初級翻訳・桑の木物語 第8話

山本 周五郎

庭師はそんなものはお屋敷の庭へ植えるものではないと云い、なかなか承知しなかったが、若君がどうしてもきかないので、それでは内証ですからと云って、日月亭の裏のところへ二本植えた。
「こっちは若、こっちはおまえのにしよう」
若君は悠二郎にこう囁いた。
「これから毎年二本ずつ植えるよ、そうしてたくさんになったら、家中の者みんなに食わせてやるのさ、みんなうまいのでびっくりするよ」
明くる年も下屋敷でさかんにぬけ出した。
その翌年からは十二月にも、ひと月だけ下屋敷ですごすことになり、夏とは違ったいろいろの経験をした。――桑の木は、毎年のように二本ずつ増やして植えていき、一番はじめに植えたものは三年目から実をつけるようになりました。
若君が十六歳になった春、後見役の仕事が終わり、摂津守(せっつのかみ)という位をもらって「正篤(まさあつ)」と名前を改めました。そして、松平玄蕃頭(げんばのかみ)の娘で十七歳になる順子(じゅんこ)というお姫さまと結婚することになったのです。
「おじいさま、こんなひどいことがあっていいんですか!」
悠二郎は心からの怒りをぶつけながら、祖父に向かってこう詰め寄りました。
「先代の殿さまも、そのまた前の殿さまもお若いうちに亡くなっているじゃありませんか。
それはみなさん、早くに結婚なさったからなのでしょう? 準斎(じゅんさい)先生も、若すぎる結婚はその人の体にも良くないし、生まれてくる子どもも体が弱くなりやすいって言っていますよ。それくらいのことが、おじいさまにはわからないんですか!」
「わかっているとも。――そんなことは、おそらく誰だって分かっているさ」
「それならどうして黙っているんです! どうして止めようとなさらないんですか。
お嫁さんのほうは女の人の十七歳だからいいのかもしれませんが、若さまはまだ十六歳で、しかもあんなに体が弱いのに!」
「だが、こればかりは、どうしようもないことなのだ」
そう言って、虚木老(きょぼくろう)は静かに語りはじめました。
五代前の先祖から、なぜか不思議と藩主(お殿さま)たちが若くして亡くなっており、光覚院(こうかくいん)という人から前の代の浄松院(じょうしょういん)まで、ほとんどの人が二十二、三歳という若さで病気で亡くなってしまっているのです。
その頃の大名家では、早く結婚するのが当たり前で、形だけでも十三、四歳で結婚することは珍しくありませんでした。
――おそらくそれも原因の一つなのでしょうが、同時に医者たちの見立てでは、体質的な遺伝のようなものもあるらしいのです。室井準斎は、前の代の浄松院も診察した医者ですが、若君である信太郎の体質には、父親と共通した部分がたくさんあると指摘していました。
「人間の寿命というのはわからないものだ。どんな名医であっても、人の寿命を正確に当てることなどできまい。しかし、五代も続けて若くして亡くなり、体質もよく似ているとなれば、――大変おそれ多いことだが、あらかじめ短命であると考えておかなければならぬのだ」
そこで一番の問題になってくるのが、次の跡継ぎ(世継ぎ)のことでした。
六万三千石という広い領地と、大切な家名と血統、そして何よりもすべての家臣たちの暮らしを守るためには、どうしても次の世継ぎがいなければならないのです。
たとえ少しぐらい頭が弱くても、体が弱かったとしても、次の世継ぎだけは何としても必要なのだと。
「そんなばかなことがあるもんすか! いくらお世継ぎが必要だからって、そんなの……、それじゃあまるで、若さまの短いお命を、さらに縮めるようなものじゃないですか!」
「人間は、ただ生き長らえた年数だけで、人生が長いか短いかが決まるわけではないのだ」
興奮している悠二郎を見て、虚木老となだめるようにこう言いました。
「土蔵の中でただぼんやりと百年生きるのと、賑やかな町の中で精いっぱい三十年生きるのとでは、自分が経験した中身を比べてみるがいい。どちらが本当に長く生きたことになるか……。
――悠二郎、お前ならわかるだろう」
「いいえ、わかりません! そんなことが若さまとどう関係があるんですか!」
虚木老は苦笑しながら、勘の鈍いやつだとつぶやき、「どうしてもわからなければ、よく自分で考えなさい」と言いました。
正篤は奥の御殿から表の御殿へ引っ越すことになり、これまでのお相手役は解散となって、悠二郎と新泉(しんせん)、そしてあの食いしん坊の原(はら)の三人が、新しく側小姓(そばこしょう)として仕えることになりました。
――その頃の悠二郎は、正篤に向かってはたびたび、それとなく「若すぎる結婚は体によくない」という話をしました。
はっきりと面と向かっては言えなかったので、別の話にたとえて伝えたのですが、正篤も何かを察したようで、「おれのことなら心配しなくて大丈夫だよ」と微笑んでいました。
順子姫のお輿入れ(結婚の儀式)は三月中旬に行われました。
しかし正篤は表の御殿で寝起きを続け、どうしても避けられない行事のほかは、決して奥の御殿へ行こうとはしませんでした。
――そのことについて、まわりではかなり複雑な話し合いやいざこざがあったようです。
正篤の母親である清香院(せいこういん)にとっては、順子姫は親戚の血筋であり、とても気に入っていた相手だったため、この縁談も彼女の強い希望でまとまったものだと言われていました。
――それに、母親としては一刻も早くお世継ぎが欲しかったということもあり、一刻も早く寝所を奥の御殿へ移すようにと、かなり厳しい催促があったのです。
そんなピリピリとした空気のあいだに入って、勘右衛門(かんえもん)と室井準斎があちこちを取り持ち、「正篤の体がまだ万全ではない」という理由をいちばんの建前にして、ごく自然なかたちで夫婦生活の開始を先延ばしにしていったようでした。
その年の六月になると、すぐに本所の下屋敷へと引っ越し、若君はさっそくまたこっそり抜け出しを始めました。
舟仙(ふなせん)ではみんなが首を長くして待っていましたが、なかでもおみつはこれまでにないほど大喜びで、「みんなでお揃いの浴衣(ゆかた)を作っておいたんだからね!」などと言って、自分で浴衣や三尺帯(さんじゃくおび)を持ってきては、そばにつきっきりで着付けの世話を焼きました。
「悠ちゃん、三尺帯はもっと下のほうに締めるものよ。信さんも、もう少し下にしなくちゃ――そう、うん、いいわね。柄もふたりにすごく似合っているわ!」
おみつはまるで大人びた口をききました。
家業が家業ですし、下町の浅草で育ったせいかませてはいましたが、去年と比べても背丈がぐっと伸び、顔立ちも目立ってきれいになっていて、十三歳という実際の年齢よりも一つか二つ年上のように見えました。「生意気言うなよ、自分で仕立てたわけでもないくせに。向こうにいってろよ、うるさいなあ!」
「縫いはしないけど、柄あたしの見立てだもん」
「道理で田舎くさいと思ったぜ。お前なんぞ、まだそんな柄の似合う年頃じゃねえや。おしゃぶりでもしゃぶって、おままごとでもしてるがいいさ!」
「いいもん! 気に入らないなら脱ぎ捨ててちょうだい!」
「お情けで着てやるよ、可哀そうだからな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました