初級翻訳・火星兵団 第81話

海野 十三

ところが、それからほんの五分もたたないうちに、
「おい、あそこに見える黒いものは何だ?」
「えっ、ああ、あの黒い点みたいなやつか? 風船のようにも見えるけど、もしかすると……」
そう言いながら首をかしげていると、空中に浮かぶ黒い風船のように見えていた黒点は、みるみるうちに大きく広がっていきました。
「あっ、火星兵団だ!」
「うん、やっぱりそうだったんだ! おい、火星兵団の大襲来だぞ!」
そう叫んでいる間にも、大きく広がった黒いシミのようなものの中から、さらにたくさんの小さな黒い粒が集まっているのがわかりました。襲ってきた火星兵団の宇宙艇の数が二百から三百もあると気づいたときには、すでに連合脱出隊のロケットは完全に進路をふさがれていたのです。
そして次の瞬間、火星兵団の宇宙艇の群れは、ロケット隊の真ん中を突き抜けるように飛び込んできました。
勝負の行方は、その一瞬で決まってしまいました。
せっかく力を合わせて編成した連合脱出隊のロケット五百台は、火星兵団の攻撃によって、空中ですべてやられてしまったのです。
この悲しいニュースは、全世界を激しく震わせました。
「今度こそは、大丈夫だと思っていたのに……」
「あれでダメだったのなら、我々地球の人間は、もう絶対に火星人に降参するしかないじゃないか」
「もっと前から、本気で火星との戦いを考えておくべきだったな……」
各国のリーダーたちは、悔し涙をぽろぽろと流しながら、この大敗北のあとを振り返るしかありませんでした。

ロケットに乗せてもらえない人々は、ロケットが地上から飛び立つたびに、いつまでたっても自分だけが地上に取り残されることに不満を感じ、空へ飛んでいくロケットのあとを、うらめしそうに、そしてうらやましそうに見送っていたものでした。
しかし最近では、彼らはもうそんなうらめしそうな目をしなくなっていました。
なぜなら、飛び立っていくロケットというロケットが、すべて火星兵団のために空中で溶かされてしまったり、地上へ追い返されてしまったりしたからです。
ニュースによって、無事に地球から脱出できたロケットが、まだただの一台もないということを、彼らははっきりと知ってしまったのです。
次々と続く火星兵団の勝利! そして地球軍の惨めな敗北。
しかもモロー彗星は、そんな人間の事情にはお構いなしに、刻一刻と地球へと近づいてきていました。
こうして地球の上には、二重の苦しみが大きくおおいかぶさってきたのです。
地球とそこに住む人間たちは、もはや自分たちの「死」を覚悟しなければならない時がやってきたように思えました。
だれか、この大きなピンチを救うヒーローは現れないのでしょうか。
救世主の足音は、まだどこからも聞こえてきません。
ああ、絶望の地球!

51 博士の大決心

新田先生は、蟻田博士の地下研究室の中で、ただただいらいらしていました。
何とかして心を落ち着かせようと思うのですが、これまでのように気持ちがしずまりません。
それもそのはず、モロー彗星が地球にぶつかる日(衝突の日)まで、あとわずか一週間しか残っていなかったのですから……。
新田先生には、あんなに落ち着き払って研究を続けている蟻田博士がうらめしくもあり、腹立たしくも思えてきました。
「博士! もうあと一週間でこの地球が粉々に飛び散ってしまうというのに、博士は何をそんなに熱心に研究しておられるのですか!」
しかし博士は、電気火花をじいじいと音を立てさせながら、ガラス管の中にある青黒い紐のようなものにそれを当て続けていました。
「静かにしてくれたまえ。わしの研究の邪魔をしてはいかん」
博士は目盛りを直すと、またじいじいと電気火花を飛ばし、ガラス管の中をじっと覗き込みました。
「しかし、博士……」
「こら、黙っておれと言っているだろう……」
博士は、新田先生が話しかけるたびに、厳しく叱りつけました。
一体、博士はなにをしているのでしょうか。
新田先生は、ついに何も言えなくなって黙り込んでしまいました。
博士は実験を何度も繰り返していましたが、そのうち、とても驚いた様子で口を大きくあけ、自分の手のひらをパンと叩きました。
「うむ、やっともくろみ通りにいったぞ!」
博士は独り言を言いました。
新田先生は博士の後ろから実験台を覗き込みました。
博士はガラス管を指先につまみ上げ、中を覗き込んでいます。
青黒い紐のようなものの一部が、赤く熱せられたようになっていました。「これだ、これだ」
博士はまるで子どものようにおどり上がりました。
博士は実験に大成功したようですが、それはいったいどんなことだったのでしょうか。
あの蟻田博士がおどり上がって喜ぶなんて、よっぽどのことです。
博士の研究が、ついに完成したようです。
いったい、博士は何を研究していたのでしょうか。
新田先生は、博士が喜んでいるそばへ、おそるおそる近づきました。
「博士、ご研究が、うまくいったのですか」
先生がそう声をかけると、蟻田博士は後ろをふりかえり、
「ややっ、お前がいたのか……」
と、急に不機嫌になってしまいました。
博士は、自分の研究を他人に知られるのがいやなようです。
新田先生の心は、ちょっと重くなりました。
博士と自分とは先生と生徒の間柄だというのに、どうして博士はこんなにいいやな顔をするのでしょうか。
先生は、この前からずっと言いたいと思っていたことを、思いきってこの際言ってみることに決心しました。
「博士」
「なんだ」
「博士は、私が博士のためにならないようなことをする人間だと思っておられるのですか」
「さあ、どうかな」
「さあ、どうかな――とは、あまりになさけないお言葉です。
博士、あなたは私にとって尊い先生です。
先生のためにならないようなことを、どうして私ブがしましょうか」
「そうかね」
「……私は、博士の冷たいお心をなおして、いま死の直前に立っている地球人類のために、どうか大きな力を貸していただきたいと、毎日一生懸命につとめているのです。
しかし博士は、少しもその気になって下さらない。
博士、私はそんなに信用できない人間でしょうか」
「人間には、もうこりごりだよ」
蟻田博士はぶっきらぼうにそう言いました。
新田先生は、これ以上何を言っても博士の心は動かせないとわかり、思わず涙が出ました。
新田先生は、どうにかして蟻田博士の心をなおし、地球人類のために博士のすばらしい知恵を出してもらおうと、ずっと長いあいだ頑張ってきたのですが、今度という今度は、先生もすっかりあきらめてしまう状態でした。
(だめだ。
蟻田博士は人間の形をしているけれど、心は人間ではない。
博士は、心を火星人などに売り渡してしまっているのだろう。
すると、博士はもはや鬼だと言っていい。
そんな博士の心を、自分の手でなんとかいい方へなおせるなどと思っていたなんて、なんてばかだったんだ!)
新田先生はそう思い、ほほをつたって落ちてくるくやし涙をとめることができませんでした。
「博士、私はいよいよ博士にお別れして、ここを出ていきます」
先生はついにそう言いました。
もうこんな所にとどまることはできません。
ここにいくらいても、むだです。

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