初級翻訳・吹雪物語 第20話

吹雪物語

気味が悪いので急いで戻りかけると、廊下を曲がって消えていった、風のような白いものを見てしまったと言うのですね。それからは廊下がずるずると無限に伸びるような感じで、歩いても歩いても自分の部屋へたどり着けない思いだったと言います。もちろん、みんな神経のせいだろうとは思いますが、このまま放っておくと魘(うな)されて眠れないから、一緒に浴室へ行って見てくれと言うのです。

もちろん湯船の底に死人が沈んでいることはありませんでした。物音が完全に死にきった深夜で、ガランとした浴室では、神経の太い人でも変な気持ちになるでしょうから、まして疲れている喜楽のことですから、その晩は気にも留めていませんでした。

すると翌朝になって、新聞を読んでいると、喜楽の様子がおかしいのですね。今読んだ裏面の方を読もうとしているのでしょう。新聞紙を折り返しているのですが、折り目が気になるものとみえて、元の通りに戻すのです。それからまた念を入れて折り直そうとするのですね。どういうところが気になるのか、見ている僕にはわからないのですが、再三再四繰り返しても満足できないばかりか、ますます気に入らない一方と見えて、とうとう指で紙を押さえてみたり、折り目の間へ指を入れて上から入念に押しつぶすようにしてみたり、急に荒々しく元へ戻して折り目をごしごしこすったり、見ているうちに呼吸がだんだん荒くなってくるのです。

それでようやく前日のことに気がついたのですが、そういえば湯の浜へくる汽車の中で新聞を読んだときも、やっぱり折り目の折り方を気にして、これほどひどくはなかったのですが、何度もやり直していたことを思い出したのです。その日の夕方になって、夕刊を読むときになっても、折り目の折り方を気にする様子はやっぱり同じことなのです。折り目の間へ指を入れて、目で精密に測りながら、上から少しずつ押しつぶしてくる様子が、まるで生きている新聞紙と血みどろの格闘をしている様子なのです。

普通でないことがわかりますよね。新聞以外のことではそれほどでもないので、しばらくぶらぶらしているうちに自然に落ち着くだろうと、わりと楽観はしていたのですが、新聞を読むときばかりは、見ている僕が痩せてしまうほどやりきれなくなるのです。それで、宿の者に頼んで、喜楽の読む新聞紙はあらかじめ鋏で二つにチョン切っておいてもらったのです。この計画が図に当たって楽に新聞が読めるようになったのですが、まもなく東京へ帰った喜楽から手紙がきて、新聞紙を二つにチョン切る手段を教えてもらったおかげで、神経衰弱が快癒しかけている、だから旅には出るものだと書いてあったのです。不思議な強迫観念ですが、短い浴衣を着たあの人が新聞紙と格闘している様子は滑稽なものでしたけれど、やりきれない感じのものでもあったのです」

野々宮の話は退屈極まるものであった。お茶を飲み、このような話をして、そしてこの人は心が満ちているのだろうか。話は際限もなく続くのである。三遊亭喜楽は卓一の知人ではなかった。この人はそれすら気づかないのだろうか。喜楽の落語は、卓一にとってはむしろ愚劣なものだった。高座から想像できる喜楽という男の性格も、なんだか嫌味ったらしいし、人柄も鼻につく。
ましてや彼の人生観ときたら、何の魅力も興味もわかないばかりか、軽蔑したくなるほどだ。
そんな男が数年前に抱えていた強迫観念の話だとか、悲しい恋の話だとか、心中未遂の話だとか。
ああ。
今この瞬間ほど、「神よ、どうか私をお救いください」と心の中で唱えたくなる時はない。
怪談をただ素朴な恐怖心という切り口から大げさに語られても、反発を覚えるばかりで聞くに堪えないのと同じように、人生の悲劇性を素朴な思い入れで深刻そうに語られるのも、まったくもって我慢がならないものだ。
卓一は苛立たずにいられなかった。
この男には、相手が退屈しているということがわからないのだろうか。
それとも、自分自身がまず退屈ではないのか。
考えてもみてほしい。聞く側には何の関わりもなく、興味すらない喜楽の話を、あれこれと絶え間なく際限もなく語り続けるという無意味さを。そして、聞いている相手がどれほど気まずい思いをしているかということを。それすらわからないほど教養のない野々宮ではあるまい。
社交に慣れない同胞たちが欠いているその教養を、むしろ人一倍持っているはずの野々宮なのに。
それなのに、教養の欠片すら感じさせる余地がないばかりか、話し方のあくどさが目に余る。
そのしつこさは、もはや病的にすら思えた。
話が途切れる。
今度こそ話題が変わるだろうと期待していると、またしても喜楽の話だ。
そして、またしても。
ああ。
喜楽の話。
喜楽の話。
喜楽の話。
ああ。
ああ。
他の話題に誘ってみても、話は自然と喜楽のことに戻ってしまうのだ。
卓一は、もはや露骨に退屈そうな表情をあらわにし始めていた。
その退屈な表情には、「おや、また喜楽の話ですかね」という冷ややかな嘲りの影が、意地悪く刻み込まれていたはずだ。
野々宮はそれに気づいているはずである。
なぜなら、一度や二度は卓一の顔を見たはずだから。
そして卓一の顔を一目見たなら、どんな感情か分かったはずだから。
いや。
顔を見なくたって、卓一の姿に完全に目を背けていたとしても、気配だけで感じ取れないはずがないほど、彼の退屈しきった態度は憎たらしく、あくどく、野暮なものだったのだ。
それなのに野々宮の話しぶりは、ますます喜楽のことばかりに憑りつかれたような根強さを見せる一方だった。
そもそも卓一と会った初日、越後新報の編集室で交わした会話だって、いきなり喜楽の話だった。
それが彼の心の中で、ずっと回っているレコードの溝のようになっているのだろうか。
それにしても、卓一が退屈しているのを知りながら(そうとしか思えないではないか)、一途に一つの話に憑りつかれてくるそのしつこさを、憎まずにはいられない。
しかも、なおも慇懃無礼な苦笑いを浮かべている。
ああ!
卓一はついに立ち上がった。
もう夜の十二時に近かった。
夜更かしの飲み屋にでも潜り込んで、酔いつぶれてやろうと彼は思った。
しかし野々宮は卓一と肩を並べて歩き出した。
「お送りしましょう。僕は歩きたいのです。しかし、ひとりではなくてね」と野々宮は言った。
卓一は怒りを覚えずにはいられなかった。
この人は見かけと全く反対に、神経が図太いのだろうか。
いくら孤独を恐れるにしても、孤独の苦痛が、この退屈の苦しさに勝るものとは思えないのに。
卓一のあからさまに嫌味な態度の方が、まだ孤独でいるより耐えやすいとでもいうのだろうか。
二人は全く喋らなかった。
大念寺の門前へ差し掛かったとき、野々宮はためらいながら立ち止まった。
そして卓一に言った。
「もうちょっと歩いていただけませんか。一緒に歩いていただくだけで、結構なのです」
卓一は絶望的な怒りを感じた。
しかし野々宮の懇願は弱々しかった。
それを振り切って、背を向けて立ち去ることは可能だったが、彼の足は、なぜか野々宮の望む方向へすでに向き始めていた。
「ええ」という返事すらせずに。頷きすら与えずに。

コメント

タイトルとURLをコピーしました