すると一休さんは、おきょうでもよむようなふしをつけて、
門松は冥土の旅の一里塚
めでたいうもありめでたいうもなし
とうたい、つづけて、
正月のぎしきは死ぬることはじめ
どんどは火そう二十日ほねあげ
とうたって、目をぱちくりしているきゅうべえをしりめに、さっさとどこかへいってしまいました。
なんといっても、お正月はめでたいときです。
そのめでたいときに、一休さんはどうしてそんなことをして、ひとをいやがらせたのでしょう。
それは、こういうわけでした。
そのころの京都のまちは大変ぜいたくになっていました。
そればかりでなく、かねかしとか、よくないものがはびこって、たかい利しをとっては人々をくるしめていました。
一休さんはそれをいましめようとしたのでした。
ことにぜにやきゅうべえは、かねかしのなかでもいちばんたちのわるいやつで、きゅうべえからかねをかりたひとは、みなくるしんでいました。
それで、一休さんはきゅうべえのいえにはわざわざたちよって、しゃれこうべを突きつけ、
「おまえは、かねかねといって、びんぼうにんからたかい利しをまきあげ、じぶんだけぜいたくをしてひとをくるしめてへいきでいるが、おまえがいくらかねをためても、しんでしまえば、このしゃれこうべとおんなじになるのだよ。
かねはあのよに持ってはいかれない。
ちと心をあらためなさい。」
と、いましめようとしたのでした。
殿さまのそうしき
一休さんが、大ぶとしとってからのなかのよいともだちに、にながわしんざえもんという人がありました。
しんざえもんは一休さんのえらさにかんしんして、わざわざじしゃぶぎょうというたかいやくめをやめ、一休さんのしんじゃになったひとでした。一休さんと新右衛門さんが色々な話をしていると、一人の武士が一休さんの庵(いおり)を訪ねてきて、
「私は上村内記(うえむらないき)という者の家来ですが、このたび殿さまが亡くなりました。
その遺言(ゆいごん)に、わしが死んだらぜひ一休さんに引導(いんどう)を渡してもらえ、とありました。
どうかぜひ、仏さまに引導を渡してください」
と、頼みました。
一休さんは、すぐ、
「承知した」
と答えましたが、すぐあとから、
「けれど、わしはお供が多いぞ。
それに、わしのお供は、一人について、銭一貫(ぜにいっかん)ずつ申し受けることになっている。
それを承知してくださるか?」
と、付け加えました。
「はい、かしこまりました。
それではよろしくお願いいたします」
と言って家来は帰りました。
それをそばで聞いていた蜷川新右衛門(にながわしんざえもん)は不思議そうにして、一休さんに言いました。
「あなたは欲のない方だと思っていましたが、あんがい欲が深いですね」
「まあ、いいよ。
新右衛門、見ておれ」
一休さんはただにこにこと笑って、新右衛門の言葉を聞き流していましたが、すぐ、
「さあ、新右衛門、おまえにも銭一貫をもらってやるぞ。
ついてこい」
と言って、立ち上がりました。
新右衛門さんも、ははあ、これは何かわけがあるな、と気づきましたから、だまって一休さんについていきました。
五条の橋を渡って、向こうの河原に出ると、一休さんは、一つの乞食の小屋に立ち寄りました。
「木仏(もくさん)木仏、ちょいと頼みじゃ。
銭もうけじゃ」
一休さんはここの乞食と知り合いと見えて、そう呼びました。
乞食の木仏が出てきました。
一休さんは、
「何百人でもいいから、おまえの知っている乞食をみんな集めてくれ」
「なんですか、一休さん」
「上村内記の葬式じゃ」
一休さんはわけを話して、
「あれは金持ちだから、うんと金をもらってやるのだ」
「それはおもしろいですね。
では、さっそく集めましょう」
乞食の木仏は、そこらじゅうの乞食を呼び集め、京都じゅうの乞食をみなかり集めました。
数えてみると三百五十五人集まりました。
「さあ、それでは頼む」
一休さんは三百五十五人の乞食をぞろぞろ連れて、殿さまの屋敷に乗り込みました。
いくらお供が多いといっても、三百五十五人も来るとは思いもかけなかった殿さまの屋敷では、びっくりしてしまいましたが、数を決めて約束したわけではありませんから、しぶしぶ、三百五十五人の乞食に、銭一貫ずつを払いました。
一休さんはおかしさを隠して、静かに引導を渡しました。
慈悲もせず、悪事もなさず死ぬものは、仏も褒めず閻魔(えんま)もとがめず。
死んだ殿さまはただ金をためるのが楽しみで、慈悲の心を持たないで有名でした。
そんな人の金なら、乞食にやったほうがいいと、一休さんはこういうことをしたのですが、続けてこう言いました。
大名も乞食も同じ月は月、水、火、風のうつけもの奴らッ!
人間は殿さまも乞食も同じ人間だ、と言ったのです。
そう言った一休さんの目には涙があふれていました。
たった一日だけの養子
将軍や武士や偉い人にこびへつらうことのきらいな一休さんは、いつもまずしいものの味方でした。
いつも一休さんと親しくしている、三英堂(みえいどう)という扇屋の老人夫婦が、ある日突然一休さんをたずねてきて、
「一休さん、長くおつきあいいただきましたが、このたびわけあって店をやめ、国に帰ることになりました」
と言いました。
「ほう、お金がたまったので、国に帰って静かに暮らすつもりかい」
一休さんはそう言いましたが、けっしてそうではないことを知っていました。
老人夫婦は、目に涙をため、
「とんでもございません。
借金がたまって、店をやっていけなくなりました」「それはお気の毒じゃ。借金はどのくらいあるのかね?」
「百両でございます。店を売れば、その百両が返せます」
「ほう、百両かな」
一休さんはじっと考え込んでいましたが、ポンとひざを打って、
「いいことがある。どうじゃな、三英堂さん、わしをあなた方の養子にしてくださらんか。二人が田舎に帰っても一文無しでは困るじゃろう。わたしがその借金を返してあげよう」
「と、とんでもない。あなたさまのような方を、わたしどものようなものの養子だなんて……!」
老人夫婦はびっくりしてしまいました。
一休さんは笑って、
「まあ、わたしに任せておきなさい」
と言うと、次の日の朝早く、のこのこと三英堂に出かけていって、
「三英堂さん、筆とすずりを貸してください」
「どうなさるのですか?」
「いいから貸してください」
老人夫婦から筆と墨を借りると、一休さんは、
「さあ、わたしは今日からあなたがたの息子です。どうぞ夕方まで遊んできてください」
と言って、老人夫婦を遊びに送り出してやりました。
そのあとで、一休さんは戸棚から紙を何枚も出してつなぎ合わせ、
「一休は今日から三英堂の養子になりました。そのお披露目に、今日一日だけ、扇を買ってくださった方に、無料で記号(きごう)します」
と書いて、店の前に貼り出しました。
記号というのは、字を書くことです。
さあ、扇を買えば、一休さんがただで字を書いてくださるというので、大変な評判になりました。
夕方、老人夫婦が「一休さんはどうなすったかな」と思いながら帰ってきたときには、一休さんの脇には山のように現金が積み重なっていました。
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