初級翻訳・お伽草紙 第2話

お伽草紙

お婆さんも「命に関わるものではないのでしょうね」と、ニコリともせずに一言たずねただけで、それ以上はそのコブに何の興味も示してくれません。
むしろ、近所の人たちの方が同情して、「どうしてそんなコブができたんでしょうね」「痛まないんですか?」「さぞ邪魔でしょう」とお見舞いの言葉をかけてくれるのでした。
しかし、お爺さんは笑って首を振ります。
邪魔どころか、お爺さんにとってこのコブは、今や本当にかわいい孫のような存在。自分の孤独を癒やしてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗う時にも、特別ていねいにこのコブを水で洗って大切にしているのです。
今日のように山で一人でお酒を飲んでご機嫌なとき、このコブは、お爺さんにとってなくてはならない最高のお話し相手になります。
お爺さんは岩の上であぐらをかき、ひょうたんのお酒を飲みながら、ほっぺたのコブをなでて、
「なあに、怖いことなんてないさ。遠慮することなんてないんだよ。人間、たまには酔っぱらわなきゃね。まじめにもほどがあるってもんだ。阿波聖人さまには恐れ入るよ、お見それしました。偉いんだってねえ」
などと、誰かの悪口をコブにささやいては、「えへん!」と高らかに咳ばらいをするのでした。

にわかに暗くなりました。風がゴーゴー吹いてきて、雨もザーザー降りました。

春の夕立は珍しいものです。
しかし、剣山のような高い山の上では、こんな天気の急変もよくあることだと思わなければなりません。
山は雨のために白くけむり、キジや山鳥があちこちからパタパタと飛び立ち、矢のように速いスピードで雨を避けようと林の中へ逃げ込んでいきます。
お爺さんはあわてず、ニコニコしながら、
「このコブが雨に打たれてヒンヤリするのも、なかなか悪くないわい」
と言い、しばらく岩の上であぐらをかいたまま、雨の景色を眺めていました。けれど、雨はいよいよ強くなり、やむ気配もありません。
「こりゃあ、ちょっとヒンヤリしすぎて寒くなってきたな」
そう言って立ち上がり、大きなクシャミを一つ。それから拾い集めた柴を背負って、こそこそと林の中へ入っていきました。
林の中は、雨宿りをしようとする鳥や動物たちで大混雑です。
「はいはい、ごめんよ。ちょっと通るよ」
お爺さんは、サルやウサギや山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶しながら林の奥へと進んでいきます。山桜の大木の根元に大きな穴があいているのを見つけて、そこに潜り込みました。
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも」
ウサギたちにそう呼びかけて、
「この座敷には、偉いお婆さんも聖人もいないからね。どうか遠慮なく、どうぞ」
と、ひどくはしゃいでいるうちに、スースーと小さなイビキをかいて眠ってしまいました。
お酒飲みというものは、酔っ払うとつまらないことも言いますが、たいていはこうして、実に罪のないものなのです。夕立がやむのを待っているうちに、疲れが出たのか、お爺さんはいつの間にかグッスリ眠ってしまいました。
山は空が晴れて雲もなくなり、明るい月夜になりました。

この月は、春の下弦の月です。
淡い緑色、と言えばいいのでしょうか、水のような空に月が浮かび、林の中にも月の光が、まるで松葉がたくさんこぼれ落ちているかのように満ちています。
しかし、お爺さんはまだスヤスヤと眠っています。
コウモリが、パタパタと木のうろから飛び出しました。
お爺さんは、ふと目をさまし、もう夜になっていることに驚いて、
「これは、いけない」
と言いました。すぐ目の前に浮かぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔です。ああ、これは大変なことになった。あの人たちは今まで私を叱ったことはないけれど、こんなに遅く帰ったのでは、なんだか気まずいことになりそうだ。ええい、お酒はもうないか、とひょうたんを振ってみると、底でかすかにピチャピチャと音がします。
「あるわい」
と、急に元気が出て、一滴残さず飲み干して、ほろりと酔っぱらいました。「やあ、月が出ているな。春宵一刻……」などと、つまらないことをつぶやきながら木のうろから這い出ると、

おや、なんでしょう、さわぐ声
見れば不思議だ、夢でしょうか

ということになるのです。
見なさい。
林の奥の草原に、この世のものとも思えない不思議な光景が広がっています。
鬼、というものはどんなものか、私には分かりません。
見たことがないからです。
幼い頃から、その絵姿にはうんざりするくらいたくさんお目にかかってきましたが、その実物に直接会うという光栄にはまだ恵まれていないのです。
鬼にも、いろいろな種類があるらしいですね。
「××××鬼」とか「××××鬼」などと、憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、とにかく醜くて悪い性格の生き物なのだろうと思っていると、一方で「文壇の鬼才何某(なにがし)先生の傑作」なんていう言葉が、新聞の新刊案内に出ていたりするので、混乱してしまいます。
まさか、その何某先生が鬼のような醜い才能を持っているという事実をバラして、みんなに警告しようとして、案内欄に「鬼才」なんていう怪しげで奇妙な言葉を使ったわけではないでしょう。
ひどい時には「文学の鬼」なんていう、失礼でひどい言葉を先生に捧げたりしています。これでは、いくらなんでも先生も怒り出すだろうと思うと、そうでもないらしく、その先生はそんな失礼千万で醜いあだ名を付けられてもまんざらでもない様子で、ご自身でこっそりその変な称号を受け入れているらしいという噂まで聞くので、のろまな私はますます分からなくなってしまいます。
あの、虎の皮のふんどしをした赤ら顔で、ぶざまな鉄の棒のようなものを持った鬼が、芸術の神様であるなんて、私にはどうしても考えられません。
「鬼才」だの「文学の鬼」だのという難しい言葉は、あまり使わない方がいいのではないかな、とかねてから勝手に考えていたのですが、それは私の見聞が狭いせいであって、鬼にもいろいろな種類があるのかもしれません。
このあたりで日本百科辞典でもちょっと覗いてみれば、私もすぐに老若男女から尊敬される博学な人間に変身して(世の中の物知りというものは、たいていそんなものです)、もっともらしい顔をして、鬼について長々と語ることもできるのでしょうが、あいにく私は今、穴の中にしゃがみ込んでいて、膝の上には子供の絵本が一冊開かれているだけなのです。
私は、ただこの絵本の絵を頼りに、判断するしかありません。
見よ。
林の奥の、少し広い草原に、不思議な形のものが十数人、いや十数匹と言うべきか、とにかく、間違いなく虎の皮のふんどしをした、あの赤い巨大な生き物たちが、輪になって座り、月夜の宴会の真っ最中なのです。
お爺さんは、最初はギョッとしましたが、お酒飲みというものは、お酒を飲んでいない時には意気地がなくて全然ダメでも、酔っている時にはかえって大勢の中にいても度胸のいいところを見せてくれるものです。
お爺さんは、今はほろ酔い加減です。
あの厳格なお婆さんも、品行方正な聖人も、なに恐れることがあろうか、というくらいの勇者になっています。
目の前の不思議な光景に出くわしても、腰を抜かすような情けない姿は見せませんでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました