初級翻訳・火星兵団 第78話

海野 十三

怪人丸木は、寝室の二重の扉をしっかりと閉めると、大きな一つの袋の中に入り込みました。
それは蚊帳のように四角い形をしていましたが、空気が絶対に漏れない特別な仕組みになっていました。
その袋のすそには小さなポンプがついています。
そのポンプを動かすと、袋の中の空気がどんどん外へ吸い出されていきました。
すると、中の気圧がどんどん下がっていきます。
圧力計の針がぐっと左へ動き、赤い目印のついたところまで来ると、ポンプは自動的にピタリと止まる仕組みでした。

それまでぼんやりと立っていた怪人丸木ですが、ポンプが止まると急に活発に動き出しました。
彼はまず、トレードマークの長いマントをスルリと脱ぎ捨てます。
マントの下の姿はいつも通り、太いドラム缶のような胴体に、スイカのように丸い頭がのっかっており、手足にいたっては、少し太めの針金を組み立てて作ったかのように、妙に細いものでした。
彼は上に手を伸ばすと、まず自分の大きな頭をスポッと丸ごと抜き取り、床に置きました。
それがすむと、今度は自分の胴体の真ん中に手をやり、ゴソゴソと何かをいじりはじめました。すると、ドラム缶のような胴体が、真ん中からパカリと縦に二つに割れたのです。
中から現れたのは、赤黒くて不気味な形をした異様な生き物で、大きな目をギョロリと光らせながら、はい出してきました。
その姿は、まるでタコそっくりだったのでした。頭の下には、胴がほとんどなくて、たくさんの根のようなと言うか、触手のようなと言うか、へんにぐにゃぐにゃした触手が生えている。
彼はそのぐにゃぐにゃした触手を、袋の底にいっぱいに広げる。
その時頭は、もちろん敷物の上においたフットボールの球のような有様だ。
そこで彼は目をあいたまま、ねむりはじめるのだった。
そうして、今も彼はよく眠っているのである。
怪人丸木は、蚊帳のような形をした減圧箱の中に、だらしなく眠っている。
――
 朝日が、天井窓からさしこんで来た。
何の音も聞えない。
静かな朝であった。
人間たちの、さわぎをよそに、丸木はすっかりいい気持で眠っているのだ。
するとその時、天井からさしこんで来た光が動いた。
朝日の光が動いたのではない。
光の中に、別の人がはいって来たのである。
影法師の人間が、減圧箱の上に影をなげかけた。
大きな頭がうつった。
その頭には、不思議にも鬼の角のようなものが生えていた。
鬼か?
 鬼でもなさそうだ。
角は、二本よりも、もっとたくさんあった。
そうして束ねた髪の毛のように、ぶらんぶらんゆれていた。
やがて一本の梯子が、上から下りて来た。
そうして床の上についた。
その梯子を、つたわって、下りて来る者があった。
さっき影を見せていた、あの鬼のような人物だった。
黒いマントを着ていたが、下に下立ったところを見ると、それは外でもない千二少年であった。
ああ、千二少年!
 千二は、今までどこにいたのであろう? 今、千二はただ一人で下りて来た。
だが、かわったすがたをしている。
黒マントはまだいいとして、たいへんかわっているのは彼の頭部であった。
角が生えているのかと思ったが、そうではなかった。
千二は、妙なかぶとのようなものを、頭にかぶっているのだ。
そのかぶとのようなものは、きっちり千二の頭にはまっていたが、そのかぶとの上には、あちらこちら螺旋のようなものがぶらさがっていて、千二が歩く度にゆれた。
とつぜん、あらわれた千二少年!
 妙な形のかぶとのようなものを、かぶっている千二少年!
 その千二は、少し様子がおかしかった。
目と言えば、うすく半分だけあいている。
歩くかっこうと言えば、頭の方が先に出る。
操り人形みたいである。
その千二少年は、よろよろとよろめきながら、怪人丸木の眠る減圧箱のそばによった。
「ねえ、隊長。
もう起きる時間ですよ」
 と、千二は火星語ですらすらと言った。
丸木は、それが聞えないのか、まだ、眠っている。
千二は、もう一度同じような調子で言った。
すると、眠っていた丸木は、ぶるぶると長い手足をふるわせた。
と思うと間もなく、丸木は大きな頭を持ち上げて、ぐらぐらとふった。
それは、まるで猫がひる寝から目がさめて、背のびをする時のかっこうに、よく似ていた。
「おお、もうそんな時間か」
 丸木はそう叫ぶより早く、体をぐっとちぢめると、床の上を目にもとまらぬ早さで這出した。
そうして、あっと思う間もなく、かたわらにおいてあったドラム缶のような、胴の中にとびこんだ。
胴はたちまち左右から寄って、ぱちんと、しまってしまった。
すると、胴中に生えていた手足が、急に勢いよく、ばたばた動き出した。
そうして、かたわらにおいてあった首の方へ手をのばすと、それをひょいと肩にのせたのであった。
――とたんに、完全な丸木氏が出来あがってしまった。
不思議な丸木の朝の日課であった。
千二少年は、少しも驚く様子がなく、そばにじっと立っていた。
不思議な日課を終えた丸木は、減圧箱の中から出て来た。
そこで彼は、減圧箱を足でぽんと蹴った。
すると減圧箱は、ゴム風船がちぢむ時のように見る見る小さくなった。
そうして誰もさわらないのに、ポストぐらいの大きさのものになると、ことことと音を立て、ひとりで部屋のすみのところへいった。
そこでは、どうしたわけか、かたりと音がして、その折りたたまれた減圧箱を、部屋の隅に、動かないようにくくりつけてしまったのであった。
――火星人が持って来た宇宙艇には、このような不思議な働きをするものが、いくつもあった。
「おう、千二。
きょうはきげんはどうかね」
 丸木はそう言って、千二のそばへ寄って来た。
「はい、上きげんであります」
 千二は、あざやかな火星語でそう答えた。
丸木は、手足をばたばたとうごかした。
それは、うれしいという気持をあらわしているのだった。
火星人は植物だから情心などはなかった。
しかし丸木は、火星人の中でもすぐれた人物だったので、このごろ情心というものを自分の心にも植えてみようと思った。
丸木はそのために、千二を使っているのであった。千二少年は、あれからずっと丸木のためにきびしく閉じ込められていましたが、少年ははじめこそ大きな悲しみに沈んだものの、その後あきらめたのか、すっかりほがらかになっていました。
とにかく、このいつわりのない少年の心が、怪人丸木をとても動かしたようでした。
(自分も、この少年のように、あたたかい心を持ちたいものだ!)
そう思った丸木は、それからというもの、いつも千二少年をそばにおいて、少年の悲しみや、笑いや、それから怒りや、いとおしむ様子などを手本にして、自分の中にもそのような感情を湧き上がらせようと努めたのでした。
怪人丸木に心のあり方を教えている千二少年こそ、じつに不思議な役割をになった人でした。
丸木は植物であるため、植物にはもともと備わっておらず、動物だけに備わっている感情というものが、うらやましくてたまらなかったのです。
だから丸木は、情の心を自分のものにして、さらに上のレベルへ進んだ高等な火星人になろうとしたのでした。
火星の王様にペペという者がいました。

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