彼女は小さいときに亡くなった姉のことなどおぼえていなかったのだ。
それで、古い家庭のことをきくのはもうやめた。
西口ミサ子の娘は、勝子(かつこ)といった。
そのほか三人の女の子のなかに、赤い新しい洋服を着た川本千里(かわもとちさと)という子どもがいた。
がまんできず、休み時間のとき、それとなくきいてみた。
「千里さんのお父さんは大工さんね?」
すると千里は、松江(まつえ)そっくりの黒い目を見はって、
「ううん、大工さんはおじいさん」
「あら、そうだったの」
しかし彼女の学籍簿には、彼女の父親は大工とあった。
「松江さんってだあれ、お姉さん?」
「ううん、お母さん。
大阪におるん。
洋服送ってくれたん」
どきんとした。
そして、このクラスに仁太(にた)やマスノがいないことにほっとし、またそれで、さびしくもなった。
仁太がいれば今ごろはもう、十人の新入生の家庭事情はすっかり暴かれ、めいめいのよび名やあだ名までがわかっているだろうに。
その仁太や竹一(たけいち)や正や、そして磯吉や松江や富士子(ふじこ)は、いまどうしているだろうと思うと、彼らのときと同様にいちずな信頼をみせて今日、新しい門をくぐってきた十人の一年生の顔が、一本松の下に集まったことのある十二人の子どもの姿にかわった。
思わず窓の外を見ると、一本松は昔のままの姿で立っている。
そのそばで、二人の男の子がじっと岬を見ているかもしれない――そんなこととは知らぬげな姿である。
大石先生はそっと運動場の隅に行き、ひそかに顔をととのえねばならなかった。
そうしている彼女に、早くもあだ名ができていたのを、彼女はまだ知らずにいた。
岬の村に仁太はやっぱりいたのである。
だれが先生の指一本の動きから目を離そうか。
彼女のあだ名は、「泣きみそ先生」であった。
十 ある晴れた日に
四月とはいってもまだ寒さの名残りは午後の浜辺に満ちていた。
砂の上に足をなげだしていた大石先生は、思わず立ちあがって、はたはたとモンペのひざをはたいた。
そのうしろ姿へ呼びかける者があった。
「先生、そんなところで何をしておいでますか?」
西口ミサ子であった。
まあ、ミサ子さん。
はでな花模様の銘仙の袷(あわせ)にきちんと帯をしめて、ミサ子はこれからどこかへ出かけそうな格好に見えた。
あらたまったあいさつのあと、きゅうに親しさをみせて、
「先生にお目にかかりたくて、いま、学校へゆくところでしたの」
そういってから、もう一度あらためて腰をかがめ、
「先生、このたびはまた、ふしぎなご縁で勝子がお世話になることになりまして、どうぞよろしくお願いいたします」
そのゆっくりとしたものいいぶりや、ていねいなものごしは、二十年前の彼女の母親にそっくりであった。
しかしミサ子のほうは、さすがにあっさりと気取らない素顔をみせ、なつかしそうに言った。
「先生がまた岬へいらっしゃるというのを聞いて、私、うれしくて涙が出ましたの。
母子二代ですもの。
こんなことめずらしいですわ、ほんとに。
でも先生、お元気でいらしてよかったこと!」
「おかげさまでね。
でも、みんな、いろんな苦労をくぐり抜けてきたわね」
それには答えず、あたりを見まわしながら、ミサ子は、
「先生が怪我をされたところ、ここらへんでしたかしらん?」
なつかしそうな目をして言った。
「そう、でしたね。
よく思いだしてくれたこと」
「そりゃあ忘れませんわ。
ときどき思いだしては早苗さんと話していたんですもの。
私たちのクラスは、岬に学校がひらかれていらいの変わりものの寄り集まりらしいって」ほら、あのとき、先生のところまで歩いていったりして」
そう言いながら、はるか遠くの一本松に目をやり、ちょうど近づいてきた大吉(だいきち)の舟を、不思議そうな顔で眺めた。
舟はもう目の前にその姿を現していたのだ。
そのほうを顔を振って示しながら、大石先生は笑顔で言った。
「ミサ子さん、あれ、わたしの息子ですよ。
あぁして毎日、わたしを迎えにきてくれますの」
それを聞くとミサ子は驚きの声をあげ、
「まあ、そうですの。
それで先生、浜においでたんですか」
もう三日つづいている大吉の出迎えを、ミサ子はまだ知らなかったのだろうか。
昔からあまり人と交わらない家風を、ミサ子も受け継いでいるように見えた。
しかし時代の風はミサ子の家の高い土塀をも忘れずに乗り越えて、彼女の夫をもさらっていったまま、まだ帰らぬ兵隊のひとりに数えていた。
だが目の前にいるミサ子は、くったくのない娘のように大らかで、昔ながらの人のよさそうな顔でにこにこしていた。
質素なモンペから足を抜くことができないでいる村人の中で、彼女ひとりだけは大家(おおや)の若奥様なのだ。
長い年月の昨日から今日につづくさまざまな苦労を、ミサ子はどのようにして乗り越えてきたのだろうか。
終戦のときには、西口家の倉庫にも、軍の物資が天井まで積み上げられているという噂もあったが、本当か嘘かさえも分からないまま過ぎていいていた。
その物資でミサ子の家は豊かに暮らしているという噂も聞いたが、ミサ子の顔つきには、そんな悪の影は見られなかった。
今も彼女は大石先生と肩を並べ、大吉の舟が揺れるたびに、本気で心配そうな表情を見せた。
「この風では、子どもには少し無理ですわ、先生。
あ、あぶない!」
大吉の小さな体は、櫓(ろ)といっしょに海へ投げ出されそうに見えたりする。
その懸命さは小舟とともに大吉の小さなあふれんばかりの体から伝わってきて、見ているこちらまで思わず力が入ってしまう。
陸(おか)では寒くさえあるのに、大吉は汗びっしょりにちがいなかった。
「自転車は、もうお乗りにならないんですか、先生」
ミサ子から声をかけられてもそれに耳を貸す余裕もなく、大石先生は、波にもまれる大吉を小舟ごとたぐり寄せたい気持ちで見つめていた。
ミサ子はさらに重ねて、
「雨や風の日は、舟は無理でしょう。
自転車のほうが、かえって早いでしょうに」
「ええ、でもねミサ子さん、自転車なんて、ご時世的に買うに買えないでしょ。
もしも買えるとしても、ふところが許さないわ」
舟から目を離さずに答えながら、昔でさえ月賦で買ったことを思い出した。
それを手配してくれた富子(とみこ)という自転車屋の娘は、そのあと結婚して東京で暮らしていたのだが、はがきさえも手に入りにくい戦争中に消息も途絶え、そのままになっている。
東京の本所で、やはり自転車屋をしていた彼女の一家が、今どこでどうしているか、おそらくは三月九日の空襲で一家全滅したのではないかと考え始めたのは、戦争が終わるころだった。
自分の生活のめまぐるしい変化に心を奪われ、人のことどころではなかったのだ。
K町の富子の父親たちが住んでいた家は今も自転車屋であるが、どんな経緯からか戦争中に店主が変わり、今ではいつ見ても貧相な感じの年老いた男が一人、汚い古自転車をいじくっているだけだった。
そこでも、跡取り息子が戦死したのだ。
新しい自転車など、どこにあるというのだろう。
なのにミサ子は、ごく簡単に言った。
コメント