「えっ、私がおぼれかけたの? どこで?」
和子はびっくりして、とんきょうな声をあげました。
おじいさんは真っ白な髪の頭を後ろになでながら、はっはっはと笑って言いました。
「それじゃあ話していなかったかのう。あの時、お前のお母さんにひどく叱られたんじゃよ。あとにも先にも、お前のお母さんが怒ったのはあの時だけじゃった。『もしものことがあったら、どうしてくれるんですか!』と泣いてのう。無理もないことじゃ。かけがえのないひとり娘じゃもの。それからは和子も海を怖がって、その年の夏はもう泳ぎに行かなくなったんじゃよ」
和子はその時の様子を想像してみましたが、おじいさんの恐縮した顔は思い浮かべられても、お母さんが怒った顔だけはどうしても想像できませんでした。それほど、お母さんはやさしい人だったのです。
和子のお父さんは船乗りだったので、年中、家にはおじいさんと和子の二人きりでした。お母さんは学校へ働きに出ていましたから、和子は小さい頃から、昼間はおじいさんと二人でお留守番をすることに慣れていました。
おじいさんは、和子のために竹トンボを作ったり、新聞紙でかぶとをこしらえたり、木切れで小舟を作ったりと、いろんなおもちゃを上手に作ってくれました。
「これではまるで男の子を育てているようね。今に竹馬でもお作りになるんじゃないかしら」
とお母さんはおかしがっていました。そのお母さんも、学校の帰りにお手玉や小さな人形などを手作りして、和子に持ち帰ってくれるようになりました。
夏休みや春休みになると、和子はお母さんと一緒に旅に出るのが決まりでした。
東京の芝浦や、大阪、時には北海道の小樽まで出かけたり、またある時は九州の港であったり、瀬戸内海の島のさびしい村であったり。とにかく、お父さんの乗っている船が着く港へ出かけるのです。
そこにはお父さんが待っていて、和子たちは航海を続ける船に乗り込んで一緒に暮らしたり、時には五日や七日ほどの停泊期間を、親子三人で函館の宿に泊まったり、半月もの滞在となれば部屋を借りたりして暮らしました。
そんな時、お父さんは和子に思い切ったお土産を買ってくれました。和子が「ほしい」と言えば、そしてその品物がその土地にあれば、和子の願いは叶えられたのです。電気蓄音機を買ったのも、ミシンを買ったのも、こういう時でした。
和子が六年生になったばかりの春休みのこと、お父さんの船が九州の若松へ着くという電報が入りました。
「年度末の仕事の疲れで気分が重いから、夏まで(旅行を)延ばしましょう」
というお母さんの意見を、和子ははね返すように反対して、「どうあっても若松港へ行こう」と言い張りました。
「年に一度のことだもの、無理もないわね、和子ちゃん。それじゃあ行くことに決めましょう」
そう言って支度にとりかかったお母さんでした。
この時に和子がわがままを通したことが、のちのち取り返しのつかない不幸を招くきっかけとなろうなどと、十三歳の和子にどうして予想できたでしょう。
和子は先頭に立って旅行カバンを持ち、嬉々として家を出ました。
若松で出迎えてくれたお父さんが、お母さんを見るなり、顔色を変えるほど驚いて、
「どうした、まるで病人のようじゃないか」
と言われるまで、和子はお父さんに会える喜びばかりを優先して、お母さんの体調を考えていなかった自分に気づきました。そういえばお母さんは、来る途中もろくにお弁当を食べていなかったのです。それをさえも、和子は「船酔いだろう」くらいにしか考えていませんでした。
急に心配になって、
「お母さん、大丈夫?」
と、何度も何度も聞きました。そのたびにお母さんは笑顔になって、
「大丈夫とも、大丈夫よ。心配しないで、お父さんと歩いていらっしゃい。珍しいものやためになるものをよく見て、おじいさんにお話しできるようにしっかり覚えておいでなさい」
と答えました。
そしてお母さん自身は、宿屋の一室で一日中ふとんを敷いて休んでいました。その青ざめた顔色は、子供の和子にとっても言いようのない心配の種でした。お父さんと二人で外を歩いていてもあまり面白くありませんし、お父さんも心配なのか、すぐに宿へ引き返して、三人はほとんど部屋の中ばかりで過ごしました。
村へ帰ると、そのままお母さんは床についてしまい、そしてふたたび学校へ出られるほどの元気をとり戻せないまま、二年間を過ごしました。
その間に三度ほどお父さんが帰宅しましたが、二、三日たつと、また船へ帰らねばなりませんでした。
ある朝、井戸端で顔を洗っているおじいさんに向かって、お父さんが言いました。
「私も、もう船を降りて家で百姓をしたり、養鶏をしたりしようと思うんですが、どうでしょう」
と小さな声で相談をかけますと、おじいさんも小さな声でこう答えました。
「それがよかろう。もも子(お母さんの名)も気丈じゃろうし、わしも心丈夫じゃ」「あの子に何かあったら、心細くてたまらんからな」
かまどの前で朝の支度をしていた和子は、その言葉を聞くと、ただごとではない気配を感じて胸がどきどきと高鳴りました。
お父さんは和子のそばへ寄ってきて、こう言いました。
「和子、お母さんを大事にしてやっておくれよ。今にお父さんも帰ってくるからな。船を降りて、ずっと一緒にいることにするんだ」
「……」
和子は黙ってうなずきましたが、それと同時に、目から涙があふれ出てきました。
「学校なんて、一度くらい落第したっていい。それよりも、お母さんを大事に看病してやってくれ」
お父さんは重ねてそう言い残すと、お母さんの部屋へと向かいました。お父さんはその夜の便船で、再び海へと戻っていきました。
お母さんが病気になってからは、ずっと炊事を引き受けている和子は、よりいっそう気をつけて、料理の上手な人のところへ作り方を聞きに行ったりしました。
「和子ちゃん、お母さんが病気になったおかげで、ずいぶん料理がうまくなったわね。このおかゆなんて、お母さんより上手よ。ふんわりしていて、ねばり気があって。だけど、ホウレンソウは少しゆですぎね」
和子はお母さんの批評を聞きながら、心の中で、無理やりに若松への旅行を主張したあの時のことを思い出していました。
(お母さん、ごめんなさい。今度こそいい子になりますから、早く元気になってください。私のお料理なんて、下手なままの方がずっといいんです……)
和子はそう祈っていました。
四
お父さんがいよいよ船を降りて、家へ帰ってきてから間もなく、和子のお母さんはこの世を去りました。
泣いて泣いて、病気になるほど嘆き悲しむ和子を、おじいさんとお父さんは少しずつ励まし、もとの元気な和子に戻そうと努めました。その二人の優しさは和子の胸に深く響き、和子も少しずつ、おじいさんやお父さんの気持ちに応えるようになりました。
特におじいさんが語ってくれる和子の小さい頃の話は、和子の心を自然と、お母さんのいた頃へと連れ戻してくれるのでした。母の姿を、残らず自分の心に留めておきたくて、和子は幼い日の話を聞くのが何よりの楽しみでした。
「和子が小さい時は、本当に元気な子でな。五つの時に、金比羅さまの長い石段をひとりで登りきったものだよ。
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