初級翻訳・柿色の紙風船 第3話

柿色の紙風船

洋服のどこかのポケットに入れておけばいいかとも思いましたが、もし五年も同じところに入れていたら、洋服の生地がボロボロになって、そのすき間からラジウムがポロリと下に落ちてしまうだろうと考えたのです。
ボタンに穴をあけて、その中にラジウムをはめこむ方法も考えましたが、ラジウムの強力なパワーにかかれば、洋服の生地も馬の蹄鉄(ていてつ)で作ったボタンも、同じようにボロボロにしてしまうでしょう。
――結局、柿色の制服を着るときには、どうしてもラジウムをあの肉のポケットに入れて、うまく独房の中に持ち込むよりほかに、いい方法はなかったのです。
そんなわけで、私の肉のポケットの病気は、さらに悪化してしまったのでした。
ラジウムも、ちょうどよい時間だけ患部に当てればびっくりするほど治りが早いのですが、やりすぎると大変なことになってしまうのです。

「おい、一九九四号、出てこい!」
「はあ……」
「医務室に連れていくから、出て来い!」
「はあ……」
私はラジウムを掃除用のほうきのモジャモジャした毛の中に隠して、それから看守に連れられて外に出ました。
(おお、おおっ!)
向かいの部屋の一二二二号が小窓から顔を出して、私に合図を送ってくれました。
彼はこの刑務所に入ってからできた最初の友達であり、先輩でした。
本名は五十嵐庄吉(いがらししょうきち)といい、罪はお財布をスリ取ることだったそうです。
さて、私はその日から、痔の治療を受けることになりました。
何をするにも外の世界とは比べものにならないほどみじめな刑務所の中ですが、なぜか医務室だけは世間並みにきれいな場所でした。
「少し痛むが、がまんしろよ」
お医者さんはそう言いました。
本当に手術は痛くて、そら豆みたいな大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちました。
独房へ帰ってきても痛くて起き上がれず、このままでは腰が抜けてしまうのではないかと本気で心配しました。
私はそのとき、ほうきの中に隠してあるラジウムのことを思い出しました。
私は朝と夜の二回、ラジウムを取り出して患部に当てました。
そしてそれを毎日くり返したのです。
「どうだ、びっくりするほど早くよくなったじゃないか!」
お医者さんは鼻の穴をふくらませて得意そうに言いました。
「へえーい……」
私は感謝しているふりをしましたが、お腹の中では「フフン」と笑っていました。
お医者さんの腕がいいわけじゃない。
私がやっている「ラジウム療法」がすごいおかげなんだから。
――そんなわけで、痔のほうはまもなくすっかり治ってしまいました。
それからは、本当に変化のない単調な日が続きました。
最初のうちは、刑務所ほど平和で気楽な家はないと喜んでいましたが、何から何まで同じことのくり返しである所内の生活には、さすがにすっかりうんざりしてしまいました。
もっとも、私たちが一日中手をつないで遊んでいるわけではありません。
私たちのグループはみんなで「紙風船」を作っていたのです。
広い土間の上に薄い板が敷いてあって、その隅っこで、四つの班が毎日せっせと紙風船を貼っていました。
それは刑務所の中での一番華やかな手仕事でした。
赤と青と黄、それから紫にピンクに水色、そして緑というような、目がくらむほど鮮やかな色の蝋紙(ろうがみ)があちこちに散らばっていました。
それはまるで、ポカポカとした春の四月頃の花壇の中にぽんと座っているような、そんなきれいな光景だったのです。向こうの端っこで、麻の糸を結ぶ作業をしている囚人たちは、何度も何度もチラチラと紙風船の作業場の方に目を向けて、楽しそうなワクワク感をこっそりと味わっていました。

紙風船を作るには、まず色とりどりの薄い紙(ろうがみ)の大きなシートを、それぞれの大きさに合わせて長い花びらのようにチョキチョキと切り、きれいに重ねておきます。
それから、まるでオブラートみたいに小さな丸い形をたくさん切り抜いて積み重ねます。
これは風船の、息を吹き込むところと、その反対のおしりのところの両方に貼るための「当て紙」です。
息を吹き込む方の紙には、あらかじめ小さな穴をあけておきます。これだけが紙風船の材料ですが、いつもたっぷりと用意されていました。

紙風船の作業は、一番はじめに、あの花びらの形をした材料を組み合わせることから始まります。
たとえば、赤と黄色というふうに、二つの色を一つおきに並べた風船を作る場合は、あらかじめその二種類の花びらをセットにして揃えておきます。
それから一枚一枚、少しずつずらしながら並べて、ゴムのりをペタペタと塗っていきます。
これが第一の係の仕事です。

次の係に回ると、ゴムのりが乾かないくらいのすごいスピードで、その花びらを一つおきに貼り合わせていきます。
そうすると、下の部分がない提灯(ちょうちん)のような形ができます。
これも一つの係で、四、五人ほどのチームでやります。

今度は、そこから乾いたものを取り出して、パタンと半分に折り、ちょうどお椀のような形にします。
これも大事な係の一つです。

そして次の係が、私と五十嵐庄吉のコンビの仕事です。
私たちの二人の間には、まるでラグビーボールに足が生えたような、変わった形の「型」が置いてあります。
まず五十嵐の方が、半分に折られて流れてきた紙風船を手に取ると、そのフットボールみたいな型にパッと被せます。
すると私は、オブラートにのりをつけたものを手に持って、その風船の「おしり」のような部分に、丸い色紙をペタリと貼りつけます。
すると間髪を入れず、五十嵐の方が風船を型からスポッと外し、素早くお椀のような形を裏返しにして、もう一度フットボールの上にポコッと載せます。すると反対側のおしり部分が顔を出すので、私は小さな穴があいている方のオブラートをペタリと貼るのです。
これで紙風船の作業はおしまいです。
あとは五十嵐が、出来上がった紙風船を、お椀を重ねていくみたいに、ドンドンと高く積み上げていきます。
そうしていると、ときどき検査の係が見回りにやって来て、その風船の山を向こうの方へと運んでいってしまうのでした。

私と五十嵐は、息をピッタリと合わせて、
「はッ、――」ポン!
「いやア。――」ポン!
と、まるで小さな太鼓(つづみ)を叩いているような軽快なリズムで、次々と紙風船のおしりを貼っていくのでした。

――だけど、こんな仕事も、せいぜい一ヶ月もやれば、すっかり飽きて嫌になってしまうものでした。
それでも月日の経つのは早いもので、気づけば刑務所のお正月を、なんと五回も迎えてしまいました。
やがて二月がやってくれば、いよいよ待ちに待った「シャバ(外の世界)」の人になれることになっていました。
あのラジウムも、誰にも怪しまれることなく、私の独房のほうきの中で、丸五年の歳月を過ごしたのです。
私の中には、新しい希望の光がだんだんと明るく燃え上がっていました。
私は夜になると、あの鉛筆の芯(しん)くらいの小さなラジウムを手のひらの上でコロコロと転がしながら、赤いネオンが光る裏街の風景を胸いっぱいに想像していたのです。

ところが、出獄まであと三週間という、一月二十五日のことでした。
私の独房に、思いがけない二人の訪問者がやってきたのです。

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