初級翻訳・ブタ飼い 第2話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

ねえ、あそこへ行って、あの楽器のおねだんをきいてきてちょうだい」
こういうわけで、侍女のひとりが、そのブタ小屋のほうへはいっていかなければならなくなりました。
けれども、侍女は、まずその前に、木の上靴(サボ)にはきかえました。
――
「そのつぼは、いくらでゆずっていただけるの?」と、侍女はたずねました。
「お姫さまのキスを十(とお)ください」と、ブタ飼いは答えました。
「まあ、とんでもない!」と、侍女は言いました。
「でも、それ以下では、お売りできません」と、ブタ飼いは言いました。
「ねえ、なんて言っていた?」とお姫さまはたずねました。
「とても、あたくしには申しあげられませんわ!」と、侍女は答えました。
「だって、あまりにもひどいでございますもの!」
「じゃあ、あたしだけにそっと言ってちょうだい」
そこで、侍女はお姫さまの耳にそっと申しあげました。
「まあ、なんて失礼なひとなんでしょう!」
そう言うと、お姫さまはいそいでその場から歩き出しました。
――ところが、ほんのちょっと行ったかと思うと、もうまた、あの鈴が、かわいらしい音をたてて鳴り出しました。
ああ、いとしいアウグスチン、
もうおしまいよ、なにもかも!

「ねえ」と、お姫さまは言いました。
「あたしの侍女たちのキスを十でもいいから、もう一度きいてきてちょうだい」
「いいえ、ごめんこうむります」と、ブタ飼いは言いました。
「お姫さまご本人からキスを十いただかなければ、つぼはおゆずりできません」
「なんて、いやなことを言うひとなんでしょう!」とお姫さまは言いました。
「じゃあ、だれにも見られないように、みんなして、あたしの前に立っていておくれ」
そこで、侍女たちは、お姫さまの前にずらりと立ちならび、長いスカートのはしをつまんで、大きくひろげました。
こうして、ブタ飼いは、お姫さまからキスを十もらいました。
そのかわりに、お姫さまは、ブタ飼いからすてきなつぼをもらったのです。
さあ、これはおもしろいことになったと、みんなは大よろこびです。
夜も昼も、つぼの中のお湯を、チンチンとわかせておきました。
この町の中なら、えらい家来のお屋敷でも、靴やさんの家でも、いまその台所でどんな料理が作られているか、わからないような家は一けんもありませんでした。
侍女たちは、うれしさのあまり踊りながら、手をパチパチたたきました。
「あたしたちには、だれが今夜、おいしいスープとパンケーキを食べるのか、ちゃんとわかりますのよ。
それから、オートミールとカツレツを食べるのはだれだかも、みんな知ってますのよ。
ほんとに、おもしろいったらありませんわ!」
「ほんとにおもしろうございますわね!」と、侍女の頭の人も言いました。
「そうね、でも、だまっていなくてはいけませんよ。
だって、あたしは皇帝の娘なんですからね」
「はい、はい、そうでございますとも!」と、みんなは口をそろえて言いました。
あのブタ飼いは、ほんとうは立派な王子様なんですが、だれもそんなことは夢にも知りません。
みんな、ほんとうのブタ飼いだとばかり思いこんでいたのです。
ところが、このブタ飼いは、一日だってむだに日を送るようなことはしませんでした。
また何かを作っていたのですが、見ると、今度はとっても楽しいガラガラを作っていました。それを振りまわせば、世の中に知られている曲という曲、ワルツでも、ギャロップでも、ポルカでも、どんな曲でも、鳴らすことができるのでした。
「まあ、すてき!」と、お姫さまは、そこを通りかかって、言いました。
「こんな美しい曲は、あたし、まだ聞いたことがないわ。
ねえ、あそこへ行って、あの楽器のおねだんをきいてきてちょうだい。
でも、もうあたし、キスはいやよ」
「お姫さまのキスを百、いただきたいと申しております」ききに行った侍女が、もどってきて、そう言いました。
「きっと、頭がへんなんだわ」お姫さまは、こう言いすてて、歩き出しました。
けれども、ほんのちょっと行くか行かないうちに、また立ちどまりました。
「芸術というものは、すすめてやったり、はげましてやらなければならないわ」と、お姫さまは言いました。
「それに、あたしは皇帝の娘ですもの。
あの男に、こう言ってちょうだい。
あたしは、きのうと同じように、キスを十してあげます。
あとは、侍女たちがしてあげますって」
「はい。
ですけど、そんなこと、あたしたち、いやでございますわ」と、侍女たちは申しました。
「ばかなことを言うんじゃないよ」と、お姫さまは言いました。
あたしだって、キスするのだもの、おまえたちだって、そのくらいのことできるでしょう。
そのかわりね、おまえたちには、おいしいものや、お金をあげますよ」
こうして、あの侍女は、またもや、はいっていかなければなりませんでした。
「お姫さまのキスを百!」と、ブタ飼いは言いました。
「でないと、わたしのものは、なにもあげません」
「おまえたち、あたしの前に立っておくれ」と、お姫さまは言いました。
侍女たちは、みんな、お姫さまの前に立ちならびました。
それから、お姫さまは、ブタ飼いにキスをしはじめました。
「あの、下のブタ小屋のところには、あんなに人が集まっているが、いったい、どうしたことじゃ?」そのとき、露台に出てきた皇帝が、言いました。
そして、目をこすって、めがねをかけました。
「あそこでさわいでいるのは、どうやら侍女たちじゃな。
どれ、おりていって、見てやろう!」
こう言って、皇帝はスリッパのかかとを、ぐっと上げました。
いつもはいている靴は、かかとをふみつぶしてしまって、スリッパになっていたのです。
おや、おや、皇帝の早いこと、早いこと! たいへんないそぎようでした。
庭におりると、皇帝は、そっと、しのび足で歩きはじめました。
侍女たちは、ブタ飼いのもらうキスが、多すぎも少なすぎもしないで、きちんと数だけもらうように、むちゅうになってキスの数をかぞえていましたので、皇帝のおいでになったことには、すこしも気がつきませんでした。
皇帝は、のび上がって、ごらんになりました。
「いや、はや、なんたることじゃ!」と、皇帝は、ふたりがキスしているのを見て、言いました。
そして、ブタ飼いが、ちょうど八十六回めのキスをもらったときに、かたほうのスリッパで、ふたりの頭を打ちました。
「出ていけ!」と、皇帝は、かんかんにおこって、言いました。
こうして、お姫さまも、ブタ飼いも、とうとう、この国から追い出されてしまいました。
お姫さまは立ちどまって、泣き出しました。
ブタ飼いは、ぶつぶつ文句を言っていました。
そのうちに、雨がざあざあ降ってきました。
「ああ、あたしは、なんてみじめな人間なんでしょう!」と、お姫さまは言いました。
「あの美しい王子さまを、おむかえしておけばよかったのに! ああ、なんてあたしは、ふしあわせなんでしょう!」
そのとき、ブタ飼いは近くにある、木のかげにいって、顔にぬっていた、茶色や黒のきたない色をふきとりました。
それから、きたならしい着物をぬぎすてて、今度は、自分の王子の着物を着て、出てきました。

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