初級翻訳・即興詩人 第2話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

その時、私の目にとまったのは、四角い形に作られた円柱の廊下でした。
廊下に囲まれた場所は小さなジャガイモ畑で、そこには糸杉の木が二株、レモンの木が一株立っていました。
開け放たれた廊下には、すでに亡くなった僧たちの像がずらりと並べられていました。
部屋という部屋の扉には、信心深い人々の伝記から選ばれた絵が貼り付けられていました。
当時、幼い私がこの絵を見た時の感動は、大人になってからラファエロやアンドレア・デル・サルトの作品を見た時の心境と同じようなものでした。

僧は「おまえは心臓の強い子だな。さあ、死人を見せてやろう」と言って、小さな戸を開けました。
そこは廊下から二、三段低い場所でした。
私が連れられて階段を降りてみると、そこもまた小さな廊下で、四方すべてが髑髏(どくろ)でした。
髑髏は髑髏と重なり合って壁を成し、壁はその並び方によってたくさんの小さな棚に分かれていました。
大きな棚には頭だけではなく、胴体や手足まで備えた骨がありました。
これは高位の僧たちが亡くなった姿でした。
そんな骨には茶色の尖った帽子をかぶせ、お腹に縄を結び、手には一巻の経文や枯れた花束を持たせてありました。
祭壇や花形の燭台、その他の飾りなども、肩の骨や背骨などを細工して作られていました。
人骨の浮き彫りまであるのです。
これだけでなく、忌まわしくもあり、また趣もない、ここ全体の作りようは異様なものでした。

僧は祈りの言葉を唱えながら歩き、私はぴったりと寄り添ってついて行きました。
僧は唱え終わると言いました。
「私もいずれはここに眠るだろう。その時、おまえは私を見舞いに来てくれるかな?」
私は一言も返すことができず、僧と、その周りにある気味の悪いものたちにただただ驚くばかりでした。
本当に、私のような幼い子供をこんなところへ連れてくるなんて、とても愚かなことでした。
私はそこで見たものにひどく心を動かされてしまい、帰って僧の小部屋に入った時、ようやく生き返ったような心地でした。
その小部屋の窓には黄金色のオレンジが美しく実っており、まるで部屋の中にまで垂れ下がってくるようでした。
また、そこには聖母の絵がありました。
その姿は天使に担ぎ上げられて、日の光が差し込む明るい場所へ浮かび出ているようでした。
下の方には聖母が眠る墓穴があって、色とりどりの花がそれを覆っていました。
私はそのオレンジを見、この絵を見たことで、ようやく自分を取り戻すことができました。

この初めて僧坊を訪ねた時のことは、長い間、私の想像力に豊かな材料を与えてくれました。
今でもあの時のことを思うと、驚くほど鮮やかに目の前に浮かび上がってきます。
当時の私の心では、僧という者は、私たちが知っている普通の人とは全く違う存在のように思えていました。
あの僧が、茶色の衣を着た死人たちとほとんど同じような姿で暮らしていること、あの僧がたくさんのお偉いさんたちの話や、不思議な奇跡の跡を語ってくれること、そして何より母がその僧を深く敬っていることなどを考えると、私も人間として生まれたからには、いつかあのような立派な人になりたいと、時折思うのでした。

母は未亡人でした。
暮らしを立てるには、針仕事をして稼ぐお金と、昔私たちが住んでいた大きな部屋を人に貸して得るお金だけが頼りでした。
私たちは屋根裏の小さな部屋に住んでいました。
あの大きな部屋に引っ越してきたのは、フェデリゴという若い画家でした。
フェデリゴは頭の回転が速く、世の中を面白おかしく暮らす少年でした。
彼はとても遠いところから来たと言っていました。
母の話を聞くと、彼の故郷では聖母もイエス様も知らないのだそうです。
その国を「イタリアではないどこか」と呼んでいました。
当時、私は世の中にいろいろな言語があることを知らなかったので、画家が私の言うことを理解できないのは耳が遠いからだろうと思い、同じ言葉を繰り返して声の限り大きく叫んでいました。すると彼は私を面白い子だと思って、時々果物をくれたり、私のために兵隊や馬、家の絵を描いてくれたりしました。
私と画家はすぐに仲良くなりました。
私はその画家が大好きでした。
母も時々「あの人は良い人だね」と言っていました。
そんなある日の夕暮れ、私は母とフラア・マルチノの話を聞いてしまったのです。そして、それを聞いてからというもの、私のあの芸術家の少年を思う心は、あやしく揺れ動くことになったのです。「あの異国人は、地獄に落ちて二度と浮かび上がることができないのでしょうか」と、母は尋ねました。
それは、あの男一人の問題ではないのです。異国人の中には、あの男のように悪いことを一度もしない者も多くいます。彼らは貧しい人に出会えば、惜しげもなく物を分け与えます。借金があれば、期日を違えず、額も減らさずきちんと支払います。それだけでなく、彼らは我が国の多くの人々が犯すような罪を犯さないようにさえ見えます。母の問いかけは、大体このようなものでした。

フラア・マルチノはこう答えました。
「そうです。確かに言われるような事実はあります。彼らの中には善い人が少なくありません。しかし、あなたはどうしてそうなるのか知っていますか。見ていなさい。世の中を巡り歩く悪魔は、異教徒たちは結局自分の手の中に落ちることを知っているから、わざわざ誘惑しようとしないのです。このために彼らは何の苦労もなしに善行を行い、罪悪を避けているのです。善きカトリック教徒はこれとは違って神の愛する子ですから、彼を陥れるために悪魔はあらゆる手立てを使わなければなりません。悪魔は私たちを誘惑するのです。私たちは弱い存在ですから、その手の中に落ちることが多いのです。しかし、異教徒は肉体にも悪魔にも誘惑されることはないのですよ」と答えました。

母はこれを聞いて、もう返す言葉もなく、不憫な少年の身の上を思ってため息をつきました。そばで聞いていた私は泣き出してしまいました。それは、あの人がずっと地獄にいて、火に苦しめられるのがかわいそうに思えたからです。あの人は善い人であり、私のために美しい絵を描いてくれる人なのに。

私の幼い頃、私にとって大きな意味を持つと思われた三人目の人物は、ペッポおじさんでした。「悪人ペッポ」と言っても、「スペイン階段の王」と言っても、どちらもその人のあだ名でした。この王は、毎日スペイン階段の上に出勤していました。
(スペイン広場からモンテ・ピンチョの上の街へ登るには、高く広い石段があります。この石段はローマの乞食たちが集まる場所です。スペイン広場から登る場所なので、そう名付けられたのです。)
ペッポおじさんは生まれつき両足が不自由でした。当時はそれを十字に組んで折りたたんで座っていました。しかし、小さい頃からの熟練で、おじさんは両手を使って歩くのがとても上手でした。その手には革紐を結び、そこに板を掛けていたのですが、おじさんがこの道具を使って歩く速さは、健脚な人が歩くのに劣りませんでした。

おじさんは毎日、先ほども言ったようにスペイン階段の上に座っていました。といっても、他の乞食のように哀れみを乞うわけではありませんでした。

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