それから、日本にも来ているけれど、矮狗(わいく:足の短い小型犬)くらいの大きさで、頭の毛が長くて何本も額に垂れて目を覆っている「スカイ・テリア」という奴、あいつはどうも臭気が強くて、人間で言うなら貧乏書生みたいでいただけないな。
「ハウンド」族でも、イギリスの「グレイハウンド」やロシアの「ハウンド」は体格も立派でなかなかの見栄えがするけれど、イタリアの「ハウンド」ときたら愛玩犬と言われるだけあって、背の高さが一尺、重さがたったの一貫目――「ハウンド」なのに、凄まじい笑い話だよね。
犬も国に似るというもので、イタリアのような美術国だからこそ、あんなに細っこくて繊麗な愛玩犬を生み出したのだろう。
それに、俺のような四つ足の分際では少し生意気な言い分かもしれないけれど、イタリアもあんな風にウィーダやロンブロゾが舌を吐いて議論するほど疲弊してもいないだろうに、細っこくて痩せ身でありながら、少しばかり海軍力があるのを鼻に掛けて東洋の猟場にちょっかいを出し、中原(ちゅうげん)の大豚の分配を得ようと小賢しい真似をする様子は、ちょうどイタリアのハウンドが気ばかり強くて散々足も達者なのに、たちまち疲れてぐったりと音を上げてしまう有様にそっくりだ。
俺たちはそれとは反対に、今まで自分の力量に気が付かず、雑種犬にまでバカにされてだんだん田舎へ引っ込み、支那(中国)の犬にさえ尻尾を下げて恐れ入っていたものだ。
これからはもう負けるものか。
鎌倉以来の負けじ魂を奮い起こして、「マスティフ」でも「ブルドッグ」でもさあ来い。
相手になってみせるよ。
なんだ、大層威張るなって?……威張るとも、我々大和犬族には、毛唐種(けとうしゅ:外国の犬種)に決して譲らない力量と勇気があるからね。
もともと君たち人間からして甚だ不心得なんだ。
というのも、君たちは失敬ながら世界も知らないくせに蚊の臑(すね)のような痩せた腕を叩いて、日本主義だの国粋主義だのと慷慨(こうがい)ぶるくせに、純粋な日本種であり、しかも神州の産であるところの、辱めることのできない勇猛活発な我々を「地犬(じいぬ)」などと軽蔑しやがる。
とんでもなくおかしな矛盾した話だ。
なんだい、素晴らしい大言壮語だって?
そりゃあ大言壮語も吐きたくなるさ。
日頃、君たちの我々日本犬に対する扱いがひどく不満足だからね。
しかし近頃、我が国の宮殿下が我々の仲間を召されて並々ならぬ御寵愛をくださるということは、我々の世に出る機運が熟したということだ。
君たちも、平凡な小説や平凡な議論を書いている暇があるなら、日本人らしく「猟之友」にでも日本犬主義を少しは鼓舞してくれたまえ。
そこへいくと、感心なのは俺の旦那さまだ。
しばらく洋行(ヨーロッパ留学)されて世界で有名な犬をよくご存じで、「ポインター」や「セッター」はもちろん、日本人があまり知らない「シトリーパー」や「ラーチャー」種の猟犬をお飼いになられているが、そういった犬社会に通じたお方が、やはり日本種はなかなかに良いと仰って、俺を筆頭に都合三匹の犬を飼養してくださっている。
君たちはろくに犬を知りもしないくせに我々を地犬と軽蔑するが、失礼ながら旦那のお屋敷では、俺だって立派な「日本犬様」なのだよ。
俺の旦那はこれくらい偉い方だから、ご家族の方々も揃ってみなさん素晴らしい方ばかりだ。
なかでも感心なのは、お嬢様だよ。
年齢は十九の厄年で、お名前は妙子(たえこ)さまと仰る。
君たちに見せたいほどのご立派なご容貌だ。
なんだ、もう知っているだって? なかなかに油断のならない狼男たちだな。
旦那や夫人がご心配なさるのも無理はない。
しかし、お嬢様はめっぽう賢いからさ、君たちのような間抜けに引っかからるはずがないワ。
第一、どこかにお出掛けになる時はいつも俺がお伴を仰せつかるからさ、君たちが指でもさそうものならすぐに「ワン」と噛み付いてやる。
パンの一切れや二切れくれたからって、決して容赦はしないよ。
人間さまの世界では賄賂が効くそうだが、俺たちの世界じゃあ到底無理だ。
おにぎりで騙されるような頭の弱い犬が、このご時世にいるものか。
お嬢様のお美しい容姿は番町(ばんちょう)でも評判の品であり、学校でも一番だ。
街路を行く人々は、若い者はもちろんお爺さんやお婆さんまでが振り返って見る。
お伴をしている俺までが鼻が高い気分になる。
とりわけ、旦那と一緒にしばらくヨーロッパにいらっしゃったから、毛唐の言葉(外国語)も達者で、小鳥の鳴き声のような美しい声でお喋りになられる。
その上に音楽がお得意で、ピアノなどは専門家に負けないほどの腕前だそうだ。
毎朝のご飯の前と午後、学校からお帰りになると必ず練習なさるが、俺たちのような物分からない犬が聞いてさえ面白いのだから、いつでもその時間を狙って西洋間の窓の下にうっとりと聞き惚れている。
庭の木立を抜けてくる音を塀越しに聞いて、茫然と立ち尽くす人もかなりいるそうだよ。
いよいよ来年はご卒業になられて二十歳の花盛りだから、やどこかへご縁談が決まるのだが、なんといってもご容貌は番町随一、おそらく東京随一だろうという評判で、あらゆる芸事に通じられておられ、類まれな才能をお持ちだから、昔でいうなら「女御(にょうご)」や「更衣(こうい)」といった高貴なご身分だ。
だからこそ、表立って親御さんに申し込んでくる華族や大商人、権力者の方々をはじめ、何かにかこつけてお屋敷に出入りする当世風の若い紳士たち、隙あらばお嬢様を食い物にしようと狙う君たち狼男の群れまで、いるわいるわ、自称候補者たちの面々はざっと一万人ばかりもいるのだ。
夫人はご心配になられて目が回るほどのお忙しい思いをされ、申込人の身分や財産、性質といった内裏の事情を一つひとつ厳しく詮議なさっていらっしゃるのだ。そのお陰で、書生を三人新たに雇い入れたくらいなのです。
しかし、旦那様は西洋で育った方だけあって、実に気が利いていらっしゃいます。
結婚は一生の大事だから、家の格式や財産といった詮議は二の次であると。
ご本人がさえ納得しているなら、地位も身分もない君たちのような貧乏書生にだって嫁にくれてやると仰るのです……。
おいおい、そう喜んではいけませんよ。
君たちなんかでは、とうとうご当人の御令嬢様が気に入るわけがありませんからね、今のうちに糠喜びもほどほどにして諦めなさい。
西洋で言う「自由結婚」というやつです。
旦那様は口には出されませんが、この自由結婚をお許しになっているのです。
お屋敷に出入りする若い紳士たちは、旦那様への用事はついでで、用事が済むとすぐに御令嬢様の機嫌を伺います。
「近ごろこういう小説が出ました」と言って新刊の本を持ってきたり。
「こういう女性の雑誌が出ました」と毎号郵便で送りつけたり。
「こういう琴の新製品ができました」と歌の譜面を持ち込んだり。
「こういう化粧品を新しく輸入しました」 わざわざ買ってきたり。
「今度はどこそこで音楽会があります」と上等な切符を持ってきたり。
中にはお金のある奴で、「最近はこういう品が流行っています」と、貴重な贅沢品を高額なお金を出して買ってこさせたりする者もいます。
初級翻訳・犬物語 第3話
内田 魯庵
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