初級翻訳・犬物語 第5話

内田 魯庵

さて、どちらにしても学士様はこの二人きりですから、ほかのライバルを下に見下して、内心では華尾くんと激しく競争していました。
だから、「学問好きな御令嬢様が、華尾のような俗物役人をお気に召すはずがない」と、自分の都合のいいように決めつけていたのです。
そこへ、華尾が「博士論文」の件で御令嬢様に厳しく突っ込まれていると聞きつけたものだから、御園クンは大喜び。「よし、これで大願成就だ!」と思い込み、ある日、御令嬢様に向かって得意顔でこう切り出しました。
「私もいよいよ、来春には博士論文を提出する予定です」
すると、御令嬢様はすかさず、こう冷たく言い放ちました。
「あら、あなたも御用学者になられるの? 『博士』なんて言うとなんだか大層なものに聞こえるけれど、『三年経つと三歳になる』なんて言葉もあるくらいですからね。ドイツなんかでは、犬にも博士の肩書があるそうじゃありませんか」
(おいおい君、ドイツじゃ犬も博士になってるってさ。ちょっとバカにしすぎじゃないか?)
「同じ博士号を取るなら、外国語で書いてヨーロッパの学者社会と議論を戦わせたらどうですか。たかだか日本の博士になったところで、図書館からせっせと書き抜いた苦労も水の泡になってしまいますよ。おや、笑止千万! 博士論文なんてものより、恋の千字文――つまり、私のようなひねくれ者をコロリと言い落とせるような技でも身につけられたら、よっぽどお手柄ですのにね!」
と、散々に冷やかされたものだから、あの大哲学者気取りの御園クンも、すっかり頭を抱えてお手上げ状態になってしまったそうです。
それから一ヶ月以上経ちますが、ラテン語やギリシャ語がどうとか書かれた難解な手紙が届いただけで、すっかり姿を見せなくなりました。
御令嬢様もようやく安心されて、「まずはこれで19歳の厄も免れたわ」と、のうのうと過ごしていらっしゃいます。

人間、調子に乗るとおかしな理屈を思いつくもので、自称青年政治家の新聞記者・大洞福弥(おおほら ふくや)くんは、二人の学士がそろって落第(フラれること)したのを知ると、鼻をヒクヒクさせてこう言いました。
「さすがは妙子様、実に素晴らしい見識をお持ちだ。学士なんていう虚名を完全に見破るとは、大したもんだ。それにしても、今はまさに権力が移り変わる時代だ。やがては我々ジャーナリストの天下がやって来る。目が腐ったような高等官がなんだと言うんだ。大学の腐れ学士がなんだと言うんだ!」
と、先生はすっかり意気揚々となり、まるで凱旋(がいせん)将軍気取りです。
いつもの調子で、現在の政治情勢について滔々と持論を語り、まるで今にも内閣が代わったら自分たちが大臣になるとでも言いたげな、大ぼらを盛んに吹聴していました。
なにしろ、大洞福弥の吹かす大ぼらと言えば、界隈では名代(なしとげ)のものすさまじさですからね。
毎週「タイムス」や「評論之評論」といった雑誌で「世界を飲み込んでやる」なんて悪態をついているようですが、本当に外国雑誌を読んでいるのかどうかは、大いに疑わしいものです。
そもそも大洞という男は、外国語がろくにできないそうです。
あいつの数少ない長所といえば、妙に記憶力がいいことで、日本の新聞や雑誌を読んで、いかにも「自分は外国通だ」と決め込んでいるだけなのです。
もともと日本人は西洋の事情に疎いものですが、私の知っている外国の犬の事情に比べたら、あいつの知識なんて足元にも及びません。
だから、あふれる外国のニュースも、かなり怪しいものばかりです。
結局のところ、大洞のような先生方が、ウソにウソを重ねる「虚誕の共喰い」をしているだけで、人名や地名の発音を間違えるどころか、とんでもない見当違いのデタラメを、平然と記事に書いてきたようなのです。
昔は「講釈師が見てきたようなウソをつく」と言われたものですが、今では新聞記者がその座を完全に奪い取っているというわけです。

大洞が名前を売り出すきっかけになったのは「人物評」だそうですが、あいつの人物評ほど、虚偽とハッタリで固められたものはありません。
第一、実在もしない無名の豪傑を勝手に作り上げ、自分が書いた記事を、その「無名の豪傑」が書いたかのように装うのです。
しかも、「この無名の豪傑こそは、薩摩の元老であろうか、長州の先輩であろうか、あるいは在野の政治指導者某であろうか、甚だしいに至っては前将軍のご落胤であろうか」などと、とんでもない臆測や推理を自分で書き立て、世間をだまし続けたその手腕は、なかなかのものだというもっぱらの噂です。
借金も少額だと苦労しますが、身分不相応にあまりに多額になると、逆にその借金のおかげで命が長らえるようなもの――。
それと同じで、大嘘もちょっとやそっとでは躓(つまず)きますが、ここまで図々しくなれば、世渡りも上手くいくものらしいですね。さて、俺の旦那がお世辞半分に「新聞記者の天職なんて素晴らしいですね」と褒めちぎり、娘も新聞記者に嫁ぐ気があるみたいだぞと、からかうようにけしかけたものだから、先生はすっかりその気になって、もうすっかり婿殿になったつもりで毎日お屋敷に入り浸っている。
そこはさすがに面の皮が厚いもので、「政治的婦人」だの「政治家の妻」だのという大げさな論文を自分の新聞に載せては、御令嬢様の許へ送りつけてくる。
これには御令嬢様もすっかり参ってしまわれたようだ。
相手が名代(なしとげ)の厚顔無恥な大言壮語の常習犯だから、並大抵の冷やかしなんかではびくともしない困った代物だ。
こういう奴には、一歩間違えれば江戸の仇を長崎で討たれるような、とんでもないしっぺ返しを食らいかねないから、「何事も近づかず触れ合わずするのが無事で一番いい」と、御令嬢様も奥様もすっかり気味悪がり、大洞先生が大ぼらを吹き始めると、いつでも音楽や小説の話にうまく話をそらして終わらせてしまうのだ。
ところが先生は、そんなこととは露知らず、「いやあ、近頃の小説なんてどれもこれも同じようなものばかりでつまらないですなあ。いわゆる『女郎文学』でありますし、また『心中文学』でありますな」と、したり顔でデタラメな批評を垂れ流しては、すごすごと引き下がっていくばかりだ。

そんな中、小説家の文学者先生である荒尾角也(あらお かくや)がこの話を聞きつけると、大喜びした。
「なんだって? 何はともあれ文学が大好きな御令嬢様だというなら、文壇に身を置くこの自分こそは、きっとお気に召されるに違いない!」と早合点したのだ。
先生は、自分が書いた小説をわざわざ特別な仕立てで装丁し、恭しく御令嬢様に御意見を仰ぎたいと出かけていった。
すると、あいにく(というか意図的か)何かの雑誌にこの小説のボロクソな悪評が載っているのを、御令嬢様は意地が悪いことに、素知らぬ顔でお見せになった。
「批評家っていう人たちは本当に口が悪いですことねえ。貴方の作品を浅薄だの軽浮だのと、なんて失敬なんでしょう! でも、妾(わたくし)は貴方の小説が一番好きよ。肩が凝らなくて、読んでいて気持ちがいいんですもの」
御令嬢様は、荒尾くんの大傑作をまるで寝間着のときにつけるような羽織(※袍)とでも間違えていらっしゃるのかしら、と見間違うほどの褒め殺しだ。

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