初級翻訳・人魚の姫 第8話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

お月さまが、美しく、明るくかがやいていました。
人魚のお姫さまは、燃えるように強いくすりを飲みました。
すると、もろ刃のつるぎで、かぼそいからだをつきさされたような気がしました。
たちまち、気が遠くなって、死んだようにその場にたおれました。
やがて、お日さまがキラキラと海の面を照らしました。
人魚のお姫さまはようやく気がつきましたが、はげしい痛みをからだに感じました。
目をあげて見れば、すぐ前に、あの美しい、若い王子が立っています。
王子は、黒い目で、じっと、お姫さまを見つめていました。
お姫さまは、思わず、その目をふせました。
と、どうでしょう。
さかなのしっぽは、いつのまにか消えてしまって、かわいらしい人間の娘しか持っていないような、世にも美しい、小さな白い足が生えているではありませんか。
けれども、お姫さまは、なんにも着ていません。
はだかでしたので、ゆたかな長い髪の毛で、からだをかくしました。
「あなたは、どういうかたですか? どうしてここへきたのですか?」と、王子はたずねました。
お姫さまは、青い目で、いかにもやさしそうに、でも、たいそう悲しげに、王子を見つめました。
なぜって、お姫さまは、口をきくことができないのですから。
王子は、お姫さまの手をとって、お城の中へ連れていきました。
お姫さまは、ひとあし歩くたびごとに、魔法使いが前に言ったとおり、とがった針か、するどいナイフの上をふんでいるような思いがしました。
けれども、このくらいの苦しみはよろこんでがまんしました。
王子に手を引かれながら、お姫さまは、水のあわかと思われるほど、たいそうかろやかに、のぼっていきました。
その軽々とした、かわいらしいお姫さまの歩きかたに、王子もほかの人たちも、ただただおどろいていました。
お姫さまは、絹やモスリンの、りっぱな着物をいただきました。
お城の中で、お姫さまが、だれよりもいちばんきれいでした。
でも、かわいそうに、おしだったのです。
歌をうたうことも、ものを言うこともできません。
絹と金とで着かざった、美しい女のどれいたちが出てきて、王子と、王子のご両親の王さま、お妃さまの前で、歌をうたいました。
中のひとりが、ほかのものよりもじょうずにうたいました。すると、王子は手をたたいて、その女のほうへほほえみかけました。
それを見ると、人魚のお姫さまはとても悲しくなりました。
自分だったら、もっともっとよい声でうたうことができたのに、と思ったのです。
そして、心の中で言いました。
「ああ、王子さま、あなたのおそばにいたいために、あたしは、永久に声をすててしまったのです。
せめて、それだけでも、わかってくださったら」
やがて、女のどれいたちは、すばらしい音楽に合せて、今度は、美しく、かろやかに踊りました。
人魚のお姫さまも、美しい白い腕をあげて、つま先で立ちながら、床の上をすべるように、軽々と踊りました。
そんなにみごとに踊ったものは、だれもありません。
踊って動くたびごとに、お姫さまの美しさが、いよいよ加わりました。
その目は心の中の思いをあらわして、どれいたちの歌よりも、強く強く人の心を打ちました。
人々は、みんな、うっとりと見とれていました。
なかでも、王子のよろこびかたはたいへんなもので、「かわいいすて子さん」と呼びました。
お姫さまは、足が床にさわるたびごとに、するどいナイフの上をふむような思いをしました。
それでも、じっとがまんして、踊りつづけました。
王子はお姫さまに、これからは、いつも自分のそばにいるように、と言いました。
そのうえ、お姫さまは、王子の部屋の前にある、ビロードのふとんに寝てもいい、というおゆるしもいただきました。
王子は、お姫さまのために、男の着物を作らせて、ウマに乗っていくおともをさせました。
ふたりは、かおりのよい森の中を通っていきました。
みどりの枝が肩にふれたり、小さな鳥が若葉のかげでさえずったりしていました。
お姫さまは、王子といっしょに高い山にものぼりました。
か弱い足からは、だれの目にもわかるくらい、血がにじみ出ましたが、それでも、お姫さまはただ笑って、どんどん王子のあとについていきました。
とうとう、雲の上まで出ました。
そこから見ると、下のほうを流れている雲は、遠くの国へ飛んでいく、鳥のむれのように見えました。
王子のお城で、ほかの人たちが夜になって寝てしまうと、お姫さまは、はばの広い大理石の階段をおりて、燃えるような足をつめたい海の水の中にひたして、ひやしました。
そんなときには、深い海の底にいる、なつかしい人たちのことが思い出されるのでした。
ある晩のこと、おねえさまたちが、手をつないで、海の上に出てきました。
みんなは、波のまにまに浮びながら、ひどく悲しい歌をうたいました。
お姫さまが、手まねきすると、おねえさまたちのほうでも、それに気がつきました。
「海の底ではね、あなたがいなくなってから、みんな、とっても悲しんでいるのよ」と、おねえさまたちは話しました。
それからというものは、おねえさまたちは、毎晩たずねてきてくれました。
ある晩などは、もう何年も海の上に出てきたことのない、お年よりのおばあさまと、頭にかんむりをかぶった、人魚の王さまの姿までも、ずっと遠くのほうに見えました。
おばあさまもおとうさまも、お姫さまのほうへ手をさしのばしました。
けれども、おねえさまたちのように、陸の近くまでこようとはしませんでした。
一日ごとに、王子は、お姫さまが好きになりました。
といっても、王子は、おとなしい、かわいい子供をかわいがるように、お姫さまをかわいがっていたのです。
ですから、お妃にしようなどとは、夢にも思っていませんでした。
ところが、お姫さまのほうでは、どうしても、王子のお妃にならなければなりません。
さもなければ、死ぬことのない魂を、手に入れることができないのです。
いや、それどころか、王子が結婚したつぎの朝には、海の上のあわとなってしまうのです。
王子が人魚のお姫さまを腕にだいて、美しいひたいにキスをすると、お姫さまの目は、
「あたしが、だれよりもかわいいとはお思いになりませんか?」と言っているように思われました。
「うん、おまえがいちばん好きだよ」と、王子は言いました。
「だって、おまえは、だれよりもやさしい心を持っていて、ぼくにま心をつくしてくれているんだもの。
それに、おまえは、ある若い娘さんに似ているんだよ。
その娘さんには、いつか一度会ったことがあるけれど、きっともう、会うことはないだろう。
ぼくが船に乗って、海に出たときのことだよ。
乗っていた船は、あらしにあって、沈んだけれど、ぼくは波に打ちあげられて、岸べについた。
見ると、その近くには修道院があって、若い娘さんが、何人もおつとめをしていた。
その中のいちばん若い娘さんが、岸べに打ちあげられているぼくを見つけて、命を助けてくれたんだよ。
そのとき、ぼくは、その娘さんの顔を、二度しか見なかった。でも、ぼくがこの世の中で、いちばん好きに思うのは、ただ、その娘さんだけなんだよ。
だけど、おまえを見ていると、とても、その娘さんによく似ている。

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