あまりに早口でよく聞き取れなかったんですが、わかるところだけでも、こっちの顔が赤くなるような……男としてのプライドをボロボロにするような悪口ばかりで。もう恥ずかしいやら情けないやらで、だんだん怖くなってきちゃいまして」
「幽霊のほうが怖がってどうするんだよ」
「全身の毛が逆立つくらい怖くなったので、『それならまた出直しますから、今夜はこれで失礼します』と言って逃げようとしたんです。ところが、相手がパッと立ち上がりました。それがもう、めちゃくちゃに早いんです。あっという間に台所からすりこぎ棒を持ってきて、いきなりポカッとここを……。見てくださいよ、この大きなたんこぶ! 『二度と来やがれ、噛みちぎってやるからね!』って叫ばれて……グスッ、ううう……」
担当の幽霊は、こぶしで目をこすりながら続けました。
「あっしは生きていた時、真面目な紙くず拾いでした。この世の中ってのは、正直な人や弱い人、真面目な人間ばかりが苦労するようにできています。汗を流して一生懸命、肩や腰が曲がるほど働いても、おなかいっぱい食べることもできません。ボロボロの服を着た奥さんに、新しい浴衣一枚買ってあげられず、子供がよその子が食べているお菓子を欲しがれば、叱りつけてごまかすしかありませんでした。悪いことをして笑っているようなやつを『旦那さま』と敬い、政治がどんなにひどくても、ビクビクしながら生きてきました。『なあに、お天道さまが見ている。お天道さまは見捨てないはずだ。この世で報われなくても、あの世へ行けばお釈迦さまがいる。きっといいことがあるはずだ』……そう思って、つらいことも我慢してきました。ところが、とんでもない。結局、あの世に来ても同じことだったんですよ」
元・紙くず拾いの幽霊は、少し興奮しながらも、丁寧な口調で訴えるように続けました。
「この世もお金、あの世もお金。この世でどんなにひどいことをした人間でも、お寺にたくさんお金を払えば、威張って成仏できます。極楽へでもどこへでも好きなところへ行けるんです。でも、貧乏人はまともなお葬式もできず、お布施もたくさん出せません。だからお坊さんは最初からバカにしているんです。……今だから言いますけど、あっしが死んだ時に来たお坊さんなんて、あなた、お葬式の最後にこんなデタラメを言ったんですよ」
「――ヤンコノセーフーモン一カモン二カ。カーッ!……ってね」「その場にいた人たちは、何のことかさっぱりわからなくて、みんな『ありがたいお経だなぁ』なんて顔をしていました。でも、あっしはもう魂になっていたから、意味がわかっちゃったんです。『ヤンコ』は『今夜』で、『セーフー』は『お布施(お金)』のこと。つまり、『今夜のお布施は、たったの1円か2円か』なんて、お金の文句を言っていたんですよ。……ほほほほ、これが死ぬ時の最後のお別れの言葉(引導)だなんて。ねえ、あなた、これで天国に行けると思いますか?」
「それが本当なら、とんでもなくひどいお坊さんもいたもんだな」
「お坊さんがこんな調子なんですから、そのボスの仏さまだって似たようなものですよ。あっしたちがどんなにひどい扱いを受けているか、わかるでしょう? ……正直な人や弱い人、真面目な人間は、この世にいてもあの世に来ても、結局ひどい目に遭うんです。神様も仏様も、なーんにも助けてくれやしません。苦しむのは、いつだって貧乏な人ばかりなんです」
ここで、元・紙くず拾いの幽霊は叫びだしました。
「あっしは言いたい! 人間は、生きているうちがすべてなんです! 『死んだらきっといいことがある』なんて歯を食いしばって我慢したって、あの世に来ていいことなんて一つもありません。何から何まで、生きているうちのことなんです! 悪いやつだとわかっている相手を、旦那さまだなんて敬っちゃいけない。ひどい政治に黙って目をつぶっちゃいけない。ただ正直なだけじゃダメなんです。弱い人は強くなって、貧乏だって奥さんや子供の幸せを守らなきゃいけない。生きているうちに、そうしなきゃいけないんですよ。生きているうちに、です!」
そして彼は、おでこのたんこぶをなでました。
「証拠はこれですよ。幽霊になっても、あっしみたいな男はこんな目にあうんです。見てください、この大きなたんこぶを! もう、こりごりですよ。ほほほほ、もうたくさんです!」
また、別のおじいさんとおばあさんの幽霊は、寝てばかりいました。おじいさんはおなかが痛いし、おばあさんは咳が出るしで、「今夜は冷える」とか「じめじめして湿気が強い」とか「風邪っぽい」とか言い訳ばかり。お客さんから依頼があっても、なかなか働こうとしません。
若い娘の幽霊の一人はとても真面目で、一番よく働いてくれました。でも、半月ほど経つと、
「親戚の人がお葬式をして供養してくれたので、今度こそ天国へ行けることになりました。わたしはこれでお別れです」
と言って、消えてしまいました。
そのすぐあとのことです。元・紙くず拾いじゃない方の男の幽霊が、仕事先から声をからして、フラフラになって帰ってきました。声が完全に枯れてしまっていて、何を言っているのかさっぱりわかりません。手や首を激しく振って、「もう嫌だ! 勘弁してくれ!」というポーズをしました。
「いったいどうしたんだ? 何があったんだよ?」
「ゼエゼエ……ゼエゼエ……ゼエゼエ……」
まるで、汚れが詰まってしまったタバコのパイプみたいな、ひどい音です。
弥六(やろく)がその幽霊の口元に耳をくっつけて聞いてみると、こういうことでした。驚かせる相手は太った50歳くらいのおじさんだったのですが、グーグーいびきをかいて爆睡中。いくら「うらめしや〜」とやっても全く目を覚まさず、手応えが全くないのです。
「そのいびきがですよ……」
担当の幽霊は、ゼエゼエした声で続けました。
「とんでもなく大きないびきで、こっちの耳がガンガンするくらいなんです。だから負けじと、こっちももっと大きな声を出さなきゃいけなくて。もう、怖いとか不気味とか、そんな生やさしいレベルじゃありません。一晩中、どっちの声が大きいか競争しているみたいで。気がついたら夜が明けちゃって、あたしはこんな声になっていました。こんな声に……ゼエゼエゼエ……。もう、こりごりです。あたしはやめさせてもらいます!」
この幽霊も、それっきり消えてしまいました。
他にもいくつかトラブルはありましたが、商売はますます絶好調。人手が足りないので、お染(おそめ)さんも幽霊として仕事に出るようになりました。
こうして、お店を開いてちょうど17日目のことでした。珍しくおじいさんもおばあさんも出かけ、元・紙くず拾いも、例の浮気な娘の幽霊も、お染さんもみんな出払って、弥六が一人で留守番をしていました。
「生きているうちがすべて、か。なるほどな」
彼は久しぶりに一人でのんびりと寝転がって、あくびをしながら、そんなことをつぶやきました。
……神様も仏様もいない。あの世へ行ったっていいことなんてない。人間は、生きているうちに生きがいのあることをしなければならない。
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