初級翻訳・ゆだん大敵 第7話

ゆだん大敵

余にはどうにも本当のこととは思えんのだが、実際のところはどうなのだ」
「お言葉どおりでございます」
「わざと譲ってやったのか?」
忠辰はカッと目をいかりさせました。
「……あの思い上がった態度が憎たらしいからこそ、お前が出ていけと申し付けたのだ。それがわからなかったのか!」
「わざわざ相手にするようなことでもございません」
久之助は穏やかに答えました。
「……ああいう者には、あえて負けてやるのが武士のたしなみと心得ます。ここで勝ったところでそれだけの話ですし、下手に勝ったりすると、ほかの国へ行ってからよからぬ噂を言いふらしかねません。そうでなくとも、せっかく遠くから頼ってやってきた者ですから、これくらいの親切は当然のおもてなしというものでしょう」
忠辰はなるほどとうなずきました。
そして声を少し和らげながら、主税助を家来として召し抱えるべきかどうかを尋ねてきました。もしよければ、神道流の武術もこの藩に取り入れてみたいというのです。しかし久之助は、すぐに「それはやめるべきです」と答えました。
「確かに優れた腕前はあると存じますが、心構えが純粋ではなく、目つきも真っ直ぐではないように思われます。お取り立てにならぬのがよろしいでしょう」
あの久之助がここまでハッキリと自分の意見を述べるのは珍しいことでした。忠辰はその言葉がよほど嬉しかったのか、不機嫌だった顔をほぐし、「ご苦労であった」と何度もうなずいたのでした。

久之助が自分の屋敷に戻ってきたのは、午後四時過ぎのことでした。
父親は老臣の一人に呼ばれて留守にしているとのことでした。部屋で着替えをしていると、そこへ横堀賢七がやって来て、「……少々お話ししたいことがございます」と言いました。
久之助はうなずき、「入れ」と告げると、静かに袴の紐を締め直して、賢七と向き合って座りました。

九

「今日は改めてお尋ねしたいことがあります」
賢七がそう切り出しました。
「……私たちはこの道場へ、柳生流の剣術を教えていただくために入門いたしました。その点において、私たちに何か勘違いでもあったのでしょうか」
「……続けて話を聞こう」
久之助はポツリとそう言いました。
「その心構えで入門し、その心構えで修業を重ねてまいりました。私は以前から一刀流を学んでおり、思い上がるようですが、自分なりにつかんだところもあったと自負しております。しかし、柳生流を学ぶためにはこれまでの知識を忘れ、ひたすら謙虚に教えを受けてきたつもりです」
「…………」
久之助は黙ったまま、次の言葉を待ちました。
「ところで、先ほど四人がいただいた免状というものを拝見しますと、『ゆだん大敵』などという、くだらない五文字が記されているだけで、奥義の伝授とは似ても似つかないものでした……。下働きや下僕がするような拭き掃除、洗濯をさせられ、針を持ち、畑仕事までさせられていただいた結果もらえる免許が、『ゆだん大敵』の五文字だなんて、どう考えても理解ができません。これは何かの一違いではないのですか?」
「間違いではない」
久之助は穏やかにそう言いました。
「……お渡しした免状は五文字、『ゆだん大敵』という五文字に間違いありません」
「そして、それが柳生流の極意だとでもいうのですか?」
賢七の目は殺気を帯び、声は引きつるように震えていました。
彼は久之助を射るように睨みつけ、片手で自分の膝を強く掴みながら叫びました。
「……はっきり答えてください! その五文字が柳生流の極意だと言うのですか!」
切羽詰まった賢七の叫び声を聞き流すように、久之助はしばらく黙って長押(ながし)のあたりを見つめていました。
そして、待ちきれなくなった賢七がさらに何かを言い募ろうとしたとき、ようやく賢七の方へと目を向け、一語一語を噛みしめるような口調で言いました。
「自分が柳生家で学んだことは、嘘も隠しもない。けれども、この道場で柳生流の剣術を教授すると言った覚えはない」
「それではいったい、何をお教えなさるというのですか!」
「武士の魂とは剣だ。自分が柳生家で学んだのは、その剣の『道』なのだ。太刀さばきや、相手の攻撃を受け流す技などは知らないし、知ろうとも思わない。私が柳生家で学び、貴公らに伝えているのは、剣術ではなく剣道なのだ、『道』なのだ」
「そんな抽象的な哲学ではなく、実際の例を聞かせていただきましょう。『道』などというのはただの言葉に過ぎません。これがこの道場で教える『道』なのだという事実を、はっきりと示してください」
「よろしい」
久之助は静かにおうなずきました。
「……ではその前に尋ねるが、武士の奉公というものが、自分の命と引き換えに忠義を尽くすところから始まるということを知っているか」
「日頃から、その覚悟で生きております」
「では、仮に今ここで命を差し出すとしたら、貴公は即座に死ぬことができるか」
「そんな心配には及びません。今すぐ死んでみせましょう!」
強気で言い放った賢七の目を、久之助は心の底まで見通すような深い眼差しで、しばらくじっと見つめ返していました。それから久之助は膝を少し前へ進め、手を伸ばして賢七の着物の衿(えり)を指さしました。
「その衿の汚れをよく見なさい。……命を国に捧げるはずの武士が、そんなに衿垢(えりあか)のついた着物を着ていて、恥ずかしくはないのか」
「これは道場着でございます。いわゆる死に装束というもので、武士が死ぬときにはちゃんとした作法があるのです。髪の毛もちゃんと水髪(みずがみ:きれいに整えた髪)に結い直しますし、肌着から裃(かみしも)まで、準備はあらかじめできております」
「もし、そんな準備をする暇がなかったらどうする」
「…………」
「『いつでもいつ何どきでも』というのは、待ったなしという意味なのだ。たった今、この場で自分の命を国に差し出さなければならないとなったときは、どうするつもりだ」
賢七はぎゅっと唇を噛みしめて、何も言い返せませんでした。
久之助は静かに立ち上がり、
「こちらへ来い」
と言って、ずんずんとおくの部屋へと歩いていきました。賢七はうつむいたまま、悔しそうな、怒ったような足どりでその後をついていきました。
……道場と久之助の住まいの間には、廊下に面した小さな部屋が七つありました。そこは門人たちが寝起きする部屋で、久之助はその一番端にある賢七の部屋へと入っていきました。
そして、乱暴に戸棚(とだな)を開けると、中にあるものを一つひとつ取り出して畳の上に並べ立てました。
……それをすべてここに書き記すのはかわいそうですが、めぼしい物だけでもなかなかの数でした。中でも一番おかしな組み合わせだったのは、あまりきれいではない下帯(したおび:ふんどし)といっしょに、紙に包まれた飴玉(あめだま)が出てきたことでした。
「ここは今日、片付けようと思っていたところなのです」
賢七はさすがに焦ったようで、そう言い訳をしました。
「……ここ二、三日、忙しくて暇がなかったのです、本当です」
久之助は何も言いませんでした。戸棚の中のものをすっかり出し終えると、隅に置いてあった挟箱(はさみばこ:書類や衣服を入れる長方形の箱)を開けました。

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