そ、そうよ!
(隣の部屋から聞こえてきたアルカージナとトリゴーリンの笑い声に気づき、ピクリと耳を澄ませてから、左手のドアへ急いで駆け寄り、鍵穴からそっと中をのぞき込む)あの人も来ているんだわ……
(トレープレフのそばへ戻りながら)ふん、そう。
……まあ、どうだっていいわ。
……そうよ。
あの人はお芝居の力をちっとも信じていなくて、いつもわたしの夢をばかにして笑ってばかりいたわ。
だからわたしも、だんだん自分に自信がなくなって、すっかり気弱になってしまったの……。
そのうえ、恋の苦しみだとか、激しい嫉妬だとか、赤ちゃんのことでいつもびくびく怯えたりして……わたしはすっかり小さくて、つまらない女になってしまって、めちゃめちゃな演技をするようになってしまったの。
舞台の上で自分の両手をどう扱ったらいいのかも分からず、真っ直ぐ立っていることもできなくて、声の出し方さえ思うようにいかなかった。
ひどいお芝居をやっているなって自分で気づくときのあの絶望的な気持ち、あなたには絶対にわからないわ。
わたしは――かもめ。
ううん、ちがう……。
覚えてる? あなたは昔、一羽のカモメを撃ち落としたわよね?
そこにふらっとやって来た男が、何も知らないその娘を見て、退屈しのぎに、人生をめちゃめちゃにして破滅させてしまった……。
……なんだか、ちょっとした小説のネタになりそうね。
……ううん、これも違うわ。
(自分の額をポンと叩く)何を話してたんだっけ……?
そう、お芝居のことだったわ。
でも、今じゃもうわたし、あんな駄目な女優じゃないの。
……今のわたしは、本物の、本当の女優なんだから。
……わたしは今、楽しくて、喜び勇んで役を演じているの。舞台に上がるとまるで酔っぱらったみたいになって、自分がすごく素晴らしい人間だと感じられるのよ。
こうしてここにいる今だって、わたしは頭の中でずっとあちこち歩き回って、歩きながらいろんなことを考えているわ。
そうやって考え続けることで、わたしの精神が日ましに強く、大きく育っていくのが感じられるの……。
……ねえコースチャ、今のわたしなら分かるわ。舞台に立って演技をするにしても、何か物語を書くにしたって、結局はまったく同じことなのよ。わたしたちの仕事で一番大切なのは、有名になることやみんなから褒められることなんかじゃなくて、じつは「がまん強く耐え抜くこと」なんだって、わたしにはよーくわかったの、心からそう納得できたのよ。
自分の背負った十字架をしっかり担ぐ方法を知って、ただ信じなさい――ってことだわ。
わたしはちゃんと信じているから、そんなに辛くなんかないし、自分がやるべき大事な使命のことを考えると、これからの人生だって少しも怖くないんだから。
トレープレフ (かなしそうに)君は自分の進むべき道を見つけて、行く先がどこなのかちゃんと分かっている。
だけど僕は相変わらず、頭の中の妄想と幻影のぐちゃぐちゃな迷路をふらふらとさまよって、一体それが誰のため、何のために必要なのかさえ分からないままなんだ。
僕には確かな自信なんて持てないし、自分にとっての本当の使命が何なのかも、知らないままなんだよ。
ニーナ (じっと耳を澄ませて)シッ……。
わたし、もう行くわね。
お元気で。
わたしがいつか本当に大女優になったら、お芝居を見に来てちょうだいね。
約束してくれる? じゃあ、今日はこれで……(彼の手をギュッと握る)すっかり夜がふけちゃったわ。
わたし、やっとの思いで立っているような状態なの。
疲れ果ててボロボロだし、何か温かいものが食べたいな……
トレープレフ お願いだから、もう少しゆっくりしていってよ、何か夜食くらい用意するからさ……
ニーナ ううん、ダメ……。
わたしを送ったりしないでね、一人で行けるから。
だって……馬車はすぐそこのところに待たせているんだもの。
そういえば……アルカージナさんは、あの人と一緒にここへ来ているのよね? まあいいわ、どっちにしたって同じことだもの。
……トリゴーリンに会っても、昔のことなんて何も言わないであげてね。
……わたし、あの人のことが好きなの。
前よりもっとずっと、深く愛しているくらいなのよ。
……なんだか、ちょっとした小説のアイデアになりそうな話ね。
……好きだわ、愛しているわ、もう胸が締め付けられるほど愛しているわ!
あのころはよかったわねえ、コースチャ! あの頃の生活は、なんて晴れやかで、温かくて、喜びに満ちていて、すっきりと清らかだったんだろう。
あのときに抱いていた気持ちは、なんて素敵だったんだろう――優しくて、まるで摘みたての花みたいに澄んだ気持ちだったわ。
……おぼえている?……(昔のお芝居のセリフを暗唱するように)「人も、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、蜘蛛も、水の中で黙っている魚も、海に棲むヒトデも、人間の目には見えないような小さな微生物も、――つまりはすべての生き物、この世の命あるものはみんな、悲しい巡り合わせの旅を終えて、すっかり消え失せてしまった。
……もう何千もの長い年月、この地球の上には一匹の生き物さえ乗っていなくて、ただあの哀れな月だけが、ぽつんとむなしく明かりをともし続けている。
今は牧場に行っても、目を覚ました鶴の鳴き声すら聞こえない。
菩提樹の林には、こがね虫の音すらない」……(突然、感情がこみ上げてきてトレープレフをギュッと抱きしめると、ガラス戸から外へ走り去る)
トレープレフ (しばらくぽかんと立ち尽くしたあと)まずいな……誰かに庭でばったり出会ったりしたら、あとでママに言いつけられてしまうよ。
ママはただでさえ気苦労が多いんだから、これ以上心配させたくないのにな……。
(二分間ほど、一言もしゃべらずに、自分の書いた原稿をぜんぶビリビリに破り捨てて、机の下へ放り投げる。
それから右手のドアを開けて部屋を出ていく)
ドールン (左手のドアを、うんうんと言いながら押し開けて入ってくる)おかしいな。
鍵がかかっているのかな……(部屋に入ってきて、肘かけ椅子をもとの場所に戻す)まったく、障害物競走みたいだぞ。
アルカージナ、ポリーナ、そのあとに酒瓶をたくさん持ったヤーコフ、それからマーシャ、あとから遅れてシャムラーエフとトリゴーリンが、それぞれやって来る。
アルカージナ 赤ブドウと、トリゴーリンさんが飲むビールは、このテーブルのところに置いてちょうだいね。
これからみんなでロトゲームをしながら飲むんだから。
さあ、みんなも席に座りましょう。
ポリーナ (ヤーコフに向かって)すぐに皆にお茶を出しておくれ。
(何本もの蝋燭に火をともし、カルタ用のテーブルの席に座る)
シャムラーエフ (トリゴーリンの腕を引っ張って戸棚の方へ連れて行きながら)ほら、これですよ、さっきお話ししていた品物は……(戸棚の中からカモメの剥製を取り出す)あなたのご注文通りに用意したんです。
トリゴーリン (カモメの剥製をじっと眺めながら)そんなの頼んだ覚えがないなぁ! (首をかしげながら)まったく覚えがないぞ!
――そのとき、右手の舞台裏から突然、パーンと銃声が響く。
みんなはびっくりして、思わず体がこわばる。
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