合唱長として、そしてオルガン奏者として、ライプチッヒで過ごした数十年間、バッハは完全に「神を讃えるための音楽」に没頭していました。そう言っても決して言い過ぎではありません。
二つの教会では、日曜日や祝日に大礼拝が行われ、そのたびに聖歌隊とオルガン、オーケストラによってカンタータが一曲演奏されました。
オルガンだけの伴奏で済むこともあれば、時には壮大な受難曲やオラトリオが演奏されることもありました。
バッハは、ただ合唱長としての務めを果たすために、毎週毎週、必要とされる曲を書き続けたのです。
彼が作曲したカンタータは、三百曲にも上ります。
一曲の楽譜が数十ページから数百ページに及ぶこともあり、演奏に何時間もかかるものさえありました(たとえば「クリスマス・オラトリオ」のような曲は、五回の日曜日に分けて演奏しなければならないほどでした)。
それでもバッハは、見返りを求めることもなく、人生の半分を捧げて作曲を続けました。
彼は名声を得ることを喜ぶような浅はかな人間ではありませんでした。
もちろん、お金のために作曲したことなど、たったの一小節もありません。
ただ神を讃えるために、そして自分の職責を全うするために、珠玉のようなカンタータを毎週一曲ずつ、書き上げては捧げていったのです。
「書き上げては捧げた」という表現が、この場合には一番しっくりくるでしょう。
バッハのカンタータは、出版するためでも、人に見せるためでも、お金に換えるためでもなかったのです。
彼は自分の楽譜を人に見せることを嫌い、そのせいでかえって損な立場に置かれることさえあったと伝えられています。
バッハの作品で、彼が生きている間に印刷・出版されたものはほとんどありません。
彼は天才のひらめくままに、神への祈りのままに、何百曲もの音楽を生み出し、捧げていきました。
芸術というものは、このような動機から生まれてこそ初めて尊いのです。
彼の音楽が、のちの流行音楽家たちには決して到達できない高貴さを持っているのは、彼自身の天才的な才能だけでなく、実はこの「神に捧げる」という純粋な心のあり方にこそ理由があると言えるでしょう。
名声や利益にこだわらない人は世の中にいるかもしれません。しかし、自分の芸術作品にさえ、神に捧げること以外には何の執着も持たなかった人物は、少なくとも音楽の世界においては、ヨハン・セバスティアン・バッハ以外にいないと私は確信しています。幸いなことに、バッハの二度目の奥さんは音楽をよく理解し、楽譜を書き写すのが得意な人でした。夫であるバッハが書き上げたあと、そのまま放っておいて顧みることのなかった三百曲ものカンタータのうち、百九十曲までは、十三人もの子供たちを育てながら、彼女がせっせと書き写して残してくれたのです。
バッハの偉大さを語るなら、私たちはその素晴らしい業績を、二百年後の私たちにまで届けてくれた、二度目の妻アンナ・マグダレーナの献身的な支えに感謝しなければなりません。
バッハの音楽に「神聖さ」を感じるのは、まさにそのおかげなのです。
後世に生きる芸術家たちは、神を真っ直ぐに見つめていたバッハと比べて、その心の持ちようがあまりに違っているのではないでしょうか。
芸術が神聖さを失い、人間らしさを失い、今では獣のような荒々しさを帯びようとしているのも、当然の報いなのかもしれません。
私たちのこの時代は、「悪魔」のために作られた音楽が多すぎて、もううんざりするほどなのです。
そんな時代の中で、バッハは現在の音階のルールである「平均律」を確かなものにするため、あらゆる調を使って二十四曲もの「前奏曲とフーガ」を二通りも書き上げました。
また、対位法とフーガという難しい技法のために「フーガの技法」を書き残しました。
さらに、たくさんのオルガン曲のほかに、ヴァイオリンやチェロのための素晴らしい名曲も数十曲作りました。
一七五〇年七月二十八日、十三人の子供たちに見守られながら、晩年は目が見えなくなっていたバッハは、安らかな永遠の眠りにつきました。
バッハに対して「西洋音楽の父」という言葉ほど、ふさわしい呼び名はありません。
彼の音楽は理知的で、複雑な旋律を絡み合わせる対位法を用い、近代音楽の基礎をしっかりと築き上げただけでなく、音楽に心の内面を表現する深みを与え、ドイツの魂を音楽で裏打ちした最初の人でもあったのです。
バッハの音楽は、一見すると難しそうな顔をしているように見えますが、その奥底には、汲めども尽きぬ深い人間愛が流れています。
すべての音楽好きは、結局のところ、一度は必ずバッハのもとへ帰ってくるのです。
バッハは西洋音楽にとっての「メッカ(聖地)」であると言っても、なんの文句があるでしょうか。
実際、私自身も「ブランデンブルク協奏曲」や「平均律クラヴィーア曲集」、「カンタータ」の数曲、「組曲」、「ソナタ」、そして「オルガン曲」などのレコードを、いつも手の届くところに置いて、この数年間を過ごしてきました。
バッハの音楽は、最も素晴らしい慰めであり、最も素晴らしい先生です。
悲しいときも、嬉しいときも、私は自分の心の鏡をバッハの音楽の中に探し求めます。
二百年という時を超えて、バッハの音楽は、私たちの心に絶えることのない光と歓びを、そして慎み深い心を、今も与え続けてくれているのです。
バッハの作品とレコード
バッハの音楽をレコードで聴きたいという人のために、代表的な作品がどのようにレコード化されているかを簡単に紹介しましょう。
バッハの作品は決して大衆向けとは言えないにもかかわらず、そのレコードの数はベートーヴェンやモーツァルトに次ぐほどの多さです。
それらを一つひとつ詳しく説明することは不可能であり、またあまり意味もありませんので、ここでは厳選して、昭和十六年の日本で手に入れやすいレコードの中から、特に優れたものだけを挙げることにします。
それは、バッハの全レコード数から言えば、十分の一にも満たない少数の名盤たちです。
カンタータ(交声曲)
バッハが作った二百曲近いカンタータのうち、レコードになっているものは一体いくつあるでしょうか。
第四番と第百四十番のカンタータは、全曲に近いものがビクターから出ていますが、残念なことに演奏があまり上手とは言えず、そのうえカタロニア語で歌われていることや、録音が非常に古いため、聴いていて物足りなさを感じてしまうかもしれません。
バッハのレコードはたくさんあると言っても、彼の膨大な全作品から見れば、ほんの一部に過ぎません。
彼がその生涯の大部分を捧げ尽くして書き上げた、最も貴重な作品である「カンタータ」でさえ、その程度の状況なのです。
もっとも、一部だけを抜き出して録音したものは相当たくさんあります。
その中から特に興味深いものを挙げるとすれば、コロムビアから出ている、ティルの独唱による「わが心をとりたまえ」(第六五番)、「ああ不思議なる愛」(第八五番)、そしてラインハルト合唱団による「吾等病める足を持ちて雄々しくも急げり」(第七八番)、この二枚は傑出したレコードと言えるでしょう。
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