初級翻訳・火の子供 第4話

原 民喜

だから、もし彼が死んでしまえば、人類の生存以来続いてきた一つの点線が、彼のところでパタリと途切れてしまうことになる。
この空白の想定は、彼を何か慄然とさせるのだった。体験することに憧れていた少年の僕も、その先には底なしの深い穴がぽっかりと口を開けているような気がしたものです。
学生だった僕は、その頃、不思議な男と友達になってしまいました。
(これは今でも遠くから僕の心を揺さぶる、不思議な人間像なのですが……)僕が初めて彼と知り合った頃、彼はすでに家が没落してほとんど一文無しで、街の中に放り出されていました。
倒産と同時に亡くなった父親は実は叔父で、本当の父親はもっとずっと前に亡くなっていたのです。
それに、今まで生みの母だと思っていた母親は、養母だったのです。
そんな事実が、その時になってようやく彼にはわかったのでした。
「だから、こんなこともあったんだ。
子供の頃の僕はいたずらをして、罰として父親に両手を紐で縛り上げられ、押し入れの中に閉じ込められる。
しばらくすると、僕は押し入れの中で泣き叫んでいるんだ。
縛られていた紐が、ひとりでに解けてしまう。
紐が解けてしまったから、『もう一度縛ってくれ』と泣き叫んでいるのだよ。
こんな悲しい子供がいるだろうか」
だが、僕がその頃、なぜかその友人に強く惹きつけられていたのは、やはり彼の内側にある、人並み外れて悲しい人間の姿だったのかもしれません。
街に放り出された彼は公園のベンチで夜を明かしたり、十日ぶりにありついた一杯のご飯に涙ぐんだりすることもありました。
そうした悲惨な境遇は、当時の僕にとっては未知の世界でしたが、友人の顔には全身全霊で何かに耐えようとする強い表情がありました。
時折、僕は彼の内に潜む、どこまでも明るい不思議な力を仰ぎ見るような気持ちになるのでした。
彼は僕と会うたびに、絶えず詩のことを話しかけてきました。
その話し方は、どこかもどかしくて僕にはうまく伝わらないところもありましたが、彼の熱い情熱は、痛いほど僕にも伝わってきました。二人は街を歩きながら、まるで遠い世界の果てを見つめているようでした。
宇宙も歴史も人類の流れも、すべてがごちゃ混ぜになって、くらくらと僕たちの心の中に飛び込んでくるような気がしたのです。
それから彼は、人間の尊厳を奪おうとする怪物に対して、いつも怒りの目を燃やしていました。
貧しさと戦いながら、彼は少しずつ自分の生きる道を切り開いていきました。
ある不幸な女性と知り合って結婚すると、やがて自分の力で小さな家まで建てたのです。
その小さな家には、いくたびも怪物の手が伸びようとしましたが……。
そうして、とにかく時は流れていきました。
その友人の家は戦火を免れて、どうにか地上に残されていました。
住む場所を失った僕は、友人の家を頼ってそこに一時身を寄せました。
だが、久しぶりに会った友人の顔は、ひどく暗く沈んだ顔つきに変わってしまっていました。
それは何か重苦しいものに押しつぶされてしまった人間のようでした。
それはまだ、何ものかを限界まで堪えようとしている姿でもありました。
そして、まるで囚人のような重苦しい表情の奥底に、ひどく優しげな光がかすかに揺れていました。
こんなに悲しい人間がいただろうか、僕はひそかに驚かされてしまいました。
しかし、その重苦しさは小さな家全体に満ちていて、もうどうにもならないことが僕にもわかってきました。
恐ろしい顔つきをして黙り込んでいるこの家の奥さんも、いつも何か激しい苛立ちを身の内に隠し持っていました。
時として、この小さな家は地割れが起きる直前の、張り詰めた呻きの中にいるような感じがしました。
ほんの些細なきっかけ一つで、この家は崩壊してしまいそうだったのです。
その友人はまだ詩を書き続けていました。
僕は一度、そのノートを見せてもらったことがあります。
そこには人間の無数の陰惨さと、破滅に瀕した地上の無数の傷口が、ギリギリの姿で歌い上げられていました。
そして、誰かが一筋の光(それは真っ黒な雲の切れ間から漏れてくる、飴色の太陽の光のようでした)を、かすかに手を伸ばして求めているようでもありました。
彼は、ほとんどすべての人間の不幸を、想像の上でも体験の上でも背負いきれないほど背負わされて、精神の海の暗い深底にある岩礁に、爪を立ててしがみついているのではないかと思えました。
ある日、その友人は黙って旅に出かけてしまいました。
それからしばらくして、僕もその窒息しそうな家を飛び出したのです。
その友人は旅に出たまま、ついに戻ってきませんでした。
だが、そのうち手紙が頻繁に僕のところへ届くようになりました。
それを読むたびに、僕は何か激しいものに揺さぶられる気持ちがしました。
彼は遠い北国で一人の愛人を得て、そのままそこへ住み着いてしまったのです。
「私がこの数年来の、絶望の脱走や自殺の手前で植え付けられた、傷心の生活については、ほとんど誰にも言わなかったが、私の自殺の予行演習は今終わった。
今、ひとりの女性の姿が立った。
私はそのまなざしの光の中をのぼり、底へ底へと深淵をくぐる。
ここにはじめて、私は底を極めることができるはずの光を見た。
私の救済は、吹雪の中で見た雪女から始まった。
この女は愚かさを知って甘んじて身を捨て、清らかに母を養う処女。
私はその裸身を抱きながら、まだいつまでも処女でありうるという交流を行っている。
私はもうここを去らない。
この眼差しの光の中になくては、私は何も考えられない。
私は甦る。
私ははじめて真実に立ち向かう。私は生きがいというものを、生の均衡というものを知った……」
これはその手紙の一節なのだが、彼は雪と氷柱の土地で新しい愛人を得て、見事な人生を踏み出したのだろうか。
だが、実際は裏街の貧民街にある狭い家で、母親と姉、そして彼の愛人が入り混じった、ごちゃごちゃとした同居生活だったようだ。
彼はほとんど絶え間なく、僕に手紙をくれるようになった。
すさまじい勢いで絶えず詩を書き、心は常にそのあばら屋の中で昂ぶっていることがわかった。
僕は、この友がこの地上で受けたすべての傷が、この地上で癒やされることを祈っていた。
だが、そのうちに友の手紙は、だんだんと絶望に近い調子を帯びてくるのだった。
「奈落だ、奈落だ――どこを見回しても奈落ばかりなのだ。
僕はあの牢獄で独房にいたときが、一番幸福だったと思う」
「明日の光にだまされて、人間に絶望できない絶望が苦しい。
人類で正しいのは被害者だけだ。
しかも、ほとんど全部が加害者なのだ」
これは裏街の貧民街の狭い家で、老いた母親と意地の悪い姉、そして彼の愛人との同居生活から生まれる軋みであり、呻きのようなものであった。
……友は暗黒の壁で頭を叩き割ってしまったのだろうか。
無数の魂の傷を負い、人間に絶望しながら、友はついにこんなことを叫ぶ。
「惨めなものだ。
子孫を残すほかに目的のない人生というもののなかでは、女と子供だけが光だ。
他はみんなまやかしだ」
この言葉を、僕は驚かずには受け取れなかった。

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