初級翻訳・火星兵団 第6話

海野 十三

(おや、あの謎、どこまで考えたんだっけかなあ)
大江山課長は、それを思い出すだけでも一苦労でした。
それと同時に、課長はなんだか不思議な気持ちになりました。
というのも、あんなにガミガミとうるさく言っていた蟻田博士が、その後、全く連絡をしてこなくなったからです。
課長は、時間がたつにつれて、だんだん博士のことが心配になってきました。
そこで課長は、部下の刑事を呼び出しました。
「おい、佐々くん。今すぐ出かけて、蟻田博士が何をしているか様子を見てきてくれないか」
「ははーん。いよいよ、また始まりますね」
「何が始まるんだ?」
「いやあ、あの変な博士との、おかしな問答ですよ。今度はこっちも負けないようにデタラメな言葉を用意して、博士の方をびっくりさせてやりましょうかね。わっはっは!」
佐々刑事は帽子をひっつかむと、元気に課長の部屋を飛び出して行きました。
ところが、しばらくすると、彼は顔色を変えて戻ってきたのです。
「課長! 大変です!」
真っ青な顔をして戻ってきた佐々刑事は、大江山課長の机に身を乗り出すようにして、ただごとではない声を出しました。
「どうしたんだ、佐々くん!」
課長も、胸を鋭いもので突き刺されたような、嫌な予感がしました。
「課長! 蟻田博士が、姿を消してしまいました!」
「姿を消しただって? 家出したのか、それとも事件に巻き込まれたのか、どっちなんだ!」
大江山課長も、息を切らしながら問い返しました。
まったく、とんでもなく厄介なことになってしまいました。
「火星兵団」のことを言い出した博士が、不気味な謎を残したままいなくなるなんて、本当に困った話です。
「わしのほかに、この謎を解ける人間はいないだろう」なんて、大きなことを言っていた博士です。
多少は大げさに言ったのかもしれませんが、それにしても、謎を出した本人がいなくなってしまっては、お手上げです。大江山課長は、佐々刑事の返事を、じっと目を見開いて待っています。
佐々刑事は、課長から「家出なのか、それとも殺されたのか」と急に問いつめられたので、ハトが豆鉄砲を食らったみたいに目を丸くして、しばらくは言葉が出ませんでした。ですが、やがてゴクリとつばをのみ込みました。
「ええええ、そ、それは……」
佐々刑事は、あわてると言葉がつまるクセがあったのです。
「そ、それは――つまり、蟻田博士は、いつの間にか天文室から消えてしまったんです! 机の上も、天体望遠鏡の位置も、博士がその部屋にいたときとまったく同じ状態のままなんです。天井の窓もあけっぱなしでした。ですから天体望遠鏡にも、机に置いてあった論文や本の上にも、夜露がしっとり降りてベタベタになっているんですよ」
「ふうむ、なるほど」
「だから博士は、まるでちょっとトイレにでも行くかのような感じのまま、行方不明になってしまったんです!」

蟻田老博士が行方不明になった!
「火星兵団」の謎を解くことができるのは自分だけだと威張っていたあの老博士が、突然いなくなってしまったのです。
佐々刑事が大江山課長に報告した内容によると、博士の屋敷にある天文室の様子は普段と少しも変わっておらず、天井の窓は開け放たれたままで、机の上にも望遠鏡にも夜露が降りているといいます。
「博士が部屋から姿を消したのは、何時のことかね?」
と、大江山課長は尋ねました。
「それはわかりません。あのお屋敷には博士が一人で暮らしているだけですから、誰もわからないのです」
「ふむ、博士は一人で暮らしているのか。では、食事などはどうしているのだろう?」
「食事は外へ食べに行ったり、あるいはパンなどを買いためておいて、それを引っ張り出して食べているらしいんです。私がさっき行ったときも、包み紙からパンが半分顔を出していましたよ」

博士は、かなりの変わり者です。
「だが、一日の中には、誰かしら博士の屋敷を訪ねてくる人がいそうなものだ。たとえば、ガスのメーターを調べにガス会社の人が来たり、クリーニング屋さんが取りに来たり、そういう人がいそうじゃないか」
「さあ、どうでしょうね。これからの捜査を待つしかありませんよ」
「ふーむ、そいつは困ったな」
と、課長はまゆの間にシワをよせて考え込んでしまいました。
「どうしますか? すぐに無線パトカー隊へ連絡して、捜索の手配をしましょうか?」
「いや、そんなことはしない方がいい。おい、佐々くん。君が案内してくれ。僕が直接行って、じっくり調べてみよう」
「えっ、課長と僕の二人だけでですか……?」
「そうだ」
と課長は大きくうなずきました。
「それから、博士がいなくなったことは、当分のあいだ世間には秘密にしておくんだ」

4 わからない話

蟻田老博士が行方不明になった事件は、新聞にも載りませんでしたし、ラジオのニュースで放送されることもありませんでした。
その理由は、大江山捜査課長の深い考えによって、「世間には知らせない方がいい」ということになったからです。
新聞社にもラジオ放送局にも、ニュースとして報道してはいけないという命令が出されました。
そして課長の部下の刑事たちは、老博士の行方をつきとめるため、あちこちへ飛び出して大捜査を開始したのです。
けれども、老博士がどこへ行ったのかは、いつまでたってもさっぱり分かりませんでした。
そうこうしているうちに、20日ほどの月日がすぎてしまいました。

ちょうどそのころ、みなさんもよく覚えていると思いますが、あの「天狗岩(てんぐいわ)事件」が起こったのです。
天狗岩事件といえば、友永千二(ともなが せんじ)くんが夜釣りに行く途中、思いがけず天狗岩の上に怪しい物体が飛んできたのを見つけ、そこから彼が勇気を振りしぼって天狗岩へと登ったところ、謎の人物に組みつかれ、もみ合っているうちに二人そろって岩を滑り落ち、ドボンと湖の中へ落ちてしまったという事件です。
ですから、その当時は蟻田老博士が行方不明になったままでしたし、そこへ重なるようにして千葉県で不気味な天狗岩事件が持ち上がったというわけでした。
一見ばらばらに見えるこの二つのあやしい事件には、何か恐ろしいつながりがあるのでしょうか? それとも全く関係ないのでしょうか?

いや、それよりも、友永千二くんはその後どうなってしまったのでしょうか?
湖の中に落ちて、そのままおぼれて死んでしまったのでしょうか?

千二くんは、生きていました!
彼は今、ふと意識を取り戻したのです。
目が覚めた瞬間、彼が感じたのは、なんだかものすごく長い夢を見続けていたような感覚でした。
「ああっ――」
千二くんは、うっすらと目を開けました。
「ああっ――」
千二くんが意識を取り戻したとき、一番最初に感じ取ったのは「におい」でした。
それは、ほんとうに不気味でヘンテコなにおいだったのです。
彼はクンクンと鼻を鳴らして、それが一体何のにおいなのかを確かめようとしました。
けれど、彼の覚えている世の中の記憶の中に、そんなにおいを放つものはひとつもありませんでした。

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