だが、大江山課長も、まさか自動車が崖を飛び出す前に、千二少年が車の外へつきとばされていたのだとは、そこまでは思いもよらなかった。
千二少年は助かって、ちゃんと生きている。
では、残りの怪人丸木はどこにいるのだろう? そして、どうやって命を助かったのだろうか?
19 怪力
大江山課長は、崖の下に集まっている警察官や刑事たちを励まして、もう一度しっかりと念入りに捜査をするように命じた。
「必ず、この近くに何かの手がかりが残っているはずだ。
それを見つけだすまでは、われわれはいつまでも、ここから引き上げない決心だ。
さあ、しっかり探してくれ!」
課長は、聞いているだけでも胸が痛むような切実な声で、そう叫んだのであった。
「わかりました、やってみます!」
部下たちはそう答えて、課長の前からパッと散っていった。
かがり火がたかれ、現場のあたりは一段と明るくなった。
捜査のために右へ左へと動き回る人々の顔が、そのかがり火の光をうけて、まるで鬼のように真っ赤に照らし出されていた。
このとき佐々刑事は、懐中電灯で足元を照らしながら、自動車の落ちた崖のすぐ下のあたりを、夢中になって探していた。
「このあたりに、足跡がついているはずなんだけどなあ……」
彼はていねいに、崖の下を歩きながら調べていた。
「こんなに頭を使うなら、頭がよくなるライスカレーを、おもいっきり食べてくればよかったなぁ……」
頭がよくなるというライスカレーのことを思い出して、佐々刑事はなんだか悔しくなった。
そのとき、佐々刑事の進んでいく方向とは反対に、こちらへ歩いてくる一人の警察官がいた。
そのお巡りさんは、夢中で崖の下を照らしている佐々刑事の姿を、何か言いたげな様子でジロジロと見ていたが、やがてあたりをキョロキョロと振り返ると、足早に佐々のほうへ近づいてきて、
「おい君。
この辺りで、子どもを見かけなかったか?」
と、声をかけた。
「なんだって、子ども?」
佐々は顔を上げたが、きょとんとした顔をした。
とつぜん話しかけられて、佐々刑事はちょっと面食らってしまった。
「子どもって、何のことだい?」
佐々は問い返しながら、相手の顔をしげしげと見た。
相手は、制服を着たお巡りさんだった。
帽子を目深にかぶっていて、その帽子のツバの陰からこちらをじっと見つめている。
しかし、佐々刑事は、あんな顔のお巡りさんは今まで一度も見たことがなかった。
芝警察署のあたりから応援に駆けつけたお巡りさんなのかな、と佐々は思った。
「子どもだよ。
この辺りで、子どもを見なかったかね。
その子どもは、もしかしたら死んでいたかもしれない。
子どもの足跡だけでもいい。
君、何か知っていたら教えてくれないか」
そのお巡りさんは、少し言葉をつまらせながら、そんなことを言った。
「さあ、僕は何も見かけなかったけどねえ」
相手の様子が、どうも何だか変だった。
よく見ると、そのお巡りさんは、あごから喉のあたりにかけて、白い包帯をぐるぐる巻きにしているのであった。
「おい君、どうしたんだい、その包帯は?」
そう言って、佐々はちょっと失礼かなとは思ったが、懐中電灯の光を相手の喉のほうへ向けた。
すると、相手はびっくりしたように、
「な、何をするんだ!」
と大声を出して、横にピョンと飛びすさった。
「っと、失礼失礼。
いやね、その包帯はどうしたのかなと思ってさ。
いったいどこで怪我をしたんだい?」
「風邪をひいたんだよ。
だから包帯を巻いているんだ」
相手はツッケンドンな口調で言った。
「そうなのかい。
風邪をひいているのか。
でも、あごまで包帯でぐるぐる包んでしまうなんて、君は随分とかわり者だねえ」
「ふん、おれのすることに、君が口出しすることはないだろう」
相手はまるで怒ったような、ぶっきらぼうな言い方をした。
「君が探している子どもってのは、いったいどうした子どもなんだい?」
佐々刑事は、この変わったお巡りさんに、そうたずねたのだった。「ああ、その子どもというのはね、背がこれくらいの少年なんだ」
と、あごに包帯を巻いたそのお巡りさんは、自分の胸のあたりに手を掲げた。
「名前は?」
「名前は――名前は、千二というんだ」
と、お巡りさんは言った。
「千二というのか。
はて、聞いたような名前だが……」
佐々刑事は、首をかしげた。
千二? そうだ、千二といえば、あの天狗岩事件や銀座事件でつかまえた、あの少年が千二という名前だった。
「千二というのは、けさ警視庁から釈放された、千葉県生まれの少年のことじゃないのかね」
「ああ、そうかもしれない。
とにかく、その千二という子どもに会いたいという者がいて、その頼みで探しているんだ」
「へえ、そうかね。
で、それを頼んだ者というのは誰かね。
もしや、丸木とかいう、怪しい男じゃなかったかね」
「丸木?」
と、あごに包帯を巻いたお巡りさんは、何にびっくりしたのか少し言葉につまったが、
「ああ、あの丸木なら、もう死んでしまったじゃないか。
ほら、あそこで皆が火をたいて集まっているが、丸木は自動車に乗ったまま、この向こうの崖から落っこちて、死んでしまったということだよ。
丸木は、もうどこにもいない」
「ほう、君は丸木のことをよく知っているね。
それから、千二少年のこともよく知っているらしい。
いったい君は、どこの警察署の人かね」
「わしのことかね。
わしは、そのう、つまり日比谷署の者だ」
「うそをつけ!」
佐々刑事は、何を思ったのか、あごに包帯を巻いているお巡りさんに、うそをつけと激しい言葉を浴びせた。
「何がうそだ。
警官に対して何を言うのか。
お前こそ、どこの何者だ」
相手はきびしく、佐々に向かって逆襲してきた。
「君はおれを知らないのか。
すると、いよいよ君はもぐりの警官だということになる。
おれは本庁随一の腕利き刑事で、佐々というけちな男だ」
「えっ」
「おれが腕利きだということは、もう四、五分のうちに君にもわかるだろう」
「なにっ」
相手のお巡りさんは、思わず一歩、二歩と後ろへ下がった。
「――ということは、おれは偽警官の貴様を縛り上げて、留置場へのおみやげをこしらえようとしているんだ。
こら、神妙にしろ!」
佐々刑事は、いきなり相手に飛びかかった。
相手のお巡りさんは、逃げるひまがなかった。
佐々は彼をその場に押し倒そうとしたが、
「おや、貴様は何を着ているのか。
うむ、鎧を着ているんだな。
いよいよ怪しい奴だ。
神妙にしろ!」
と、ねじ伏せようとした。
ところが、相手は佐々に抱きつかれたような格好のまま、びくともしなかった。
「それを知られたからには、貴様の命はもらった。
覚悟しろ」
ううんと、相手はうなった。
そうしてあべこべに、佐々の胴回りに腕をまわし、ぎゅうと締めつけた。
「生意気なまねをしやがる。
貴様は佐々刑事の強いのを知らないと見えるな」
相手のお巡りさんは、なかなかに強かった。
喉に包帯を巻いて風邪をひいているなどと言っていたので、さぞ弱い相手だろうと思っていたが、とんでもない、強かったのだ。
佐々刑事はタジタジだった。
二人は組みついたり離れたり、打ち合ったりしたが、なかなか勝負がつかない。
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