やがて、お姫さまは、森の中の、どろどろした広いところへきました。そこには、油ぎった大きなウミヘビがとぐろをまいて、気味の悪い、うす黄色の腹を見せていました。
広場のまんなかに、一軒の家が立っていましたが、それは、船が沈んだときに死んだ人間の白骨で作られたものでした。
その家の中に、魔法使いがいたのです。
魔法使いはちょうど、人間が小さなカナリアにお砂糖をなめさせてやるようなぐあいに、自分の口からヒキガエルにエサをやっているところでした。
そして、あの見るもいやらしい、ふとしたウミヘビを「かわいいひなっこや」と呼んで、だぶだぶした大きな胸の上をはいずりまわらせていました。
「おまえさんがなんできたのか、わたしにはちゃんとわかっているよ」と、魔法使いの女は言いました。
「バカなことはやめておきな。
わがままを押し通すと、今に不幸せになるよ、きれいなお姫さん。
おまえさんはサカナのしっぽを取っちゃって、そのかわり、人間みたいに歩くときに使う二本のつっかい棒がほしいんだろ。
そうして、若い王子がおまえさんを好きになって、おまえさんは王子と死ぬことのない魂を手に入れようってつもりだね」
こう言って、魔法使いはぞっとするような高い声で笑いました。
そのひょうしにヒキガエルとウミヘビは下にころがり落ちて、あたりをはいずりまわりました。
「だが、おまえさんはいいときにきたんだよ」と、魔法使いは言いました。
「あしたになってお日さまがのぼっちまえば、あと一年たたないことにはおまえさんを助けてやるわけにはいかなかったんだよ。
どれ、ひとつ飲みぐすりをこしらえてやろうかね。
おまえさんはそれを持って、お日さまがのぼらないうちに陸地におよいでいくんだよ。
それから岸にあがって、くすりをお飲み。
そうすりゃおまえさんのしっぽはちぢんでしまって、足ってものになるよ。
ほら、人間がきれいないい足と言ってる、あれさ。
だが、そりゃあ痛いのなんのって。
まるで、するどい剣でつきさされるようだよ。
そのかわり、おまえさんを見ればどんな人間でも、ああ、今までに見たことのないきれいな娘だ、と言うにきまってるよ。
おまえさんの歩きかたは上品で軽そうで、どんな踊り子だって、おまえさんみたいにはいかないさ。
だが歩けば、ひとあしごとにするどいナイフをふんで、血が出るような思いをするだろうよ。
どうだい。
それでもがまんができるというのなら、力をかしてやってもいいよ」
「はい、お願いします」と、人魚のお姫さまはふるえる声で言いました。
王子のことを思い、死なない魂を手に入れることをじっと思っていました。
「だが、これだけは忘れちゃいけないよ」と、魔法使いが言いました。
「一度人間の姿になっちまえば、もう二度と人魚の娘にもどることはできないんだよ。
二度と水の中をくぐってねえさんたちや、お父さんのお城へもどってはこられないんだよ。
それにだね、王子がお父さんやおかあさんのことを忘れてしまうほどおまえさんを好きになって、心の底からおまえさんのことばかり思うようになり、牧師さんにたのんでおまえさんたちふたりの手をにぎらせてもらって夫婦にしてもらわなきゃ、死なない魂はおまえさんの手にはいりっこないんだよ。
もしも王子がだれかほかの女とでも結婚しようもんなら、そのつぎの朝にはおまえさんの心臓ははれつして、おまえさんは水の上のあわとなってしまうんだよ」
「それでもかまいません」と、人魚のお姫さまは言いました。
けれども、顔の色は死人のように青ざめました。
「それから、わたしにはらう代金のことも忘れちゃこまるよ」と、魔法使いは言いました。
「なにしろ、わたしのほしいってのはちょっとやそっとのものじゃないからね。
おまえさんはこの海の底のだれよりもきれいな声を持っている。
その声で王子の心をまよわそうってつもりなんだろうが、じつはその声をわたしゃもらいたいのさ。
だいじな飲みぐすりをやるんだから、そのかわりにおまえさんの持っているいちばんいいものをもらいたいってわけだよ。
なにしろ飲みぐすりが、もろ刃の剣のようによくきくようにするためには、わたしゃ自分の血をその中へまぜこまなきゃならないんだからね」
「でも、あなたにこの声をあげてしまったら、あたしにはいったい何がのこるんでしょう?」と、人魚のお姫さまが言いました。
「おまえさんにはきれいな姿と、軽い上品な歩きかたと、ものをいう目があるじゃないか。
それだけありゃ人間の心をまよわすことができるってもんさ。
おや、おまえさん、勇気がなくなったかい? さあさ、その小さな舌をお出し。
くすりのお代に切らせてもらうよ」そのかわり、よくきくくすりはやるからね」
「いいわ、どうぞ」と、人魚のお姫さまは言いました。
魔法使いは、なべを火にかけて、魔法のくすりを作りにかかりました。
「まず、きれいにしてとね」
魔法使いは、こう言って、ヘビをくるくると結んで、それで、なべをみがきました。
それがすむと、今度は、自分の胸をひっかいて、黒い血をなべの中にたらしました。
すると、そこから湯気が、もうもうとたちのぼって、なんともいえない、気味のわるい形になりました。
そのようすは、まったくおそろしくて、ぞっとするほどでした。
魔法使いは、ひっきりなしに、なべの中に新しいものを入れました。
やがて、それがよくにたつと、まるで、ワニの鳴くような音をたてました。
こうして、とうとう、くすりができあがりましいた。
見ただけでは、まるで、きれいにすんだ水のようでした。
「さてと、できたよ」と、魔法使いは言いました。
そして、人魚のお姫さまの舌を切りとりました。
これで、お姫さまはおしになってしまいました。
もうこれからは、歌もうたえませんし、ものを言うこともできません。
「おまえさんが、これから森の中を帰っていくとき、ポリプどもにつかまりそうになったら」と、魔法使いは言いました。
「たった一たらしでいいから、この飲みぐすりをかけてやんなさい。
そうすりゃ、やつらの腕や指は、みんな粉々に飛んじまうから」
でも、そんなことをするまでもありませんでした。
ポリプたちは、お姫さまの手の中で、くすりがお星さまのようにキラキラ光っているのを見ると、はっとおそれて、からだをひっこめてしまいました。
ですから、お姫さまは、なんの苦もなく、森もどろ沼も、はげしいうずまきの中をも通りぬけていきました。
おとうさまのお城が見えてきました。
大きな部屋の明りは、もう消えています。
みんなは、きっと寝ているのにちがいありません。
お姫さまは、みんなのところへ行こうとはしませんでした。
今は、ものを言うこともできませんし、それに、きょうかぎり、一生のお別れをしようと思っているのです。
お姫さまの心は、悲しみのためにはりさけそうでした。
そっとお庭の中にはいっていくて、おねえさまたちの花壇から、一つずつ花をつみとりました。
そして、お城のほうへ、何度も何度もキスを投げてから、青い海の中を上へ上へとのぼっていきました。
まだ、お日さまののぼらないころ、人魚のお姫さまは、王子のお城を見あげながら、りっぱな大理石の階段の上にのぼりました。
初級翻訳・人魚の姫 第7話
アンデルセン ハンス・クリスチャン
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