初級翻訳・人魚の姫 第1話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

海のはるか遠くへ進んでいくと、水の色はちっとも濁りのない、いちばん美しいヤグルマソウの花びらのようにまっさおになり、きれいに透き通ったガラスのようにすっきりと澄みわたっています。
けれども、そのあたりはとっても深いので、どんなに長い綱をつけたイカダの錨をおろしても、海の底まで届くことはありません。
海の底から水面まで届かせようとしたら、教会の高い塔をいくつもいくつも積み重ねなければならないほどです。
そんな深いところに、人魚たちは住んでいるのです。

みなさんは、海の底にはただ白い砂が広がっているだけで、ほには何もないなんて思っていませんか?
そこには、びっくりするほどめずらしい木や草がちゃんと生えているのですよ。
その茎や葉っぱは、どれもこれもふニャニャと柔らかく、なよなよとしています。
だから、水がほんのちょっと動くだけで、まるで生き物のようにゆらゆらと揺れ動くのです。
そして、私たちのいるこの陸の上を鳥が空いっぱいに飛びまわっているように、水の中では小さな魚や大きな魚たちが、その枝と枝の間をスイスイと気持ちよさそうに泳いでいます。

この海の底のいちばん深いところに、人魚の王さまのお城があります。
お城の壁はきれいなサンゴでできていて、先端のとがった高い窓は、中までよく透き通るこはくで作られています。
それから、たくさんの貝殻が集まって屋根になっているのですが、その貝殻は海の水が流れてくるたびに、ぱかっと口を開けたり閉じたりするのです。
その美しいことといったら、もう言葉では言い表せないほどです。
なにしろ、貝殻の一つひとつに、ピカピカと光る真珠がついているのですから。
その真珠をほんの一粒取って、女王さまの冠につけただけでも、とっても立派な飾りになるでしょう。

そのお城に住んでいる人魚の王さまは、もう何年も前にお妃さまを亡くしてからというもの、ずっとひとりで暮らしていました。
だから、お城の中のお仕事や雑用は、お年を召したおばあさまである王さまのお母さまが、なんでもとりしきっていました。
おばあさまはとても頭のいい方でしたが、自分の身分が高いことをものすごく自慢にしていました。
そのため、自分のしっぽには十二個ものカキの貝殻をつけているのに、ほかの人たちには、どんなに身分の高い人であっても、六個しかつけることを許さなかったのです。
でも、この見栄っ張りなところさえ目をつぶれば、本当に褒めてあげたくなるような素敵な方でした。
なにより、孫娘である小さな人魚のお姫さまたちを、それはそれはかわいがっていました。

お姫さまは全部で六人いました。
どの子もそろいもそろって可愛い方ばかりでしたが、その中でもいちばん下のお姫さまが一番の美人でした。
お肌はバラの花びらのようになめらかでキメが細かく、目は深い深い海の底のように青くすんでいました。
でも、ほかのお姉さまたちと同じように、やっぱり足はありません。
体の終わりは、魚のしっぽと自然につながっていたのです。

一日じゅう、お姫さまたちは海の底にあるお城の大広間で楽しく遊びました。
広間の壁には、なんと本物の生きている花がパッと咲いていました。
大きなこはくの窓を開けると、魚たちがスイスイと泳ぎながら入ってきました。
まるで、私たちが人間の家で窓を開けたときに、ツバメが部屋の中へ飛び込んでくるのと同じような具合です。
魚たちは小さなお姫さまのそばまでスルスルと泳いできて、手からエサをもらったり、頭をなでてもらったりしました。

お城の外には、それはそれは大きなお庭がありました。
お庭には、火のように真っ赤な木や、海のようにおおあおとした青い木が生い茂っていました。
そうした木々は茎や葉っぱをいつもゆらゆらと揺らしているので、木の実はまるで黄金のように輝き、花は燃えさかる炎のようにキラキラと光っていました。
庭の地面はとってもきめ細かい砂地になっていましたが、まるで硫黄の炎のように青く妖しく光っていました。
こうして、あたり一面がふしぎな青い光でキラキラと輝いていたので、まるで海の底にいるような気なんてちっともしませんでした。
頭の上を見ても、下を見ても、どこもかしこも美しい青い光に包まれていて、かえって、ふんわかと高い空の上に浮かんでいるような気持ちになったのです。

風がぴたりと止まっているときには、海の上にあるお日さまの姿を見ることもできました。
お日さまは、まるでおうむ色の花のように見えて、その中心からあたり一面へと、まばゆい光がパーッと流れ出しているように思われました。

小さなお姫さまたちは、お庭の中にそれぞれ自分の小さな花壇を持っていました。
そこでは、自分の好きなように土をほじくったり、好きなお花を植えたりすることができました。
あるお姫さまは、花壇をカッコいいクジラの形に作りました。
もうひとりのお姫さまは、かわいい人魚の形に作りました。
ところが、いちばん下のお姫さまは、お日さまのようにまんまるい花壇を作って、お日さまのように赤く輝くお花だけをそこに植えました。
このいちばん下のお姫さまは、ほかの子たちとはちょっと違っていて、とっても物静かで、いつもいろんなことを深く考え込むような子供だったのです。お姉さたちたちが、浅瀬に乗りあげた船からひろってきた、めずらしいものをかざって遊んでいるようなときでも、この一番下のお姫さまだけはちがいました。
お姫さまは、ずっと上のほうにかがやいているお日さまに似た、バラのように赤い花と、それから、美しい大理石の、たった一つの像だけを、いちばん大事にしていました。
その像というのは、すきとおるように白い大理石にほった、美しい少年の像で、あるとき、難破した船から、海の底へしずんできたものだったのです。
お姫さまは、この像のそばに、バラのように赤いシダレヤナギをうえました。
ヤナギの木は、いつのまにか美しく、大きくなりました。
若々しい枝は、その像の上にかぶさって、先は青い砂地にまでたれさがりました。
すると、枝が動くにつれて、そのかげがむらさき色にうつって、ゆらめきました。
そのありさまは、まるで、枝の先と根とが、たがいにキスをしようとして、ふざけあっているようでした。

お姫さたちにとっては、上のほうにある人間の世界のお話を聞くことが、なによりの楽しみでした。
お年よりのおばあさまは、船だの町だの、人間だの動物だのについて、知っていることを、なんでも話してくれました。
そのお話の中で、お姫さたちが、なによりもおもしろく、ふしぎに思ったのは、陸の上では、花がよいかおりをして、におっているということでした。
むりもありません。
海の底にある花には、なんのにおいもないのですからね。
それからまた、森はみどりの色をしていて、木の枝と枝とのあいだに、見えたりかくれたりするさかなたちは、美しい、高い声で、楽しい歌をうたうということも、ふしぎに思われました。
おばあさまがさかなと言ったのは、じつは、小鳥のことでした。
なぜって、そうでも言わなければ、まだ鳥を見たことのないお姫さたちには、どんなに説明しても、わかるはずがありませんからね。

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