「これからわしが案内しようという先は、ちょっとかわった人物なんでねえ。
君たちは気持わるがって、もう帰ろうといいだすかもしれんよ」
「大丈夫ですよ。
ぼくは、いつもこわいものが見たくて、探しまわっているんですよ」
「あたしだって、こわいもの平気よ。
ポーデル先生、そのかわった人物というのは一つ目小僧ですか、それともろくろッ首ですか」
「うわはは、二人とも気の強いことをいうわい。
いや、一つ目小僧やろくろッ首なのではない。
また幽霊でもない。
それはたしかに生きている人物なんだ。
彼はすばらしく頭のいい学者でのおう、大学教授といえども彼の専門の学問についてはかなわない。
かなわないどころか、さっぱり歯が立たないのじゃ」
「先生、その方はどんな学問を専攻していられるんですか」
「オプティックス――つまり光学、ひかりの学問なんだ。
光の反射とか、光の屈折とか、光の吸収とか、そういう学問の最高権威だ」
「じゃあ、あたり前の学問ですわ。
別にかわっていないと思いますわ」
「いや、大いにかわっている。
それは君たちが実際ケンプ君――ドクター・ケンプというのが彼の名前さ。
そのドクター・ケンプにじっさい会ってみりゃ、ただちにわかる。
一目見れば分るのだ」
「ドクター・ケンプですね。
はてな、その名前ならどこかで聞いたような気がするが……」
と、東助は考えこんだが、すぐには思い出せなかった。
「おお、この下だ」急降下するよ。
目がまわるよ」
博士の声につづいて、艇(てい)はガタンと下へ落ちはじめた。
目がまわる。
「もういいよ。
外へでようや」
博士の声に、ハッと我にかえった二人だった。
静かだ。
気持ちもすっきりと洗い流されたようになった。
そこで一同は、例の非ユークリッドの空間に通ずる扉を開き、外へでた。
目の前に、古ぼけた洋館が建っていた。
ペンキははげちょろけで、軒(のき)はかたむいていた。
窓という窓には、かっこ悪い鎧戸(よろいど)が閉まっていて、開いている窓はない。
空き家なのだろうか。
いや、そうではない。
煙突から黒い煙が出ている。
中で石炭をストーブにくべているんだ。
それなら中に人がいることまちがいなしだ。
ポーデル博士は、空飛ぶ樽(たる)を草むらの中にかくしたあとで、石段をのぼって玄関の前に立ち、上からぶら下っている綱を二三度ひいた。
言葉はわからないが、ゆがんだ声が家の中から聞こえた。
と、中でかけ金が外れる音がしてから、入口の扉がスーッと内側へ開いた。
「この前、君にお話しておいたとおり、この二人が君にぜひあいたいというお客さんじゃ」
と、博士は家の中の人に、東助とヒトミを紹介した。
二人はあわてて家の中へおじぎをした。
しかし、家の中の人の姿は見えなかった。
「みんな入りたまえ。
早く!」
ゴツゴツした声が家の中からとびだした。
「お許しがでた。
さあ入りたまえ、君たち」
博士にうながされて、東助とヒトミは家の中へとびこんだ。
――だが奇妙なことに、玄関を入った廊下には誰もいなかった。
「ポーデル先生。
あのドクターは、どこにいらっしゃるんですの」
ヒトミがそういってたずねたとき、きげんのわるい咳ばらいの声が、二人の子供の後ろに聞こえた。
二人はびっくりして後ろをふりかえったが、しかしそこにはやっぱり誰もいなかった。
そのかわりに――というと、ちょっとおかしいが、玄関の扉がひとりでに動きだして、バタンと閉まった。
そしてかけ金がひとりでに動きだして、ガチャリと音をたててかかった。
ヒトミはもちろん東助も、頭から冷水をぶっかけられたようにゾオーッとして、左右からポーデル博士にすがりついた。
「幽霊屋敷……」
「目に見えない幽霊がいるんですね。
何者の幽霊ですか」
見えない人
「さわいではいけないね。
この家のご主人に対して失礼だから」
と、博士は冷やかに二人にいった。
そのとき、またもや例のふきげんな咳ばらいの声がそばで聞こえ、それから、たしかに人間が立っているにちがいない足音が、トントンと廊下の奥へ伝わっていった。
が、それは足音だけのことで、やっぱり姿はなかった。
「ドクター・ケンプはいつもぶっきら棒にものをいう。
しかし心はいい人なんだから、君たちは恐れずに、何でも質問したまえ」
博士が二人の子供に注意をあたえた。
「あ、思い出したぞ」と、東助がこのとき叫んだ。
「ドクター・ケンプは透明人間なんでしょう。
ねえ、ポーデル先生」
「ドクター・ケンプといえば、透明人間にきまっているさ」
と、博士は分り切ったことを聞く奴だといわんばかりの顔をした。
「いったい彼は、どんな学問を使って、からだを見えなくすることに成功したか、それが大事なことなんだから、ぜひたずねてみたまえ」
廊下の奥の左側の扉が、ひとりでに内側へ開いた。
もう二人は前ほどおどろかなかった。
そのかわり、早くケンプの前へ立って、ほんとうにドクターのからだが透明で、何も見えないのかどうかをたしかめたくなった。
「入口をまっすぐ入って、この三つの椅子に腰をかけたまえ。
勝手に部屋の中を歩きまわることはごめんこうむる」
部屋の中からドクターの声がし、そして椅子が生きているようにガタガタと肩をふり、足をふみならした。
入ってみると、この部屋はドクターの化学実験室だみえて、天井は高く、まわりの白壁は薬品がとんだと見えて茶色に汚れた所が方々にあった。
まわりの壁は薬品戸棚と、うず高くつみあげた書籍雑誌で隙間もない。
中央に大きな台があって、その上にごたごたと実験用の器具やガラス製のレトルト、ビーカー、蛇管、試験管などが林のように並んでいた。
三人の椅子のその台の前にあった。
東助も、ヒトミも、目を丸くしてこの実験台の異風景に見とれていたが、とつぜん、一箇の架台がレトルトをのせたまま宙に浮いた。
「あッ」
その架台は横の方へいって、再び台の上へ足をおろした。
次はビーカーがいくつも、ひとりでに台の上からまいあがって、台の隅っこへもぐりこんだ。
試験管がコトンコトンと音をたてながら台ごと横へすべっていった。
と、とつぜんジャーッと音がして、栓から水がいきおいよく流れだした。
すると大きなビーカーが動きだして、水を受けた。
水はビーカーの中に八分目ぐらい入った。水道の栓が勝手に動き出して、水が止まりました。
今度はビーカーが、スルスルと実験台の上に戻ってきました。
すると、アルコールランプのフタがポンと飛び上がり、台の上にコトンと降りました。
続いて、引き出しからマッチが飛び出してきて、一本の軸木がマッチ箱の横をシュッとこすりました。
ジッ!と軸木に火がつきます。
その火は、すーっとアルコールランプの芯に近づきました。
ポッという可愛い音とともに、青白い炎が高く上がりました。
今度は、架台(かだい)と金網が一緒にピューッと飛んできて、アルコールランプの上にすっぽりとかぶさりました。
さらに、水の入ったビーカーがフワッと飛んできて、架台の上の金網にドスンと乗りました。
青い炎は金網を通じ、ビーカーの水をぐつぐつと温め始めたのです。
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