初級翻訳・一寸法師 第19話

一寸法師

【疑惑】

その翌朝、小林紋三はどこかぼんやりとした表情で、山野家の玄関に現れました。
彼は一晩中悪夢にうなされていたせいで、夢と昨夜の現実の出来事が混ざり合い、どこまでが本当でどこからが夢なのか、自分でもよく分からなくなっていたのです。
まるで全てが嘘だったのではないか、そんな気さえしました。

気のせいか、山野の屋敷は以前とはどこか様子が違って見えます。
門の中の砂利道にはゴミが落ち、玄関の台には埃がたまり、二階の雨戸も半分しか開いておらず、全ての景色がどこか物寂しく、荒れ果てたように感じられました。
取次に出てきた書生の山木も、変に青ざめた顔をしています。
紋三は、山野夫人がまた行方不明になっているのではないか、そればかりが気にかかりました。

「奥さんは?」
彼は奥の方をのぞき込むようにして、小さな声で尋ねました。
「いらっしゃいません」
紋三はそれを聞くと、心臓が跳ね上がるほど驚きました。
「いつから?」
「え?」
山木は不思議そうな顔で紋三を見ました。
「昨夜からお帰りがないのだろう」
「いいえ、今し方、明智さんのところへお出かけになったばかりですよ」
「ああ、明智さんのところへ……」
紋三は照れ隠しに、早口でそう言いました。恥ずかしさで顔が真っ赤になるのを感じます。
「じゃあ、昨夜はどこかへお出かけではなかったのか」
「昨夜は片町の御親戚のところへいらっしゃいました」
書生は平然と答えました。
「で、何時ごろお帰りになったんだ?」
「九時ごろでしたよ」
書生がまた変な顔をします。九時といえば、まさに紋三があの暗い路地でうろうろと待ち伏せしていた時間です。
彼はますます訳が分からなくなりました。
山野夫人が、あの厳重な見張りを一体どうやってすり抜けたというのでしょう。そんなことは到底不可能です。
とすると、やはり昨夜の出来事は、ただの悪夢に過ぎなかったのでしょうか。
彼はとにかく一度、夫人に会って確かめたいと思いました。

「じゃあ、まだ明智さんのところにいるんだな」
「ええ、つい今し方出かけたばかりですから」
「その後、他に変わったことはないか?」
紋三は帰り支度をしながら、ふと思い出して尋ねました。
「旦那さんの病気はどうだね」
「どうも良くないようです。熱が高くて、今朝から看護婦が二人も来るようになったのですが、なんだか家の中が滅茶苦茶ですよ。そこへ、小間使の小松が、昨夜『医者へ行く』と言ったきり帰ってこないんです」
「小松といえば、頭痛がするとか言って寝ていたあの子か」
「ええ、心当たりの場所へ電話をかけたり、使いを走らせたりしたのですが、今のところ行方不明です。それに今朝は早くから警察の人たちがやってくる始末でして。奥さん一人で本当に大変なんです」
「警察では、何か手がかりでもつかんだのかい?」
紋三は一々先を越されているような気がして、面白くない気分でした。
「駄目ですよ、何も分かっちゃいないんです」
書生は吐き捨てるように言いました。
「例の片腕の小包の件を、明智さんから通知したんでしょう。それで警察が調べに来たんです。あの騒がしい百貨店の片腕事件が、うちのお嬢さんの事件と関係があることが分かったので、警察もやっと本気で騒ぎ始めたんですよ。そんな訳で、お嬢さんがいなくなったことは主人には内緒にしていたのに、すっかりバレてしまって、病気が余計にひどくなってしまいました。実際、滅茶苦茶です。私たちだって夜もろくに眠れませんよ」
書生はニキビだらけの顔をしかめて、大袈裟に愚痴をこぼしました。

紋三はそれだけ聞くと山野家を辞して、夫人の後を追うように赤坂の明智の宿へ向かいました。
彼の頭の中では、様々な事柄がモヤモヤと渦を巻いています。
謎の人物は一日ごとに増えていくようです。
第一に例の奇怪な一寸法師、暇を取った運転手の蕗屋、昨夜の不思議な眼鏡の男、今また小間使小松の失踪、そして彼が敬愛する百合枝夫人もまた、この渦中の人物であることに間違いありません。
昨夜のことは決して夢ではないのですから、いくら好意的に解釈しようとしても、夫人がこの事件でかなり重要な役割を演じていることは確かです。悪く考えれば、夫人が自分にとっては継子(ままこ)である三千子を、何らかの手段で消してしまったのではないかと疑うこともできました。
紋三は昨夜から何度もこの恐ろしい疑問にぶつかっていました。
ぶつかるたびに思わずゾッとして、無理やり他のことを考えようと努めてきたのです。だが、万一その疑いが事実だったとしても、彼は決して夫人を憎まないばかりか、むしろ彼女と共にその罪の発覚を恐れ、秘密を守るために努力したに違いありません。
そして、このような夫人の弱みを握ったことを、彼女との間の永久の絆として、密かに喜んだかもしれません。
彼の中の夫人に対する一種のあこがれは、この数日の間に、それほどまでに育っていたのです。
したがって、彼は明智の才能を恐れないではいられませんでした。
もし明智が首尾よく三千子殺害の犯人を見つけ出したとして、その犯人が他ならぬ百合枝夫人だったら……そう思うと気が気ではありませんでした。
そんな意味からも、彼は一度明智に会って様子を探っておきたかったのです。
「だが、まさかそんなことはあるまい。もし夫人にやましいところがあれば、最初から明智なんか頼まないだろうし、昨夜の今日、彼女の方から明智を訪ねるというのも辻褄が合わない」
それを考えると、少し安心ができました。
そうした物思いにふけっている間に、電車はいつか目的の停留所に着いていました。
車掌が大きな声を出さなかったら、彼はうっかり乗り越してしまうところでした。
菊水旅館を訪ねると、すぐに明智の部屋へ通されましたが、そこには明智が一人きりで、目的の山野夫人の姿はありませんでした。
「山野の奥さんは見えていないのですか」
紋三は座りながら、まずそれを聞きました。
「今、帰ったところだ。もう一足早ければ会えたのに」
明智は相変わらずニコニコして紋三を迎えました。
「そうですか、急いで来たんだけど……それはそうと、その後何か手がかりでも見つかりましたか」
年齢や社会的地位は違っても、昔の下宿友達という親しみやすさが、つい口を軽くさせました。
それに紋三は、昨夜の冒険でいくらか思い上がっていたのです。
自分のような素人があの重大な秘密をかぎつけているのに、名探偵といわれる明智がまだ何も知らないらしい様子が、もどかしくもあり、少なからず愉快でもありました。
「いや、発見というほどのこともないよ」
明智は落ち着いていました。
「この事件はかなり難しそうですね。あなたにも似合わないほど進行が遅いじゃありませんか」
紋三はつい、そんな口を利いてみたくなりました。
言ってしまってからハッとして、明智の顔色をうかがいました。
「随分と変な事件だからね」
しかし明智は別に怒る様子もなく、やっぱりニコニコしながら言いました。
「それはそうと、君は昨夜は大いに活動したそうだね。僕の方の手がかりなんかより、一つそれを聞こうじゃないか。君もなかなか隅に置けないね」
紋三は突然、顔を真っ赤にしてしまいました。

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