本はなかなか読むらしいけど、一体どこから探してくるんだか」
あや子 「でも、そういう方も面白いわね。私、素朴で飾り気のない人って好きよ」
亮太郎 「馬鹿じゃないんだよ、あいつは」
あや子 「馬鹿だなんて、そんなこと言ってないわ……。じゃあ、東京の人なんかはお嫌いなのね、あの人って」
亮太郎 「都会というものを軽蔑はしているね。なのに、いざ理屈を言い出させると、なかなかしつこいらしいんだ」
あや子 「油断がならないわね。お兄さんを負かしたりしないかしら」
亮太郎 「こっちは理屈が苦手だからね。農村問題なんか語られたらまっぴらごめんだよ」
あや子 「あなたはもうすっかり都会の人なのね」
亮太郎 「そうでもないけど、いわゆる『根っこを抜かれた人間(根無し草)』の一人には違いないさ。その点、弟のえらいところは、わからないでもないんだ」
あや子 「そりゃそうよ。生まれた土地を離れないっていうことは、善し悪しは別にして、美しいことだわ」
亮太郎 (妻の顔をしみじみと見つめながら)「君がそう言うなら、世の中はすっかり郷土主義に染まっていると見なすべきだな。ああっ、山川よ、もしお前に感情があるなら、かつて一度は志を立てて故郷を出奔したこの俺が、今や錦を飾ることもなくとも、美しき妻を連れて再びお前の懐へと帰ってきたことを喜び迎えてはくれまいか! ブウブカドン、ブウドンドンだ」
あや子 「もう、おかしなこと言って……」
亮太郎 (やけにやたらに茶を飲む)
長い沈黙。
あや子 「霧が晴れてきたわよ」
亮太郎 「晴れたな」 (時計を見て)「さあ、出掛けよう。あと十分で出発だ」
あや子 「軽便鉄道の駅までは遠くないんでしょう?」
亮太郎 「目と鼻の先さ。すぐそこに見えているじゃないか。ただ、あそこの一時間は、汽車の五時間分くらい疲れるけどね。大丈夫かい?」
あや子 「大丈夫よ」
亮太郎 「本当に大丈夫か。だったら、いつまでも弁当の空き箱なんか持ってないで、それの一つくらい持ちなさい」 (スーツケースを顎でしゃくって指し示し、自分は信玄袋と行李を両手に提げる)
あや子 (慌てて弁当の空き箱を椅子の下に放り込み、立ち上がる)
亮太郎 (歩き出しながら)「旅行というものは不思議なもんだね。こうして動き出すと、億劫さがどこかへいってしまう」あや子 (同じく歩き出しながら)ねえ、あなた、ちょっと待ってちょうだい。(と言って背中を夫の方に向け)帯、ちゃんと結べてる?
亮太郎 ちゃんと結べてるよ。
二人は再び歩き出す。
第二場
山の中腹にある農家の前庭
お昼時……
大きな栗の木の根元に、むしろが敷いてある。
亮太郎がそのむしろの上に腰を下ろし、ぼんやりと遠くを見つめている。
そこへ、あや子が現れる。
あや子 やっとお話しが終わったのね。ずいぶん長いお話だったこと。
亮太郎 ……。
あや子 私、そういう時ってどこにいたらいいか分からなくなるから、すごく困っちゃうわ。お母さんは、どうしても私にお仕事を手伝わせてくださらないし……。
亮太郎 長くいるわけじゃないからいいけどさ、もう少し、この家の「家族」っぽくなれないものかなあ……。
あや子 私が?
亮太郎 君が一生懸命やってるってことは分かってるよ。だけど、そんなに頑張ったって無理なことも分かってるんだ。どうしてこう、いちいち色んなことに気を遣わないで、もっと気楽にやれないのかなあ。
あや子 どんなことよ?
亮太郎 どんなことって……例えば、サツマイモの皮をむくにしたってそうさ。わざわざ「お手伝いしましょうか」とか、「上手にむけるかしら」とか、「あれやこれや」って、自分で自分のことを特別扱いしているところがあるんだよ。
あや子 それって、保次郎さんが私のこと何かおっしゃったんでしょう?
亮太郎 保(ほ)は何も言ってないよ、君のことなんか……まあ、あんまりあれこれと気を遣わない方がいいってことさ。どうせ、うまく馴染めるわけがないんだし、仮に馴染めたところでどうにかなる話でもないんだからさ。もっと気楽にしなよ、気楽に……。その方がお互い楽だろ。
あや子 私だって、そんなにものすごく気を遣ってるわけじゃないわよ。こういう生活に慣れようと思ったら、もっと何とかする方法もあると思うわ。だけど、やっぱりまだお客さん気分が抜けなんだから仕方ないじゃない……。
亮太郎 まあ、そりゃそうさ。第一、僕がそうないんだから。ここが自分の家だと思って見たところで、じゃあこの家をどうにかしようっていう気にはどうしてもなれない。そのことで、さっき保とも話をしてきたんだけど、今の僕じゃあいつから「無責任」呼ばわりされたって仕方がないわけさ。
あや子 無責任だなんておっしゃったの?
亮太郎 まあ、そんな意味合いのことさ。これがもし家の商売が右肩上がりで栄えてる時期なら、僕が知らん顔をしてたって何も問題は起きないんだろうけどさ――今はよほど生活が苦しいらしいんだ。
あや子 ……。
亮太郎 君は、こんな田舎でずっと暮らそうとは思わないだろう。
あや子 状況次第では、そんなことばかりも言ってられないわよ。
亮太郎 本当にその覚悟はあるのかい。
あや子 だけど、あなたがここにいてくれるなら、なんとかなるんじゃないかって思うの。
亮太郎 そりゃどうなるか分からないさ。保の言い分ははっきりしてるんだ。「自分たちがただ働くだけじゃ追いつかない、他人のものでも搾り取らなければやっていけない」ってね。あいつはもう、物事をそういう風にしか考えられなくなっちまってるんだよ。
あや子 保次郎さんは、いつも何か深く考えていらっしゃるみたいね。――あの目の輝きって、すごく素敵だわ。この間も、草鞋(わらじ)を編みながら本を読んでいらしたのよ。私がそこへ行ったら、じっと顔を上げてこっちを見るんだから。その目の美しさといったらなかったわ――澄んでいて、深みがあって、そのくせ全然冷たい感じがしないの。
亮太郎 馬鹿に褒めるじゃないか。あいつは案外、人当たりも丸いんだよ。もっとゴツゴツした人間かと思ってたら……君なんかには、なかなか優しそうじゃないか。
あや子 ええ、そりゃ優しいわよ。あなたのお話を聞いていたら、どんなに怖い人なのかなって思っちゃったわ。ただ、おしゃべりするのが嫌いなのね。下手をするとまるで言葉を話せない人みたい。何を言ってもただ首を振るだけなんだもの。やりがいがないっていったら……。少し恥ずかしがっているだけなのかしら。まだ子供ね。
亮太郎 そうかねえ……だけど、君、何か二、三日前に面白いところを見たって言ってなかったっけ?
あや子 あれはね、あなた……そりゃ、子供と言ったって、赤ん坊ってわけじゃないんだから……。それくらいのことはね。でも、あれを見て私、本当に綺麗なものを見たような気がしたわ。
亮太郎 綺麗なものか……。つまり、君の方で勝手にロマンチックな物語に仕立て上げてるんだろ。
あや子 それはもうどうでもいいの。なんだか、私たちの普段の生活とはまったく違った種類の……まるで別の世界にしかないような、そんな美しいものを見たと思ったのよ。
亮太郎 そんな大げさなもんじゃないだろ。
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