初級翻訳・桑の木物語 第4話

山本 周五郎

学堂でふまじめなことをしたら、このくらいの罰では済まないと思え!」
そんなわけで、兄の松太郎といっしょに、上屋敷の中にある藩の学校へ通うことになったのである。
しかし学堂での日々は、茅野先生を相手にしていた時ようにはいかなかった。
生徒は七歳から十二歳までで、お目見え以上の身分の者の子供に限られており、全体で三十四、五人ほどいた。
なお、お目見え以下の身分の者たちは、それぞれの学堂の教官の私宅で教えてもらうことになっていた。
学堂には校長のほかに教官が五人いた。
校長の名前は相良税所といい、身分は中老、白髪頭のとても温厚な人だった。
教官たちも、ちょっと怒りっぽいのや、妙に堅苦しくて四角ばっているのが少し目障りだなと思うくらいで、最初はまあ大したことはない相手だと高をくくっていたのだが、その中に一人だけとんでもない危険なやつが混ざっていた。
そいつの名前は花田欣弥といい、いやに優しげなどこかで聞いたような、思わせぶりですまし顔の名前だった。おまけになぜか肌の色が真っ白で眉が濃く、なかなかの美男子だったのだ。
ところが、そいつがとんでもない食わせ者だった。
学堂へ通い始めてから三日目のこと、そいつは悠二郎を廊下に座らせ、拳骨でコツンと額を小突いてきた。
五日目には、今度は濡れ縁のうえへ正座させられた。
そこはゴツゴツとした丸太を並べただけの縁側で、じっと座っているとすねの骨がグリグリと圧迫されて、今にも骨がバキッと折れてしまうのではないかと思えるほどだった。痛さのあまり、しまいには目の前がチカチカとかすんできたほどだ。
――この野郎、こんちきしょう!
と心の中で歯をくいしばり、「よし、終わりだ」と声をかけられるまで、意地でも泣き言を言わずに我慢し続けたけれど、恨みは骨髄にまで徹していた。「いつか絶対にこの仕返しをしてやる」と、心の中で固く誓いを立てたのだった。
それからも、庭に裸足のまま立たされたり、放課後に一人だけ残されたりして、毎日何かしらの罰をくわえられ、二日に一度は例の痛い濡れ縁に座らされる日々が続いた。
そして、入学して三十日ほどが過ぎたある日のことだった。その日も授業が終わってみんなが帰ろうとする中、花田先生は悠二郎に「お前は残っていろ」と冷たく命じたのだった。
ちぇっ、また残されかよ。
そう思いながら、すっかりうんざりした様子で、悠二郎は机の前にポツンと一人きりで取り残されていた。――すると、やがて花田先生がやってきて、お菓子が入った鉢をそこに置きながら、どっかりと腰を下ろした。
「露月堂(ろげつどう)の栗饅頭だ。さあ、食べなさい」
先生はそう言うと、まず自分で一つひょいと取った。
悠二郎は思わずごくりと生唾をごっくんと飲み込み、口の中がじゅわっと潤ってきた。
けれど、ぷいとそっぽを向いたまま、だんまりを決め込んだ。
「私はね、もう明日から授業をしないんだ。あと二、三日のうちに国元へ出発することになっている。――君ともこれで最後のお別れだからさ、一つくらい食べてくれよ。それから、大事な話があるんだ」

三

「食べたくありません! 饅頭なんて、大嫌いですから」
悠二郎はそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうにそう言い放った。
花田先生は手に持っていた饅頭をスッと鉢に戻すと、しばらくじっと悠二郎の顔を見つめていたが、やがて「そうか……」と小さく頷き、座り直した。
「私はね、もう少し君の面倒を見てあげたかったんだ。いま君をこのまま置いていくのは本当に残念でならない。おそらく普通の人には、君の良さなんかわからないだろう。ただの手に負えない乱暴者くらいにしか見られないはずだ……。それが心残りでね」
先生はそう言うと、少し声を落としてしんみりと語りかけた。
「これはまだここだけの秘密なんだがね、君は近いうちに、若君の御学友(ごがくゆう)に選ばれてお城にあがることになっているんだよ。
お城にあがるのは全部で七人いる。その中でも、君と新泉小太郎(にいずみこたろう)の二人には、私はとりわけ大きな期待をかけているんだ。君も新泉も、それぞれの特別な能力で若君のお支えをしなければならない。ほかの連中とは違うんだぞ。自分には重い責任があるんだということを絶対に忘れないで、しっかりやってくれよ」
それを聞いた悠二郎は、なんだか胸がモヤモヤして嫌な気持ちになった。
今の毎日の授業だけでも堅苦しくて息が詰まりそうなのに、もし若君のお相手になんて選ばれてお城にあがることになったら、一体どうなっちまうんだ。
とんでもない、そんなの絶対にお断りしなくちゃいけないと思った。
だけど、花田先生は自分に対してずっと厳しくしてきたし、反感だってもっている。こんな人に頼んだって無駄に決まっている――そう考えて、悠二郎は黙ったまま押し黙っていた。
「私の話はこれで終わりだ。君には少し厳しくしすぎたかもしれないな。その代りと言ってはなんだけど……、これをちょっと見てくれ」
花田先生はそう言いながら、自分の袴(はかま)の裾をまくり上げて、両方のすねをまざまざと見せてくれた。
まばらに毛が生えた、同じように真っ白なすねに、どちらも二寸(約六センチ)くらいの幅で、赤く大きく腫れ上がったようなミミズ腫れの痕が、四、五段ずつ痛々しく刻まれていた。
――なんだかよくわからないけれど、もしかするとあれが噂に聞く「血脚気(けっかっけ)」ってやつなのだろうか。悠二郎はぼんやりとそう思った。
そして、その栗饅頭をもらうと、そのまま黙って家に帰ったのだった。
あとで聞いたところによると、花田先生は国元の藩校の教頭という偉い役を命じられて帰ることになったのだそうだ。
先生の代わりには、中野健之助(なかのけんのすけ)という新しい教官がやってきた。この新しい先生はまだ若いのに眼鏡をかけていて、土みたいな色の顔をした、少しむくんだ人だった。おまけに、おじいさんのようにいつもコンコンと咳ばかりしている先生だった。
――悠二郎が周りの友達をつねったり、髪の毛をひっ張ったり、いきなり頬っぺたに墨を塗たくったりして教室を大騒がせしても、眼鏡をかけたそのたるんだ顔でこちらをぼんやり覗き込み、「どなたですかね、はい、どなたですかね……」などと、なんだか頼りなくうさん臭そうに言うだけだった。
悠二郎のほうもだんだんコツを覚えてきて、その頃からは先生から罰をくらうようなことも少なくなった。その代わり、今度はほかに一つ、とてつもなく嫌なことが始まってしまったのだ。
それは、新泉小太郎とのバチバチとした対立だった。――はじめは、そんなやつの存在なんてまったく知らなかった。
どうせみんな、のろまでどんくさい奴らばかりだと思っていたのだが、花田先生の口から自分と並べてその名前を聞かされて以来、いったいどんな恐ろしい野郎なんだろうと、どうしても気になって注意して見るようになってしまったのだ。
……そいつは、まるっこい体をしていて、頬っぺたはいつもリンゴのように赤く、眉毛と口元がきりっと引き締まった、なかなかの男前だった。

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