを見回しながら、息を殺して一生懸命考えていたのです。
しかし、夜の屋敷町には、なんの変わったことも起こりません。
まるでこの世から人間がいなくなってしまったかのように、シーンと静まり返っているばかりです。
さすがの小林君も、とうとう諦めたようです。
「チェッ」と舌打ちをして、肩をすぼめると、そのままもと来たほうへ立ち去ってしまいました。
小林君がいなくなって、しばらくのあいだは、なにも起こりませんでした。
町は、水の底のように静まり返っていました。
ところが、十分ほどたったかと思われるころ、じつに、なんともいえない気味の悪いことが始まったのです。
その町角のコンクリート塀の前に、赤い郵便ポストが立っていました。
遠くの街灯の光が、ぼんやりとそれを照らしています。
その赤いポストが、静かに、静かに、ジリッ、ジリッと回っているのです。
コンクリートでできているはずのポストが、まるで生きもののように、その体を回転させていたのです。
ポストの上部には、手紙を入れる横に長い穴があります。
その真っ黒な穴のなかから、なにかキラッと光るものが見えました。
目です。
人間なのか動物なのかはわかりませんが、二つの大きな目が、そこから外をのぞいているのです。
ポストをジリッ、ジリッと回しながら、その二つの目が、あたりをくまなく見回しているのです。
次には、もっと気味の悪いことが起こりました。
赤いポストが、回るだけでなく、横に動き出したのです。
ゆっくり、ゆっくり、まるで虫がはうように、コンクリートの塀に沿って動いているのです。
そして、いつのまにか、もとの場所から十メートルも離れたところへ行っていました。
ポストは生きているのです。
生きて、歩き出したのです。
ところが、その次には、もっと、もっと恐ろしいことが起こりました。
ポストの下の石の台がユラユラと動いて、その下から、黒い手袋をはめた人間の手が二本、ニュッと出たのです。
そして、その手が石の台を軽々と持ち上げたかと思うと、石の台も、赤いポストも、クルクルと巻き上がるように、上のほうへ縮んでいくのです。
みるみる、ポストの三分の一ほどが地面から上のほうへ持ち上がり、その下から、ニューッと二本の足が現れました。
黒い警官のズボンと靴です。
ポストは、まだまだ縮んでいきます。
警官服の胸が現れ、肩が現れ、ついに顔まで現れました。
ああ、やっぱりそうでした。
ポストのなかに隠れていたのは、四十面相だったのです。
四十面相の顔が、遠くの街灯の光を受けて、ニヤリと笑いました。
ポストは、四十面相の頭の上で、大きな赤いお盆のように平べったく縮んでいました。
コンクリートのポストが、そんなに縮んでしまうなんて、いったいどういう仕掛けなのでしょう。
これは、四十面相が発明した「かくれみの」でした。
そのポストは、たくさんの薄い金の輪を重ね合わせてつくったもので、ちょうど手品師が持っているステッキのように、自由に伸びたり縮んだりするのです。
伸ばせばポストの高さになり、縮めれば五センチほどの厚さの、大きなお盆のようになってしまうのです。
まあいってみれば、薄い金属でできた、ちょうちんのようなものだったのです。
それにポストと同じ赤いペンキが塗ってあり、金属の輪の継ぎ目も非常によくできているので、薄暗い場所では本物のポストとそっくりに見えたのです。
四十面相は、さっき小林君に尾行されていると気づいたとき、町角を曲がると、抱えていた風呂敷包みを大急ぎでほどき、赤い大きなお盆のようなものを頭の上に乗せて、カチッと留め金を外したのです。
すると、重なり合っていた薄い金属の輪がサーッと下に降りて、ポストの形になってしまいました。
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