初級翻訳・ふしぎ国探検 第6話

ふしぎ国探検

あまりにも奇妙で、まるで魔法のような道具たちのダンスに、東助もヒトミも息をのんで、身動き一つできませんでした。
そのとき、アルコールランプの燃える台の向こうから、あの特徴のある不機嫌そうな咳払い(せきばらい)が聞こえてきました。
どうやら、見えないドクター・ケンプが、台の向こう側に腰を下ろしたようです。
イスがガタリと床の上で音を立てました。

「ケンプくん。いったいどうやって、自分の体を透明にすることができたのかね?」
ポーデル博士が、台の向こうに向かって声をかけました。
姿は見えませんが、ドクターは立て続けにコンコンと咳払いをしました。

「透明なんじゃない。もともと見えない人間になったんだ」
ドクターは、少し怒ったような声で、ポツリポツリと話しはじめました。
「その研究には、長い長い年月をかけた。ものすごい大金を使い果たした。ぼくは、おやじの遺産(いさん)まで持ち出したんだ……。
三年あれば研究は完成すると思っていたが、それは甘かった。だから、家を売り払って、次の五年間分の研究費を作った。
……しかし五年目の終わりになって、今度こそ上手くいくだろうと思ったのが大間違いだった。致命的な壁にぶぶつかり、それまでの研究はすべてダメだとわかったんだ。
あまりのショックに、ぼくは一週間、まるで死んだようにベッドから起き上がれなかった……。
やり直すしかない。ふりだしに戻って、はじめからやり直さなければならないんだ。
だが、研究の資金はどこから出す? 何を食べて研究を続けろというんだ?
ぼくは、残りの少ない持ち物を、ほとんど全部たたき売った。
ああ、優しかった母の形見の指輪さえ売ったんだ。
寒い冬を越すためにどうしても必要なオーバーコートさえ、他人の手に渡した。
学者としての命よりも大切な、宝物の本、三千冊も売り払った。ベッドさえも手放したんだ。
そして、このボロ屋に転がりこんだ……。
あとに残ったのは、いまこの部屋に転がっているものだけだ。
実験の道具、どうしても必要な本と研究ノート、わずかな生活道具だけになってしまった。
それでもぼくは気を奮い立たせ、最後の研究にとりかかった。
そのとき、ぼくの健康が、もう取り返しのつかないほどボロボロになっていることに気がついた。
それからというもの、来る日も来る日も悪寒(おかん)と高熱に苦しみながら、ぼくは新しい道を切り開き、研究を進めた……。
そして――十月十一日! 絶対に忘れはしない、あの十月十一日のことだ。
夜明けの光が窓から差し込んできたとき、三日間一睡もせずに続けた研究が、ついに実を結んだのだ!
見ろ、ぼくの手のひらの上にのっているこの一本の紐(ひも)を! 手ざわりはあるのに、形はまったく見えないだろう?
ダイナモ(発電機)の力を借りて、ぼくはその紐を、完全に透明に見えなくしてしまったのさ!」

猫の実験

姿の見えないドクター・ケンプは、フーッと一息つくと、ふしぎな物語を続けました。

「ものに光が当たったとき、その形が見えるのはなぜか知っているか?
それは、光がその物体に当たって跳ね返る(反射する)からだ。あるいは、光が中へ入り込んで曲がる(屈折する)からだ。
もし、光が当たっても跳ね返さず、曲げもしないとしたら、その物体の形はまったく見えなくなってしまうのだ。
……ガラス板は透明だが、ちゃんと形が見えるだろう?
これは、反射がない場合でも、光が空気の中を通るときより、ガラスの中を通るときの方がひどく曲がるからだ。
では、そのガラス板を水の中に沈めてみたらどうなるか?
今度は、さっきよりもずっと見えにくくなる。
なぜなら、水の曲がり具合(屈折率)がガラスのそれとほとんど同じだからだ。光はガラス板をまっすぐ通り抜けてしまう。
だから、ガラス板の形が見えにくくなるんだ。
……もし、そのガラス板を粉々に砕いたうえで、水の中に入れてみたらどうなると思う?
すると、そのガラスの粉は、ほとんど完全に見えなくなるのだ。
これが、偉大なヒントだった!
つまり、人間の体の曲がり具合(屈折率)を、空気と同じにしてしまえばいいんだ。
そして同時に、光を反射もせず、吸収もしないようにする。
ああ、なんと素晴らしい思いつきだろう!
そしてぼくは、ついにその偉大な仕事をやりとげたのだ。
ごらんの通りさ。ここにあるぼくの身体が見えるかい?
ガラス板なら見えるが、ぼくの身体は、どう透かして見ようとしても決して見えないのだ。
ぼくの身体を作っている細胞は、ある特別な方法によって変化させられ、空気の中ではまったく見えなくなっているのさ。
ただし、細胞を変化させるときには、前後十時間にわたって、死ぬような苦しみを味わった。言葉では説明できないほどの猛烈な苦しみをね……」

ゴトゴトゴトと、ビーカーの中のお湯が沸騰を始めました。
「ぼくは、さっきも言ったように、まずは一本の紐を見えないものにしたんだ」その次、第二番目には、動物にそれをためして見た。
一ぴきの仔猫が、いつも窓の向こうへのぼって日なたぼっこをしていた。
ぼくはその仔猫を実験に使おうと思った。
ぼくは、そっと硝子窓をあけて、喰いのこした鰊(にしん)を見せた。
仔猫は何なく中へ入ってきた。
仔猫が満腹して、椅子の上で睡りだしたとき、ぼくはモルフィネを注射して、完全に睡らせてしまった。
二十四時間は睡りつづけるだろう。
ぼくは仔猫を抱きあげて、ダイナモの前においた。
それから念入りに装置をしかけ、仔猫の細胞をかえにかかった。
五時間を過ぎると、仔猫の身体はだんだん白っぽくなってきた。
それから手足の先が、ぼんやりしてきた。
七時間目には、仔猫は目をふさいだままだったが、あばれだして、口からものをはきちらした。
よほど苦しいらしい。
そして一時間たった。
遂に仔猫の身体は見えなくなった。
しかし手をやってみると、仔猫の身体はちゃんと台の上にあった。
だが仔猫の姿はまだ完全に見えなくなったわけではなかった。
うすい青い丸い玉が二つ、台の上三センチばかりのところに宙に浮んでいた。
それは猫の眼玉だった。
なかなか色のぬけないのは、眼玉のひとみの色と毛の色、それから血の色だった。
だから仔猫の眼玉が完全に消えてしまったのは二十時間後だった。
ぼくは手さぐりで、仔猫をゆわえてあるバンドをといた。
そして部屋の隅の箱の中に移した。
それからぼくは睡った。
この実験のために非常に疲れていたから。
長い睡りから目をさました。
猫の声がうるさく耳についたからだ。
起きあがったが、猫の声はするが、姿は見えない。
ぼくは直ぐ気がついた。
『しまった、猫を紐でしばっておくんだった』と。
ぼくはそれから部屋の中をぐるぐるまわって、猫の声を目あてに追いかけた。
だが、なかなかつかまらない。
そのうちにぼくは、箒(ほうき)で硝子窓を壊してしまった。
猫の声がしなくなったのは、それから間もなくのことだった。
見えない猫は、硝子の穴から外へとびだしたのにちがいない。
だからこの世の中に、見えない猫が一ぴき、すんでいるのだ。
気をつけて下さいよ、その猫にいきあたったら。
いつその猫に、のどをかき破られるか分らないんだ。

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