初級翻訳・ごん狐 第2話

ごん狐

すると、弥助(やすけ)さんという人の奥さんが、裏口から出てきて「イワシをちょうだい」と言いました。
イワシ売りは、イワシを積んだ車を道の端に置いて、ピカピカ光るイワシを両手でつかむと、弥助さんの家の中へ持っていきました。

ごんはそのすきを見て、カゴの中からイワシを五、六匹つかみ出し、さっき来た道へ向かって走り出しました。
そして、兵十の家の裏口から、家の中へイワシを放り込むと、自分の穴に向かって逃げ帰りました。
途中の坂の上で振り返ってみると、兵十がまだ井戸のところで麦を洗っているのが、小さく見えました。
ごんは、うなぎのつぐないに、まずは一つ、いいことができたなと思いました。

次の日、ごんは山で栗をたくさん拾って、それを抱えて兵十の家へ行きました。
裏口からこっそり中をのぞいてみると、兵十はお昼ご飯を食べようとしていたのですが、お茶碗を持ったまま、ぼんやりと考えこんでいました。
変なことに、兵十のほっぺたには、ひっかき傷がついています。
どうしたんだろう? とごんが不思議に思っていると、兵十がひとりごとを言いました。
「いったい誰が、イワシなんかを俺の家に放り込んでいったんだろう。おかげで俺は、泥棒だと疑われて、イワシ屋のやつにひどい目に合わされたぞ」
と、ブツブツ言っています。

ごんは、「しまった!」と思いました。
かわいそうに、兵十はいわし屋さんに殴られて、あんな傷までつけられたのか。
ごんはそう思いながら、そっと物置のほうへ回り込んで、その入り口に栗を置いて帰りました。
次の日も、その次の日も、ごんは栗を拾っては、兵十の家へ持って行ってあげました。
その次の日には、栗だけでなく、マツタケも二、三本持っていきました。

四

月のきれいな夜でした。
ごんは、ぶらぶらと遊びに出かけました。
中山さまのお城の下を通って少し歩いていくと、細い道の向こうから誰か来るようです。話し声が聞こえます。
チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。
ごんは道の端っこにかくれんぼをして、じっとしていました。
話し声はだんだん近くなってきました。
それは、兵十と加助(かすけ)という名前のお百姓さんでした。

「そうそう、なあ加助」と兵十が言いました。
「なんだい?」
「俺さ、このごろ、とっても不思議なことがあるんだ」
「何がだよ?」
「おっ母が死んでからは、誰だか知らないけど、俺に栗やマツタケなんかを、毎日毎日くれるんだよ」
「ふうん、誰が?」
「それがわからないんだよ。俺の知らないうちに、置いていくんだ」
ごんは、二人のあとをこっそりついていきました。

「ほんとかい?」
「本当だよ。嘘だと思うなら、明日見に来いよ。その栗を見せてやるからさ」
「へえ、変なこともあるもんだなあ」
それから二人は黙って歩いていきました。
加助がふいに、後ろを振り返りました。
ごんはドキッとして、体を小さくして立ち止まりました。
加助はごんには気がつかないで、そのままスタスタと歩いていきました。吉兵衛(きちべえ)というお百姓さんの家まで来ると、二人はそこへ入っていきました。
ポンポンポンポンと、木魚をたたく音が聞こえてきます。
窓の障子には明かりがともっていて、大きな坊主頭の影がゆらゆらと動いていました。
ごんは、「お念仏(おねんぶつ)の最中(さいちゅう)なんだな」と思いながら、井戸のそばにしゃがみ込んでいました。
しばらくすると、また三人ほど人が連れだって吉兵衛の家へ入っていきました。
中からは、お経を唱える声が聞こえてきました。

五

ごんは、お念仏が終わるまで井戸のそばでじっとしていました。
やがて兵十と加助が、また一緒に出てきて帰り道を歩き始めます。
ごんは二人の話をこっそり聞こうと思って、あとをついていきました。
兵十の影法師を、踏んづけたり踏んづけたりしながらついていきます。
お城の前まで来たとき、加助が話し出しました。
「さっきの話だけどよ、あれはきっと、神さまの仕業(しわざ)に決まっているぞ」
「えっ?」と兵十はびっくりして、加助の顔をのぞき込みました。
「俺もあれからずっと考えていたんだけど、どうもあれは人間じゃない。神さまだ。神さまが、お前がたった一人になってしまったのをかわいそうに思われて、いろんなものを恵んでくださっているんだよ」
「そうかなあ」
「そうに決まっているよ。だから、毎日神さまにお礼を言うといいよ」
「うん」
ごんはそれを聞いて、「へえ、こいつはつまらないや」と思いました。
俺が一生懸命、栗や松たけを運んでいってやっているのに、その俺にはお礼を言わないで、神さまにお礼を言うなんて。なんだか割に合わないなあ。

六

その次の日も、ごんは栗を持って兵十の家へ出かけました。
兵十はちょうど物置で縄をなっています。
ごんはその隙に、家の裏口からこっそりと中へ入りました。
そのとき、兵十がふと顔を上げました。
すると、一匹の狐が家の中へ入り込んできたではありませんか。
「こないだ、うなぎを盗みやがった、あのごん狐め! またいたずらをしに来たな!」
「ようし……!」
兵十は立ち上がると、納屋にかけてあった火縄銃(ひなわじゅう)を取り出し、急いで火薬を詰めました。
そして足音を殺して静かに近づき、ちょうど戸口から外へ出ようとしたごんを、「ドン!」と撃ちました。
ごんは、バタリと倒れました。
兵十がすぐさま駆け寄ってきました。
ふと家の中を見ると、土間に栗が山のように積んであるのが目に入りました。
「おや……」
兵十は驚いて、倒れているごんに目を落としました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗を届けてくれていたのは」
ごんは、ぐったりと目を閉じたまま、小さくうなずきました。
兵十は手に持っていた火縄銃を、ガタリと取り落しました。
銃の先からは、まだ細い青い煙がゆらゆらと立ち上っていました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました