初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第13話

亡霊怪猫屋敷

「ウウム、無念! かかる卑怯者とはしらざりしが不覚! ウウム、無念な」
と、はぎしりしながら左近将監めがけてきりつけましたが、もはやこの深傷ではたまりません。
つづいて無言のまま横にはらってきた鬼のような左近将監の刀を、グザッと脇腹へうけて、けなげにも刀をかまえたまま、どうとばかりに、そこへ突っぷしてしまいました。
「いわせておけば、舌長の一言……寄人のぶんざいをもって、小癪千万な……小癪千万な……」
と、花のような少年の死を眼下にみおろしながら、血刀ひっさげたまま茫然としてあえいでいた左近将監のすがたは、さながら悪鬼のごとき形相であったということが、いまもなおつたえられております。
むせび泣く魂

もちろん、いくらひろい屋敷といっても、これだけのさわぎが起って、きこえぬというはずはありません。
召使たちは、いずれもギョッとして、広書院のほうのただならぬようすに耳をすませました。
たしかにいま、すごい叫びと、人のたおれるような音がしたと思いましたが、つづいて物音はもうなんにもきこえず、広書院は、なにかぶきみにしずまりかえっているけはいです。
「いまの声をおききになりました? どうしたんでしょうねえ? たしかにいまのは、だんなさまのお声のようでしたけれど……」
「竜胆寺さまの若さまと、何かいさかいでもなすったのかしら? きょうはだいぶ、癇がたっておいでのようですから」
と女たちはおびえて、目を見あわせているだけです。
こういうときには、しかられてもなんでもちかづいていけるのは、いちばんお気にいりの若党の、佐平治以外にはないのです。
「ま、みんなさわがないで、……じっとして、……じっとして……わしがいって、ひとつようすを見てくるから……」
と、いくまがりもいくまがりもある長い廊下を、抜き足さし足広書院のほうへちかづいていく佐平治とても、もちろんいい気持ではありません。しかもその座敷には、ご主人の左近将監さこんのしょうげんと竜胆寺りんどうじの若さまが、たしかに碁をごうをうっていらっしゃるはずなのに、お話の声ひとつ聞こえないし、碁石を打つ音もしません。まわりがゾッとするほどシーンと静まりかえっていて、いったいどうしたことでしょう。

気持ち悪いことといったら、もう言葉では言い表せないほどです。
ふすまに手をかけながら、佐平治さへいじが思わずブルブルとふるえてしまったのも、無理はありませんよね。

しばらくして、
「失礼いたします、ご主人さま」
と、スーッとふすまをあけて、ひと目でお部屋の中を見わたしたその瞬間、思わず、
「ヒャァッ!」
と、この若いお供の人は、しりもちをついてしまいました。

「ご……ご……ご主人さま! こ、これは……いったい……」
と、あまりのことに言葉が出ないのも当然です! このむごたらしいようすを、いったいどう表現したらいいのでしょうか。

長押ながしと言わず、欄間らんまと言わず、血は天井にまで飛び散っていて、お部屋の中いっぱいが真っ赤に染まっています。
その血の海のなかに、女の子のような白い足袋たびをはいた足を佐平治のほうへ投げだして、しっかりと刀の柄つかをにぎりしめたまま、ロウ人形のように真っ白な横顔をのぞかせて、あの美しかった若さまがうつぶせになって、息をひきとっているではありませんか。

しかも左近将監は、さっきまでの怒りもすっかりおさまったのか、この血の海のまわりで、足をジタバタさせながら、
「しまった……しまった……とんだことをしてしまった……これは大変なことを……しまったぞ」
と、そこに佐平治がボーッと立ちすくんでいるのにも気づいていない様子で、夢中になりながらウロウロと歩きまわっています。

この怒りっぽいおじいさん家老も、じぶんの手にかけてしまった少年が、ただの家来の若侍ではなく、お殿様の大村出雲守いずものかみさまですら一目置いているほどのお客分、竜胆寺家のおぼっちゃまだったということが、ようやくカッカしていた頭が冷えて思い出されてきたのでしょう。

「これは大変だ! とんでもないことをしてしまった! どうしよう!」
またしても刀のツカの頭をおさえながら、死体のまわりをぐるぐる歩きまわっていましたが、ふとその時、そこに腰を抜かして座り込んでいる佐平治の姿が目に入ったのでしょう。

恐怖で顔を真っ青にしているこの城代のひとみに、ハッと一瞬、ギョッとする色が走りました。
「ウウヌ、佐平治め! 貴様、いまの一部始終を見ただな? おい、コラ、見たんだろう!」
「ご……ご主人さま、こ、これは……とんでもないことをなさってしまい……」
「は、早く……そ、そこのふすまを閉めろ! な、なにをボヤッとしているんだ! は、早く中に入って、ふすまを閉めるんだ!」

魂が抜け出たように両足をガクガクとふるわせながら、やっとの思いで這い込んできた佐平治の目の前へ、まるで傷ついたオオカミのように凶暴な左近将監の目が、いざとなったらまっぷたつにしてやる! とばかりに刀の鯉口こいぐちを切って、にじり寄ってきます。

「見られたからには不憫ふびんだが、貴様を生かしておくわけにはいかない。
命が惜しければ、わしの手伝いをするか、どうだ? さあ、覚悟を決めて返事をしろ! 手を貸すなら、わしもあとでひどいようには扱わない。
手伝うのか、手伝わないのか、早く返事をしろ!」
「ご……ご主人さま……お、お手伝い……いたします……お手伝い……いたし……ま……す」
「絶対にほかの人間にはもらすなよ……! 一言でももらした最後、貴様の首をそのままではおいておかんぞ!」

もちろんこの目つきからして、「やだ」と言ったが最後、将監の血に染まった刀がすぐに佐平治の首へとんでくるにちがいのない勢いです。
「ど……どうぞごかんべんを! い、いや、お手伝いいたしますとも! お、お手伝いを……」
「よし、それならそうと、将監の心にしっかりメモしておこう!」
と、左近将監はホッと深い息をもらしました。
「召使いたちはどうしている? 何か感づいた様子か?」
「ご安心くださいませ、ご主人さま! まだ何も感づいてはおりません。
勝手口のほうにかたまって、みんなでふるえております」
「じゃあ、全員を勝手口のほうから出られないようにしておけ! 『ささいな碁の勝ち負けから竜胆寺どのとケンカになり、引きとめるのも聞かずに、小金吾こきんごどのは血相を変えてお帰りになった。将監は怒りがおさまらないので、納戸なんどからこちらへ近づく者はだれであろうと容赦なくぶった斬る』と、召使いたち全員に言っておけ! 竜胆寺どのの若いお供の者も、控えの部屋にいるはずだ。その者にもそう言い聞かせて、追い返してしまえ! それから貴様は、早く手桶を用意して、血のあとをきれいに洗い流してしまうんだ……! もうすぐ息子の新之丞しんのじょうも戻ってくるはずだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました