(大声で)コースチャ! うちのせがれやー! コースチャ!
マーシャ あたしが行って、探してきましょうか。
アルカージナ ええ、お願いね。
マーシャ (左のほうへ行きながら)おーい! トレープレフさん!……おーい! (退場する)
ニーナ (仮設舞台の裏から顔を出しながら)もう続きのお芝居はないみたいだから、あたし出ていってもいいかしら。
みなさんこんばんは!(アルカージナやポリーナとキスを交わす)
ソーリン ブラボー! ブラボー!
アルカージナ ブラボー! ブラボー! みんなで本当に感心していたのよ。
あんなに可愛いルックスで、あんなに素晴らしい声をしているのに、田舎に引っ込んだままなんて本当にもったいないわ。
絶対すごい才能があるはずよ。
ねえ、いい? 舞台に立つことは、あなたの義務なんだからね!
ニーナ まあ、あたしの夢もまさにそれなんです!(ため息をつく)でも、叶いっこありませんわ。
アルカージナ そんなこと言わないの。
さあ、ご紹介するわね――こちらは作家のトリゴーリンさん、ボリース・アレクセーエヴィチよ。
ニーナ まあ、とってもうれしいです……(ドキドキしながら)いつも本を読ませていただいて……
アルカージナ (ニーナを自分のそばに座らせながら)そんなに固くならなくても大丈夫よ。
有名な人だけど、中身はすごくさっぱりした気さくな方だからね。
ほら、あっちのほうが緊張しちゃってるみたいだし。
ドールン そろそろお芝居の幕をあげてもいい頃じゃないかな、なんだか落ち着かないよ。
シャムラーエフ (大声で)ヤーコフ! ちょいと一つ、幕をあげてくれんかね! (幕が上がる)
ニーナ (トリゴーリンに向かって)ねえ、どうでしたか、ちょっと変わったお芝居でしょう?
トリゴーリン さっぱり意味はわからなかったけれどね。
でも、すごく面白く見させてもらったよ。
君の演技はとっても真剣だったし。
それにセットも、なかなか凝っていてね。
(間)この湖には、魚がたくさんいるんだろうね。
ニーナ ええ、たくさんいますわ。
トリゴーリン 僕は釣りが大好きでね。
夕方、岸辺にぽつんと座って、じーっとウキを見つめているときが、人生で一番楽しい時間なんだよ。
ニーナ でも、一度なにかを作る喜びを知った人には、そんな普通の楽しみなんて無くなっちゃうんじゃないかしら。
アルカージナ (ケラケラと笑い声を立てて)そんなこと言っちゃダメよ。
この人、まわりからおだてられると、すぐに調子に乗っちゃうんだから。
シャムラーエフ 忘れもしませんなぁ、いつだったかモスクワの劇場でね、あの有名なシルヴァ(※イタリアの有名な歌手)が、うんと低いドの音を出したんです。
そのときですな、なんとクレムリンの合唱団のバス歌手が一人、天井裏の席からこっそり見物していたんですが、突然藪から棒に、いやもう驚いたのなんの、その一番高い天井桟敷から、「ブラボー、シルヴァ!」って叫びだしたんです――しかも、完全に一オクターブ低い声でね。
……まぁ、こんな具合にさ――(低いバスの声で)ブラボー、シルヴァ……。
そしたら、劇場中がシーンとなっちまったんですよ。
(間)
ドールン 静寂の天使が通りすぎたな。
(※みんなが急に黙りこくったときに言うお決まりのジョーク)
ニーナ 私、もう行かなくちゃ。
みなさん、さようなら。
アルカージナ どこに行くのよ? こんなに早い時間から? 簡単には返してあげないんだから。
ニーナ パパが待っていますから。
アルカージナ まったく、厳しいお父さんねぇ……(キスを交わす)じゃあ、仕方がないわね。
帰すのは本当に残念だけど。
ニーナ あたしだって、お暇するのがどんなに寂しいことか!
アルカージナ 誰かに送ってもらったほうがいいわよね、心配だわ。
ニーナ (おどおどしながら)そんな、とんでもないですわ!
ソーリン (お願いするようにニーナを見つめて)もっと、ここにいておくれよ!
ニーナ ダメなんです、ソーリンさん。
ソーリン せめてもう一時間だけでも――とまあ、そういうわけさね。いいじゃありませんか、ほんとに……
ニーナ (ちょっと考えて、涙声で)いけませんわ! (握手して、足早に去っていく)
アルカージナ まったく、本当に可哀想な娘さんねえ。
聞いた話だとね、あの子のお母さんが亡くなる前に、ものすごい財産をぜんぶ一文残りなく、ご主人の名義に変えさせちゃったんだって。
そしたら今度はそのお父さんが、新しくもらった奥さんの名義にしちゃったものだから、いまじゃあの子は、すっからかんで身寄りもないようなものなのよ。
ひどいお話だわ。
ドールン まったくそうだね。あの子のお父さんはなかなかの人でなしで、言い訳の余地すらないよ。
ソーリン (冷たくなった手をこすりながら)みなさん、ぼくらもそろそろ行こうじゃないか。
あたりがすっかり湿っぽくなってきたぞ。
なんだか足の関節がずきずきするよ。
アルカージナ あなたの足なんて、まるで木の棒でできてるみたいなんだから。
歩くのすらやっとじゃないの。
さあ、行きますよ、みじめなおじいちゃん。
(彼の腕を支えてあげる)
シャムラーエフ (妻に片手を差し出して)マダム?
ソーリン ほら、また犬が吠えだしたぞ。
(シャムラーエフに向かって)お願いだからさ、シャムラーエフさん、あの犬を放してやるように言ってくれないか。
シャムラーエフ それはダメですよ、ソーリンさん。穀物倉庫に泥棒が入ったら困りますからね。
なんせ私のキビがしっかりしまってあるんですから。
(並んで歩いているメドヴェージェンコに向かって)完全に一オクターブ低い声でね、「ブラボー、シルヴァ!」ってやったんですよ。しかも相手は、本物のプロの歌手じゃなくて、ただの教会の歌うたいなんですからははは。
メドヴェージェンコ いったい給料はどれくらいなんでしょうねえ、クレムリンあたりの歌うたいだと?
ドールン以外の全員が退場する。
ドールン (ひとりで)もしかしたら、俺にはなにも分かっていないのか、それとも頭がおかしくなっちゃったのかもしれないがね、とにかくあの芝居はすごく気に入ったよ。
あれには、なにか本物がある。
あの娘が孤独について話しだしたときや、やがて悪魔の真っ赤な目玉がぽっと現れたときなんか、俺はなんだかワクワクして手がふるえちゃったもんなあ。
すごく新鮮で、素朴だった。
……おや、先生がやって来たみたいだな。
なるべく元気づけてやれるようなことを言ってやりたいものだね。
トレープレフ (登場して)もう誰もいないや。
ドールン ここに私がいますよ。
トレープレフ あのマーシャのやつが、庭じゅうを捜し回ってるんだよ。
ほんとうにうんざりする女だな。
ドールン ねえトレープレフ君、僕は君のあの芝居、すっかり気に入っちまったよ。
ちょっと変わっていたし、最後のほうは最後まで見られなかったけれどね、でも強烈な印象を受けたな。
君にはすごい才能がある。だから、ぜひとも書き続けるんだね。
トレープレフはぎゅっと相手の手を握りしめ、いきなり抱きつく。
ドールン おっとっと、なんて神経質なやつだ。
おまけに目をうるませてさ。
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