初級翻訳・病む子の祭 第4話

新美 南吉

(お囃子の音が止まる)

長女  あら、もう塩屋さんのおうちの前まで来たわ。あそこの椎(しい)の木の下で休むのよ。
三男  …………
長女  (心細そうになって)お母さん、もう帰ってこないかしら。よし坊ちゃん、眠くない? すこし風が出てきたね。障子をしめようか?
三男  しめなくてもいいや。
(このあたりから、病気の子の声がめっきり弱々しくなる)

長女  でも、あたしなんだか寒いな。裏のやぶがざわざわ騒いでるわ。
(お囃子の音がまた始まり、だんだん遠ざかっていく)

長女  あら、もう帰っていくんだね。
(間)

長女  よし坊ちゃん。
(間)

長女  よし坊ちゃん。
三男  まだ聞こえるね、ねえちゃん。
長女 ええ、まだ聞こえるわ。もうすぐ土塀(どべい)のおうちの角をまがったら、聞こえなくなるよ。ほら、もう聞こえなくなったでしょ。
三男  まだ聞こえるよ。
長女  でももう、蚊が鳴くような音だけだよ。
(間)

長女  もう何も聞こえなくなったよ。こんどは村の反対側の端っこに行くんだねえ。
三男  まだ聞こえるよ。
長女  あんたの耳の中に、笛の音がまだ残ってるんだよ。
三男  まだ聞こえるよ。
(間)

長女  なにをそんなにあたしの顔見てるの。いやだなあ、よし坊ちゃん。
三男  もうせん、ねえちゃんと花のかくしっこしたろう。
長女  いつのこと?
三男  ぼくが病気になる前だよ。貝がらでふたをして、土の下にかくしたじゃないか。
長女  あ、そうね! あのときよし坊ちゃんがかくしたのに、あたし、いくら探しても見つけられなかったわね。そしたら、よし坊ちゃんがその日の夕方から病気になっちゃったから、そのままになっちゃったんだ。どこにかくしたの?
三男  裏のキンカンの木の下だよ。
長女 ええっ、よし坊ちゃんずるいな。雨水のとい(かけひ)の向こう側はやぶだから、行っちゃいけないって決めてあったでしょ。ずるいな、よし坊ちゃんは。
三男  まだあるかなあ。
長女  あんなところ、だれも掘ったりしないよね。あたし、見てこようか?
(女の子は裏口から出ていき、やがて貝のからを持って戻ってくる)

長女  あったわよ。といの水で洗ってきたよ。
三男  花はあった?
長女  しなびてたよ。
三男  しなびてた?
長女  そりゃしなびるよ、冬を越したんだもの。
三男  ぼくのかばんのお弁当入れるところにね、もうひとつ貝があるから持ってきて。
(女の子は探して持ってくる)

三男  それ、合わせてごらんよ。うまく合う?
長女  ぴったり合うわ。ほら、ちょうど手のひらを合わせたみたい。
(それを病気の子にわたす)

三男  まだ音が鳴るかなあ。
(口にふくんで、弱々しく息を吹きかける。音が鳴らない)

長女  土の中にあったあいだに、どこか欠けちゃったんだよ。
三男  鳴るよ……じっと聞いてると、音がいっぱいになってくるよ……風の音や笛の音がするよ……たくさんの音がするよ……どこか遠くの方へ消えていくよ……。
長女  うそよ。なんにも聞こえないよ。
(病気の子は、貝をくわえたままじっと耳をすませている)
(間)

三男  ねえちゃん……ぼく、なんだか体が軽くなったよ。あ、ぼくも飛んでいくよ。風の音や笛の音といっしょに……お母ちゃん……ああ、ぼくも飛んでいくよ……。
長女  なに言ってるの、よし坊ちゃん。あんた、一体どこを見てるの?
三男  花びらや笛の音といっしょに、流れていくんだよ。
(お姉ちゃんは、突然こわくなってガバッと立ちあがる)

三男  かあちゃん……。
長女  (大声でさけぶ)よし坊ちゃん! かあさん! あたし、かあさんを呼んでくる!
よし坊ちゃん、そこにいて、待っててよ!

(お姉ちゃんは、裏口からすごい勢いで走り去る)

三男  (力を振り絞るように、弱々しい声で)かあちゃん……よし坊とね、鳥もいっしょにとんでいくんだよ。
(少しのあいだ)
(裏のやぶが、ざわざわと大きく騒ぐ音)

三男  (ますます弱々しい声で)かあちゃん……ぼく、もう遠くへ行くんだよ……。
もっと激しく、やぶがざわざわと騒ぎ出す。
風のすきまから、桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。
病気の子の体の上に、そしてその傍らに。
―幕―

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