初級翻訳・二十四の瞳 第25話

二十四の瞳

それよりマスノさんは、どうしてゆかんの」
「風邪ひくといかんさかい」
「あれあれ、大事なひとり娘」
「そのかわり、旅行のお金、倍にして貯金してもらうん」
「そうお、貯金はまたできるから、旅行にやってって、いいなさいよ」
「でも、怪我するといかんさかい」
「あら、どうして。
旅行すると、風邪ひいたり怪我したりするんなら、だれもいけないわ」
「みんな、やめたらええ」
「わあ、お話にならん」
先生はにが笑いをした。
「先生、ぼくはもう、金毘羅さんやこい、うちの網船で、三べんもいったから、いきません」
森岡正がそういってきた。
「あらそう。
でもみんなといくの、はじめてでしょう。
いきなさいよ。
あんたは網元だからこれからだって毎年いくでしょうがね。
先生いっとくから。
修学旅行の金毘羅まいりが一ばんおもしろかった、とあとできっと思いますからね」
加部小ツルは、じぶんも行かないといいながら、やはり行かない木下富士子のことを、こんなふうにいった。
「せんせ、富士子さん家、借銭が山のようにあって旅行どころじゃないん。
あんな大きな家でも、もうすぐ借銭のかたにとられてしまうん。
家ん中、もう、なんちゃ売るもんもないんで」
「そんなこと、いわんものよ」
かるく背中をたたくと、小ツルはぺろっと舌を出す。
「いやな子!」
そういいながら思いだすのは富士子の家だった。
はじめて岬へ赴任したときでも、もう明日にも人手に渡りそうな噂だったその家は、蔵の白壁が北側だけごっそりはげていた。
古い家に生まれた富士子は、いかにもその家柄を背負ったように落ちつきはらっていて、めったに泣かず、めったに笑わない少女だった。
小ツルなどからあからさまなことをいわれても、じろりと冷たい目で睨みかえす度胸は、だれにもまねのできないものだ。「くさっても鯛(たい)」という彼女のあだ名は、彼女の父親の口ぐせからきたもので、本人はそれにとても満足しているようだった。
それに比べると小ツルなどは実にさっぱりしていて、人のことも言いますが、自分のことを言われても、特に気に留める様子がありませんでした。
家族みんなで働き、その働く姿を堂々と表看板にしていて、裏表がまったくなかったのです。
たとえば小ツルのあだ名は「目っつり」と呼ばれていました。
大した傷ではないのですが、まぶたの上のできものの跡がひきつれているからです。
ふつうなら、とくに女の子は「目っつり」などとからかわれたら泣きたくなるものですが、小ツルは違っていました。
まるで他人事のようにわだかまりのない様子で、
「目っつり、目っつりって、そんなに簡単に言わないでよね。
目っつりだって、なりたくてなったわけじゃないんだから」
それは彼女の母親たちが日ごろからそう言っていたからでしょう。
旅行に行けないわけについても、彼女はざっくばらんに話すのでした。
「うちなんかね、先生、このあいだ頼母子講(たのもしこう)を落として、大きい船を買ったの。
だから、すごく倹約しなくちゃいけないの。
金毘羅まいりは、自分でちゃんとお金を稼げるようになってから行くって決めたんだ」
だから他人のふところ事情まで遠慮なくのぞきこんで、「人のことは言うな」と言われても平気で口にするのです。
ミサ子が行かないのは欲張りだからだとか、コトエや早苗はきょうだいたくさんだから旅行どころじゃないだろうとか、そんなふうにです。
ところが旅行の二日前になると、行きたいと言う子が急に増え、岬の村ではマスノを除いてみんなが行くということになりました。
そのきっかけは、ふだん無口な吉次が、山での出稼ぎでもうけた貯金をおろして申し込みをしたことにあるようでした。
吉次が行くなら、ソンキはどうしてもじっとしていられません。
磯吉は自分でお豆腐や油あげを売り歩いて稼いだ歩合給をコツコツ貯金していたのです。
ソンキまで行くとなると、正や竹一が行かないわけにはいきません。
正も網ひきでももうけた貯金を思い出し、竹一も卵を売ってためたお金で行くと言い出しました。
倹約が身にしみた岬の村の子どもたちは、こんなことで貯金をおろすことなんて思いもよらなかったのです。
正などは、おろさなくてもいいと言われたのにどうしてもおろすんだと言って、竹一といっしょにわざわざ郵便局へ行ったりしました。
男の子たちがそんなふうになると、女の子たちもじッとしていられなくなります。
一番心配のないミサ子は、富士子を誘いました。
二人の母親同士が仲良しだったからです。
螺鈿(らでん)のきれいな硯箱が、富士子には内緒でミサ子の家へとわたり、そのおかげで富士子も行けることになったのです。
二人のことが分かると、居ても立ってもいられなくなったのが小ツルです。
彼女はさっそく大騒ぎを始めました。
「ミイさんも富士子さんも旅行に行くウ!
うちも貧乏を質に入れてでも、行かせてよオ!」
小ツルは本気でそう言って、地団駄(じだんだ)を踏んで泣きました。
そのせいで彼女の細い目はよけい細くなり、はれぼったくなっていました。
小ツルの母親は、小ツルとそっくりの目を糸のように細めて笑い出すと、ちょっと意地悪な問題を出しました。
「ミイさんのところはお金持ちだし、富士子さんのところは何と言ったって庄屋さまじゃもん。
あんなお大尽さまのまねはできんよ。
だけどね、もしもコトやんが行くんなら、小ツも行かせてやる。
いっぺんコトやんと相談してきなさい」
どうせコトエなんか行くわけがないと思ってそう言ったのでしょう。
ところが、走っていった小ツルはにこにこしながら戻ってきました。
はあはあ肩で息をしながら、
「コトやん、行く言うた!」
「本当かいな?」
「本当だよ、おばあちゃんがいてそう言ったもん!」
あまりにもあっさりしているので小ツルの母親は疑いを持って、直接聞きに行きました。
おせっかいな小ツルが勝手にそんなふうに話をつくりあげたのではないかと思ったのです。
「うちの小ツが、しゃしゃり出て変なこと言いに行ったんじゃないかね?」
探るように言うと、漁師なみに日焼けしたコトエの母親は、まっ白に見える歯を見せて笑い、
「一生に一ぺんのことじゃ、行かせてやりましょうよ、こんなときこそ。
いつも下のきょうだいの子守りばっかりさせて、苦労させてるんだもん」
「そりゃ、うちの小ツも同じことさね。
だけどさ、何を着せてやるんかねえ?」
「うちじゃあ、思いきってセーラー服を買ってやろうと思うのさ」
「そんなはした金じゃ、買えまいがのう」
「まあ、そんなこと言わずに買ってやんなさいよ、下の子もお下がりで着られるんだからさ」
「ふーん……」
「早苗さんも、そうすることにしたそうだよ。
小ツやんにもひとつ、奮発してあげるんだね」
「そうかいのう。
早苗さんも、かい。
そうなると、小ツもじっとしていられるわけないか。
れれれ。
それじゃあひとつ、貧乏を質にでも入れて行かせてやるか」
そんなやりとりがあったのです。
ところが、いざ当日になると、早苗は風邪ぎみで行けないと言い出しました。
しかし早苗は、のどが痛いわけでも、鼻がつまっているわけでもなかったのでした。

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