初級翻訳・犬物語 第2話

内田 魯庵

高時殿は、まるでとんでもない裏切り者のように歴史の教科書なんかでボテンクソに悪く言われているけれど、なんだかちょっとお気の毒な話だよ。
藤原氏の時代からこっち、朝敵(ちょうてき:天皇の敵)にされる連中はどんどん増えているけれど、結局のところ、政治の権力を奪い合う争いの中で負けて、都合悪くなった方が朝敵と呼ばれちまうのさ。この神の国に生まれて、いったい誰が天子様にさからうような不届きな真似をするもんか。
もともと政治を行うときに天子様を盾にして自分のやりたいようにやるなんて、日本人の悪い癖だ。昔から時の政府に反対する奴をすぐに朝敵にしてしまうし、今でも「自分たちこそが本当の忠臣だ」みたいな顔をして、やたらと反対する相手を不忠者扱いする奴がいるけれど、本当に悪い癖だよ。
自分が勝手に「尊皇愛国」の意味を狭くせまい頭で解釈して、何でもかんでも不敬だと言いふらすのは、恐れ多くも天皇陛下のありがたい威光をちぢこまらせる、とんでもないことなのさ。
本当にふざけた話で、一番ひどい目に遭って「大悪党の黒幕だ」なんて誤解されちゃったのが、北条氏なのさ。
高時殿はどうせ一族を滅ぼすようなお方だから、そんなに素晴らしい人物でもないかもしれないけれど、一族二百人がみんな並んで自決した最期なんて、涙もろい人間なら思わずもらい泣きしちまう出来事さ。
あの楠木正成(くすのきまさしげ)殿が、高時殿の食事を見て「酒が九杯に、おつまみが九種類もあるぞ!」と、あまりの贅沢さに呆れたなんて話があるけれど、失敬だけどあれは田舎侍の野暮な勘違いってやつさ。
天下の執権ともあろうお方が、酒を九杯に、おつまみを九種類くらい気張ったからって、贅沢の限りを尽くしてるわけないだろうと、俺はそう思うねぇ。
こんなことを言うと、例の「大忠臣(だいちゅうしん)党」の連中がすぐに「犬畜生のくせに生意気な口をきくな!」なんて怒り出しそうだけれど、人間さまが言うことなんていつも自分勝手な都合主義なんだから、むしろ無欲な犬畜生の言うことのほうがよっぽど道理に合っているのさ。

……っといけない、つい話がわき道にそれちまった。
こんなむずかしい議論は学者先生にでも任せておけばいいとして、ところでこの高時殿が大の闘犬好きで、そのおかげで私たち犬の仲間はぐんと進歩したんだ。
闘鶏や闘犬、闘牛みたいなものを「ぜんぶ野蛮だからダメだ」って悪く言う人間もいるけれど、人間さまの世界にいまだに相撲(すもう)があるうちは、そんな文句は言わせないよ。
「動物同士の戦いは血を流すからいけない」なんて言うけれど、血を流すのは俺たちの勝手だし、勝負のスリルっていう意味じゃあ、人間さまの相撲も俺たちの仲間の戦いも、なにひとつ変わりやしないさ。
相撲が人間の筋肉を発育させるきっかけになるのと同じように、闘犬は俺たちの体をものすごく頑丈にして、さらに勇敢な気質を育ててくれたのさ。

それから、高時殿と並ぶほどの愛犬家といえば、五代将軍の徳川綱吉(つなよし)公だね。
「犬公方(いぬくぼう)」なんて、下々の者たちから陰口をたたかれたくらいだから、ものすごく手厚く俺たち同類にやさしくしてくれたお方さ。
綱吉公の「生類憐れみの令」を悪く言う奴もいるけれど、あれは結局のところ、今のヨーロッパで大騒ぎしている「動物愛護」と同じで、人間としての大切な道徳にしっかりかなっているものなんだ。
やり方はちょっと行き過ぎていたかもしれないけれど、目的立派なものだった。
俺たちはその恩をたっぷり受けた身分だから、今でも本当にありがたく思っているよ。
綱吉公は、俺たち犬にとってまるで救世主(キリスト)さまみたいなものさ。
「狂犬病が怖いから」なんて理由で、何の罪もないかわいそうな野良犬を片っ端から撲滅したり、立派な飼い主がいてちゃんとしつけられている犬なのに、「ちょっと吠えたから狂犬だ」なんて嘘をついて殺したりする今のこの世の中じゃあ、綱吉公の優しさが余計に恋しくてたまらないよ。
現に俺の母親なんて、身に覚えのないいわれのない罪で殺されてしまったんだ。
これが綱吉公の時代だったら、すぐに仇(かたき)を取ってもらえたものを。

俺たち日本犬は、高時殿の時代から何度も戦いを奨励されて、昔から狩りにも使われてきた。だからほかの野蛮な国の犬とは違って、体格もりっぱだし性格も利口だし、なにより勇気があって力が強くて、ケンカと狩猟の名人なのさ。
「人間の性格はその土地の気候や風土によって決まる」って言うけれど、俺たち犬族もまさにその通りで、日本人と日本犬は何もかもがそっくりそのまま似ているんだ。
ただ、日本人の体格は世界中の黒人の人たちを除けば一番ちんちくりんで下等だけど、日本犬の体格は世界のほかの国の犬と比べても、中等どころかむしろ上等なほうに位置しているんだ。
俺たち犬のほうが、はるかに人間さまの君たちより優れた体格をしているのさ。
俺たちのことを、あまりバカのまぬけみたいに思ってもらっちゃ困るね。

ところがだよ君、黒船がやってきてから外国のいろんな犬種が日本に入ってくるようになって、人間さまの世界でもなんだか目の色の変わったハイカラな奴らが威張るようになったけれど、俺たち犬の社会でも外国の犬種にかき乱されて、いやもう散々な目に遭わされたんだ。
もっとも、外国の犬種の中には、ものすごく立派ですぐれた奴らもいる。
それには俺も、思わず「お見事!」と感心しているんだ。
「マスティフ」の立派な体格や、「ブルドッグ」の頑固でとんでもない怪力や、「アルパイン・スパニエル」のあふれるような慈悲深さを見せつけられると、大和魂を持つ俺たちだって、ほとんど降参するしかないくらいさ。

だけど、どうしても解せないことが一つある。
人間さまの世界じゃ、血の混じった雑種の子たちは肩身の狭い思いをしているというのに、犬の世界にいたっては、雑種でさえ西洋かぶれして威張り散らしているんだ。
俺の仲間である家畜のニワトリや牛や馬の世界じゃ、日本で生まれた純粋種は大事にされて、雑種はバカにされているそうじゃないか。
それが当たり前の話のはずなのに、犬の世界だけは雑種でさえ毛唐臭い顔つきをしてふんぞりかえっているなんて、とんでもなくおかしな話だ。
君たち人間さまは日頃は「愛国者」ぶるくせに、俺たち大和犬族がこんなに優れていることをすっかり忘れて、外国の血が混ざった下等な性質の雑種犬ばかり可愛がるなんて、一体どういうことなんだ。
ヨーロッパかぶれもここまで来ると、もう言葉も出ないくらいあきれ返るね。
まったく言語道断だ。

それに、純粋な外国の犬種だからといって、必ずしも俺たちより勝っているわけじゃない。
「テリア」だの「ターンスピット」だの「プードル」だのといった連中は、いったいどこが良いんだか、俺たちにはさっぱり分からないね。
マルタ犬なんて「獅子犬(ししいぬ)」なんて呼ばれているけれど、名前ばかり立派で、中身はただの弱虫で臆病な奴らさ。メキシコ犬なんて、君たちの手のひらに乗っかるような可愛らしい奴だけど、俺たちは何でも大きい方が好きだから、小さい方で世界第一なんてものはあまりにつまらないね。

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