初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第29話

亡霊怪猫屋敷

たとえわしの母親であろうとかまわん、全員で柄物を振り回して、その場から一歩も逃がさず、滅多打ちにして打ち殺してしまえ! 分かったな? わしの母親だからといって遠慮してひるんだが最後、お前たちの命はないと思え! 遠慮は無用だ! お前が指示を出して、その場で一匹残らず打ち殺してしまうのだ!」
「で、ですがだんなさま……それでは、ご、ご隠居さまをわたくしどもが、お殺め申すことになってしまうのでは……?」
「たわけ者め! 今になってもまだ分からんのか? わしの母親ではない! 母親に姿を変えた怪猫なのだ! 先日から飯炊きに化けてわしに仇をなし……ソレ、お前も怪我をさせられただろうが! 竜胆寺のあの怪猫が、わしの母親を食い殺し、今やわしの母親に化け込んでいるのだ。
分かったか!」
「そ、それではだんなさま! 竜胆寺さまの怪猫めが、ご隠居さまを食い殺して、ただいまご隠居さまに化けておられるので……」
「油断するな、けっして失敗するでないぞ!」
「こ、これは驚きましたな……いやはやなんと恐ろしい、もう身の毛もよだつようなお話でございますな……」
 と、佐平治はあまりの恐ろしさに、ただただブルブルと震えるばかりでした。
それでも、人に言ってはならないと言われても、佐平治からこっそり耳打ちされてしまったのでしょう。
まだ怪猫の姿を見てもいないうちから、仲八、権六、定吉らはみな顔面蒼白(がんめんそうはく)になって足元がフラつき、鍬を担ぎ、金槌を振り回しながら、いつでも逃げ出せるように腰を引いて、将監のあとからぴったりとついていくのでした。さて、この一隊を引き連れてお小姓街道を横切り、一同が隠居所のほうへ近づいてきたときには、もはや夜はすっかり暮れ果てて真っ暗になり、空には星ばかりがまたたいていました。
そして、すっかり震え上がった一同を連れて、砂利を敷き詰めた隠居所の坂道を、今まさに登ろうとしていたときでした。
隠居所の小門がギイッと開き、中から提灯を灯した若い女が一人出てきました。
すれ違いざまに、
「旦那さまでいられましょうか?」
「おう、そちは幾か?」
と、将監も足を止めました。
お幾は里の同輩女中でしたが、これは老母付きの小間使で、まだ二十一、二のきれいな女です。
「いまごろどこへゆく?」
「はい、ご隠居さまのお言い付けで、旦那さまのお屋敷までちょっとまいります」
「何の用事じゃ?」
「お香を拝借にあがります。
ご隠居さまのおおせには、『今夜かならず左近将監が見えるゆえに、お茶といっしょに香をたかねばならぬが、あいにく香が切れたによって、そなたちょっと藤のところまでいって香を借りてきよ』とおおせられましたので、お屋敷までまいりますの」
「ほう! 今夜かならずわしが来るとおおせられてか? フウム……」
年を経た怪猫には、もう自分の行くことが分かっていたのか? と将監は心の中で舌を巻き、同時に、油断のならない相手に対して一層身が引き締まるのを覚えました。
「香など焚くにおよばん! 引き返せ、引き返せ!」
「でも……ご隠居さまのお言い付けで……」
とお幾は、老母と左近将監の間にはさまれて、モジモジと困っているようです。
「よし、それなら行け、行け! 急いで帰ってくるにはおよばん! ゆっくり話し込んでこいよ!」
左近将監としては珍しく思いやりのある言葉でしたが、決してそうではありません。
怪猫を討ち取るのに、なまじモタモタと足手まといの女子供などはいないほうがいいと思ったからにほかならなかったのです。
が、さて、
「それでは旦那さま、どうぞごゆるりと……」
と小腰をかがめて坂を下っていったお幾が、やがて坂の下に立ち止まって、将監の後ろ姿を眺めながらすごい目をしてニヤリと薄笑いを浮かべたことも、またその提灯の火が小姓街道の真ん中あたりまでもいくと、暗黒の闇の中にフッと掻き消えてしまったことも、神ならぬ身の将監たちにはいささかも気づかなかったであろうと思われます。
そしてそのころには、震えている仲八や権六どもに柄物を構えさせて、老母の逃げ出しそうな要所要所に身を潜めさせ、そして自分は佐平治一人を連れて、奥庭深く、ちょうど老母の休んでいる寝所の近くの縁側のそばで、しきりに佐平治に指図をしている真っ最中だったのです。
「よろしいか! わしの見るところではこの縁の下の奥の方……左の方へ寄って、曲者の寝ている真下あたりがあやしいとにらんでいる。
そのへんの土が、かならずやわらかくなっているにちがいない。
わしの老母を食い殺して、そこに骨を埋めているにちがいないまい。
そうっと掘り起こしてみよ。
曲者に気づかれぬよう音を立てるなよ! 手で掘り起こしてみよ、手で!」
すぐ畳一枚上には老母に化けた曲者が眠っているのですから、佐平治は声を出すわけにはいきません。
這いつくばいながら、黙ってしきりにうなずいています。
「よいか、かならずかならず、怪しまれぬよう心して掘れよ」
そして縁の下深く忍び込んでいった佐平治を見ると、将監は刀の柄に手をかけたまま、暗黒の闇の八方にするどい目を配っています。
いまにもあれ、雨戸を蹴破って老母が踊り出してきたら、抜き打ちにパッサリと斬りつけんばかりの身構えです。
そして、吐く息、吸う息にすら心して佐平治は縁の奥深く入り込み、刀を構えたまま左近将監は闇の中へするどい目を光らせてたたずんでいます。
風もなく木の葉のそよぐ音ひとつ聞こえてはまいりません。
御城下に遠いこの辺りの武家屋敷はみんな星空の下にとけこんだように静かな眠りについて、さすがの曲者も何も知らずにスヤスヤと眠りにふけっているのでしょうか、家の中はひっそりとしずまりかえって、コトリとの物音も聞こえてはまいりません。
一刻……二刻……時は静かにすぎていきましたが、やがてたたずんでいる左近将監の足もとへ、手で提灯を囲みながらゴソゴソと這い寄ってきたものがありました。
縁の下の白骨

「旦那さま……ありました、ありました。
どっさりありました」
と声をひそめた佐平治なのです。「こんなにもいっぱい……。それに、まだまだ奥の方までうずまっていて……、とても一時代に持ち運べる量ではありません!」

泥だらけの両手にかかえこんできたものは、もはや提灯を近づけて調べるまでもありませんでした。
生きた人間を食い殺し、肉をむさぼり食ったと思しき人間の手の骨や、太ももの骨……そしてふくらはぎの骨。なかんずく、ひときわ目を引くのは、恨めしげにぽっかりと穴の開いた目をむいた、人間の頭蓋骨でした。
ほら、ご覧なさい! そこには生々しい頭の皮に、まだ白髪まじりの長い髪の毛さえもびっしりとくっついているではありませんか。

「おお……! まさしく母上……! にっくき曲者め、よくも母上をこんなにも無残な目にあわせおったな! よくもぬけぬけと、母上に化けやがって!」

さすがの左近将監も、この生々しい頭蓋骨を目の当たりにすると、思わず悲しみと怒りの涙にむせびました。

「さぞやご無念でございましたろう。母上……! さぞやお辛く、悔しかったに違いありません。
将監、けっしてこのまま見すごしたりはいたしません。
今この場で、必ずやその無念を晴らしてまいります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました