初級翻訳・愛護若 第4話

愛護若

また、細工を古くから「馬具細工」の意味で解釈していた証拠は、「名歌勝鬨」の中にあります。そこでは細工小次郎に対して、鞍作杢作(くらつくりもくさく)及びその娘のお為という人物を登場させていることでも分かります。

田畑之助という名は奇妙な名前ですが、室町から江戸にかけて、「助」の字がつく名前には、物語や芝居の類において妙なものが特に多いのです。
葛の恨之介、稲荷之助、女之介などがそうですが、膳所での山王祭りの頭人の名前にも、近江之介や粟津之介などがあります。こうした方面の連想も、幾分働いているのでしょう。
田畑之助を祀ったと言われる田中山王社(別名:田畑宮)は、間違いなく同じ「粟」の話がある恒世社と同じものです。
膳所の近辺、中庄村の瓦浜にありますが、古くはそこの亀屋という家の敷地内にありました。
その家は堀池氏で、堀池は佐々木氏の一族だ(『輿地誌略』)と言われますが、亀屋の主人が祭りの頭人となる時の名前が、田畑之助だったのかもしれません。
山門(延暦寺)と寺門(園城寺)の関係と、大友村主(すぐり)の本貫であるという点から、山王を天武天皇、新羅明神を大友皇子と考える時期もあったように思われます。

いわゆる「桃のにこう(尼公のことか)」の件は、「石芋」の民話(『土俗と伝説』一の一、田村氏報告参照)の形式であり、穴生とも言う賀名生(あのう)に「脂桃」の話があるのは、単なる偶然ではなく何らかのつながりがありそうな気がします。
だいたい「石芋」の民話は、宗教家の伝記に伴うものが多いようですが、古くは「強欲」と「慈悲」とを対照にした、富士や筑波の伝説のような話でした。
その良い片方を落としてしまったのが石芋の民話であり、対照的にならずに良い方だけが離れてしまったものもあります。
宗教家は精霊を使う者だと考えられていたために、「精霊の復讐」というような考え方が一転して、「石芋」の民話になったのでしょう。
古くは「言葉」が精霊の活動だと考えられていた「呪い」が、「役霊(神仏の使い)」という考えに移ったのは、大部分が陰陽家の職神、仏教の護法天童や護法童子という思想の助けがあったからのようです。役霊や護法童子(ごほうどうじ)といった存在は、それを使役する人にとっては都合がいいものですが、他人にとっては迷惑なことも多いものです。
使役する人の嫉妬心や、他人を呪うような視線が、役霊の活動を促してしまいます。
護法童子に名前をつけたのは、乙護法(おとごほう)という存在です。
伝教大師(最澄)にも、性空上人(しょうくうしょうにん)にも、同名の護法がいました。
性空からその甥である比叡山の皇慶(こうけい)に移った護法を、乙若(おとわか)とも呼んでいます。
三井寺の尼護法は、鬼子母神(きしもじん)ともなっています。
女の護法神だからという理由ですが、あるいは「乙」という字と同じく、それが彼女の名前だったのかもしれません。
「愛護若」の「愛護」という名も、護法の名前であり、若(わか)という存在がその護法であることを示している、と考えてもおかしくありません。
愛護若を護法童子の変化した姿だとすれば、桃や麻による呪いの意味も、納得がいきます。
この呪いについて、志田義秀氏は比叡山の「不実柿(ふじつがき)」の伝説と関係があるのではないかと観察されています。
皇慶が初めて比叡山に登ったとき、「実がなるのに『不実(実がならない)』柿とはどういうことだ。湯を飲むのに『水飲』とはどういうことだ」という、大人びてはいるけれど子供らしいへりくつを言ったという話が伝わる地がありますが、皇慶の呪いによって不実柿になったとは書かれていません。
しかし、乙若が性空の手から皇慶へと移ってきた話を思うと、何度かの物語の変形を経て、愛護若と皇慶の関係が成り立つ可能性はあるでしょう。
川村杳樹氏(実は柳田国男先生)が提供されたたくさんの難題問答の例の中にも、陸前の赤沼長老坂で、西行法師を言い負かした松下童子が山王権現の化身だったという話がありますが、これも山王の伝説に根本的な痕跡があるのだとすれば、先ほどの関係はより深まります。ただ、いくつかの共通点だけで愛護と皇慶の交渉を証明するのは難しいことです。

継母である雲居の前は、「合邦辻(がっぽうがつじ)」の玉手御前の性格をすでに持っているため、「女筆始」などの物語に出てくるような純粋な悪役ではなく、むしろ「薄雪物語」のように恋文を書く、情愛を知る女性となっています。
中将姫やしんとく丸の継母とはタイプが異なり、恋の遺恨という新しい要素が混ざっているようです。
手白(てじろ)の猿は、後の創作ではかなり重要な位置にいますが、説経節の中では非常に軽い役に使われています。
動物が恩返しをするという説話の枠を超えて、単に山王神の使いである理由を見せたに留まっているようです。
こうした動物がこの民話に現れたのは、もちろん日吉山王の「猿部屋」に関係があるからで、手首だけが白い猿を神の使いとする信仰もあったのでしょう。
山姥(やまうば)を題材にした狂言の中にも、手白の猿を出したものがありました。
今日そうした芝居の絵を見ても、猿の手に特別な特徴があるわけではありません。
結局、別の語源を持っていることは間違いありません。
古代に「手代部(てしろべ)」という部曲(職業集団)があったのも、後世の神社における「手長職」と同じもので、神の手そのものとして働く人々だったらしいのです。
「てしろ」という言葉だけが残り、その意味が忘れられた時代に、山王の使いである猿を手白(てしろ)と感じ、特別にそうした霊妙な種類の猿がいるのだと想像したのでしょう。
しかし、今言ったような信仰もあったと思われます。
先述の山姥狂言に出る手白の猿も愛護若の物語とは関係がなく、山姥の狂言の中に手白の猿の姿を描いた江戸時代の芝居絵を見たことがあるだけで、他には何の材料も見当たりません。
イタチの骸(むくろ)を借りて地獄の幽霊が戻ってくるのは、「因果物語」のような話ですが、説経節としての特徴を残したものです。
なお、桜の木に愛護を吊るすのは、説経節に特有の拷問をこんなところにも割り込ませたものですが、神仏の身代わりとなって脱出するという、いつもの型は破っています。
細工が禁札のために途中で引き返す場面や、叔父である帥阿闍梨(そちのあじゃり)が「天狗の仕業ではないか」と疑って、はるばるやって来た者に会わずに追い返す場面は、同じ説経節の「石童丸」の母と父の物語に通じています。
ただし、阿闍梨が天狗の障りだと疑った点だけは、長い物語に少し似ていますが、それは他人の空似であって、肝心な山伏も石室も現れません。
それよりもっと注目すべきなのは、「苅萱(かるかや)」のようにわざとではなく、行き違いが原因で空しく山を下るという点です。
そもそも子供の物語は、妻争いの民話の一種で、美女が自殺するという結末の筋を引いてくることが多く、競争相手がいなくても円満な解決を見ないのが常で、入水して自殺することが多いのです。
子供が入水する伝説は、高野山など大寺には付き物のようなものです。

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