初級翻訳・吹雪物語 第30話

吹雪物語

金井朝雲はその頃、写真に夢中になっていました。
どんな安物の機械でも構わないのです。
彼はただ、物のありのままの姿を写すだけで十分でした。
もとより技術は未熟で、芸術的な構図など、まったく眼中にありません。
自分の手によって、目の前にある景色がそのまま再現される、そのことだけで満足を覚えていたのです。
あの景色を撮りたい。
そして、あの人も撮っておきたいと思わないことはありませんでした。
彼は写真機をぶら下げて、どこかへ出かけたいと考えていました。
しかし、それも億劫(おっくう)です。
考えてみると、あれもこれも撮りたい、残しておきたいという思いは、実際には軽い思いつきにすぎず、「あの時のあの景色を撮っておけばよかった」「あの人も撮っておけばよかった」という後悔ばかりが強く残るのです。
とはいえ、写真機をぶら下げて、思い出の中へ旅に出るわけにもいきません。
結局は、どこへ出かける気力も失ってしまうのでした。
雨さえ降らなければ、彼は写真機をぶら下げて庭へ降りていきました。
庭をひと回りするうちに、そこにある裏木戸を開けて、村をひと回りするのです。
そこは蒲原(かんばら)平野で、どこを見ても変わり映えのしない水田が広がり、あぜ道にはハンノキの並木が続いていました。
土手に登れば、そこは信濃川です。
要するに、それだけの景色なのです。
結局、彼は写真機を手にぶら下げているだけで、何一つ撮ることもなく、なんなく村をひと回りしてしまいます。
時々、農夫や子供にレンズを向けてみることもありますが、彼の手つきはこれ以上ないほど不器用で、写真機をいじくり回しているうちに、十分ほどの時間が過ぎてしまうのです。
彼の周りに集まってきた子供たちや農夫たちはすっかり退屈してしまいますが、何よりも照れくさいのは、撮られる当の農夫や子供たちでした。
朝雲のこだわりとして、彼らが農夫であれば働いている自然な姿を、子供であれば遊んでいる自然な姿を、本人たちに予告することなく撮るという決まりを持っていました。
写真機をいじくり回している十分もの長い時間、撮られる本人たちが気づかないはずはなく、やがて見物の人たちも集まってきます。
そして、みんなでワイワイと言い合うのです。
無意識を装いながらも、意識せざるを得ない彼らのつらさは大変なものでしたが、朝雲は隠し撮りをしているつもりなのか、一途に無念無想の体で、これ以上ないほど下手な手つきで、レンズを伸ばしたり縮めたりと、長々と機械をいじくり回しているだけなのです。
「俺の写真機が現れると、近ごろは犬の奴でさえ避けて通るよ」と、朝雲は笑いながら言っていました。
左門が訪ねていったとき、日が暮れかけた曇り空の下で、ちょうど朝雲は写真機をぶら下げ、散歩から帰ってきたところでした。
「おっ、田巻さん」半年ぶりに会った懐かしさよりも、写真の被写体が遠路はるばるわざわざやってきたことが、まず彼を上機嫌にさせました。
「なにはともあれ、一枚撮っておこうかね」
迎えてくれた人々の中に、文子の姿はありませんでした。
家の中にも文子の気配はなく、家族の言葉や態度からも、文子がここにいるとは思えない節々がありました。
左門の心は、果てしない水底の暗闇へ沈み込んでいくような思いがしました。
もしや、男と……。
もとより、そうでなければ説明がつかないのです。
その時までは、そんなことを考えようともしなかった左門でした。
どうしてそんなことを思いつけたでしょうか! しかし今は、仕方がありませんでした。
行くところまで行き着いてしまったのです。
憂いや悲しさ、切なさといった感情とも縁が切れたような気がしました。
ただひたすらに、心が暗いのです。
それはもう、文子のことではありませんでした。それこそが、彼自身の――おそらく生きることのあらゆる悲しみが、「もうどうにもならないのだ」と呟いている声のように聞こえました。
日が暮れ、まるで人生の幕がここで下ろされたかのような暗さでした。
底冷えのする夕暮れに近い庭に立ち、長々と写真機をいじくり回す朝雲のレンズの前に立ちながら、左門が気づいたひとつのことは、この暮れゆく曇り空の黄昏時よりも、彼自身の人生の道のりの方が、すでに真っ暗に暮れてしまっているという悲しさでした。

「文子はまだ見えていませんかな」と、座敷へ通されると左門は何気なく尋ねました。
「文子がね。ほう。ここで落ち合う約束でしたか。まだ見えてはおらぬが」
「いや」と左門は軽くさえぎりました。
「あるいはお会いできないかもしれません。温泉へ出かけたのですが、温泉に退屈したら、実家へ回ってくるかもしれないと言っていただけのことです。若い者は、なんと屈託なく遊び回っていることか。見るからに羨ましい」

左門の胸に、声を上げて泣き出したいほどの嘆きが宿りました。
憎むべきものもありませんでした。また、嫌うべきものもありませんでした。ただ、日が暮れてしまったのです。すでに深く。
物音もなく、そして静かに。すでに降りてしまったこの暗い夜を、人がどうにかできるはずもありません。

「日ごとに、明日の日は来なければいいのにと思わぬこともないが」と、左門は静かな微笑を浮かべて語り始めました。
「その諦めが、私の心のすべてというわけではないのですね。私はすでに遺言も書いてある。身の回りの整理もついている。いつなんどきでも死ねる用意はできている。だが、さて、嘘といえばこれほど嘘らしい話もない。私はただ、生きながらえていたいのです。若々しい希望を失った身で、生きる目的を問われても困るけれど、さりとて死の苦しみが恐ろしいと考えるわけでもない。要するに私は、ただこのままの現実に取り囲まれて、そうして無為に一日でも長く生き延びていたいのでしょう。私が生きながらえるのと同じように、私の身辺の人々も、常に変わりなく生きながらえてもらいたい。そして、この先生きながらえることができたら、これからやってみたいと思う多少の欲もあるのですね。数学を学んでみたい。自然科学を学んでみたい。新しい法律や経済の理論も知りたい。長生きの予約があるなら、私は明日にもやり出したいと思っているのです。先日のことでしたが、青木普八の末男で、私の甥にあたる卓一という若者が、こう尋ねてきたのですよ。つまり、野心も性欲もなくなった年寄りを生かしている、最後の夢は何だろうか、とね。さて、何だろうか。私にも分かりません。しかし、さっきも言った通り、長生きの予約がないので、多少の欲も持て余していることを思うと、もはや私に待たれているたったひとつの最後のものが、結局やっぱり『死』というものなのだろうか。そうしてみると、死というものも、もはやこれも、夢のひとつであるのかもしれませんね。私は笑って答えたのです。なるほど、私たちのように、もはや衰えていくだけの過程が残された年寄りにとっては、この面白くもない毎日の持続だけが、せめてもの願いのように思われもするが、さて、そうとばかりは言い切れないものがある。こうしてあなたに会っていると、私の心に呟く声があるのですね。これが恐らく見納めであろう、と。何かにつけて私の心はそのように呟きたがっているらしい。

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