そこには最も鈍感で、そして程度の低い媚態(びたい)だけが感じられた。不潔なイメージばかりが脳裏に宿ってしまうのだった。
「大寺老人の話によれば、男は『もぐり』の医者だとか、そのような話であったが」
左門は静かに言うのだった。「私はしかし、あの人の話を必ずしも信じたいとは思わぬが」
「その人は高梨という歯医者でしょう」
野々宮は左門の言葉を極めて冷淡にさえぎった。
「もしその男が文子さんの踊りの相手でしたら、高梨という歯科医のはずです。お二人を僕も見かけています」
左門はすでに、底知れぬ絶望へ落ち込んでいた。あまりに一途な絶望のあまり、野々宮の言葉に含まれた冷たさにすら気付かなかった。
しかし、野々宮の冷たい言葉は、なおも残酷に左門の絶望を追いかけていった。「あなたの奥さんの踊りの相手としては、あまりふさわしくない人物のようです。近ごろ、ある未亡人の出資で開業したばかりの歯科医だという話ですが、実は免許も持っていない人だとか、いろいろと噂のある人物ですから」
左門の体へと冷たく突き刺さるような、細く静かな声だった。そしてそれは、左門の絶望を面白がっているかのような冷酷さでもあった。むしろ悪意すら感じさせるほどだ。文子が自分に与えた不潔なイメージが、これほどまでに冷ややかに、反発せずにはいられないほど彼を嫌悪させているのだろうか。しかし、異常なまでのいじわるな心が見え隠れするその冷たさは、まるで血の通っていないものにも見えた。
「その人は、どこで開業しているのですか?」と左門は尋ねた。
「存じません」野々宮は答えた。「人から聞いた話では、つい先だっても前田医院の助手をしておられた方だそうです。舞踏場に網を張って獲物を狙う、悪党の一人のようですね」
左門は野々宮に別れを告げて外へ出た。途方に暮れた心地だった。どこへ向かい、何をするべきなのだろうか。前田歯科医といえば、左門も歯が痛むたびに世話になった覚えがある。おそらく文子も通っているはずだ。
――とにかく前田医院へ行ってみよう。
左門が思いついた唯一の手段は、それだけだった。せめて今、文子が家にいてくれたら。家へ戻り、文子の顔を見れば、心も少しは安らぐだろうに。しかし文子はこの朝、実家へ帰ったばかりだ。あと一週間もたたなければ戻ってこない。くったくのない若い女よ。そう思うと左門は寂しさの中に、心に花が咲くような、小さく明るい愛おしさを感じるのだった。
前田医師は四十五、六歳ほどの小柄で、木訥(もくとつ)な人物だった。羊のように柔和な瞳は、何ものも真正面から見ることができないかのように、終始おどおどとしている。一般に医師といえばお世辞が上手なものだが、この人は世間話すらできない。その日の天気の挨拶ひとつにも、自然と口ごもってしまうような男だった。
ちょうど左門が、高梨の話を切り出した時のことである。前田夫人が茶菓子を運んで入ってきたのだが、高梨の名を耳にすると、出しかけた片足が思わず止まり、一瞬立ちすくんでしまったのを左門は偶然目撃した。夫人の驚きの表情を見逃すことはなかったのだ。前田医師は夫人の様子を見ていくらか狼狽し、素朴な怒りを表に出しかけたものの、やり場に困り果てて、やがてこの好人物は自然とうつむいてしまった。
左門は暗い予感に包まれた。しかし夫人が立ち去ってしまうと、前田医師は別段悪びれた様子もなく、聞かれるままにポツリポツリと答えた。それは要するに、次のようなとりとめのない内容に尽きるものだった。
「あの男は、どうも……」と、この木訥な人物は同じことを繰り返し言った。「私のところに一年近くおりましたが、どういう人物で、どういう経歴の男か、立ち入って聞いたこともありませんので、私はよく存じませんです」
結局、どのように問い詰めても、それ以上の言葉は返ってこなかった。もともと常に口ごもりがちに話す人であり、それは今日に限ったことではない。その話しぶりを聞いていると、左門はただ途方に暮れるばかりだった。
左門は仕方なく前田医師に別れを告げた。もはや卓一に頼るほかない。彼は新聞記者なのだから、その道の伝手(つて)を使ってうまく調べがつくかもしれない。ところが新聞社へ行ってみると、まだ新年の挨拶回りの時期でもあったが、正午を過ぎているのに卓一はまだ出社していなかった。大念寺は新聞社から目と鼻の先だから、左門はそちらへ回る気になったが、彼の老いた体はすっかり疲れきっていた。しかし、卓一は大念寺の離れにもいなかった。左門はいよいよ途方に暮れた。
もうどうしようもない。せめて他巳吉に会おうと思った。見栄も意地も、もはや捨てなければならなかった。自分の疑惑を洗いざらい打ち明け、彼の助言を聞かなければ、いてもたってもいられない心地がした。そこで他巳吉を訪ねていったが、彼もまたすでに外出したあとだった。せめて文子がいてくれたら。
――左門はすっかり疲れ果てて、洞穴の冷たい空虚を満たしたような我が家へたどり着いていた。
家全体があたかも死滅という気配の中に沈んでいた。突き放されてしまったような、実体のない虚しい当惑。座ろうとしても、自然と膝が伸びてしまい、立ちすくむほかにどうしようもない有様である。
左門は文子の居間へ入った。後ろから何か見えないものに引き止められるような、入ってはいけないという気がした。襖(ふすま)をあけ放してみると、そこには主のいない冷たさばかりが、ひしひしとあらゆる隅から身体を責めてくるばかりである。鏡台があり、戸棚があり、人形があり、アルバムがあった。それらの品々は、持ち主の体温を伝えてくれるどころか、持ち主が不在であるという冷たさを、むしろ残酷なほどに映し出していました。
左門は、お腹の底までが冷え冷えと凍りついていくような思いがしました。
文子の実家は、それほど遠い場所ではありません。
白根(しろね)のあたりです。
白根の町は、新潟から信濃川に沿って三里(約12キロ)足らず上ったところにあり、いわば隣町のようなものでした。
左門は突然決心して、白根へ車を走らせることにしました。
文子の父・金井朝雲(かないちょううん)は、左門の古い政友であり、詩の友でもありました。
彼もまた、今はただの穏やかな老爺(おやじ)にすぎません。
名誉も欲も捨て、すでに死ぬ時を待つばかりの心境でしょうが、この若々しい寂しさに追われて、あわてふためいて駆けつけた老友を、どのような気持ちで迎えてくれることでしょうか。
もし立場を入れ替えて、左門の方が迎える側だったとしたら――結局、慰める言葉もなく、また慰められる言葉もないでしょう。
この老い、そして衰えていく過程の中では、あらゆる言葉がすでに過ぎ去ってしまったものだと感じます。
顔を見合わせたところで、おそらく二人で苦笑いするしかないでしょう。
その頃、左門の生きがいはお酒でした。
朝、昼、夜の食事のたびに二合ずつ、そして寝る前に二合。一日合計で八合もの酒を飲むのです。
医師に節酒をすすめられたこともありましたが、左門は「残された唯一の楽しみを断ってまで長生きしたいとは思わない」と答え、どこか高揚した気分で、思わず笑い出してしまったものでした。
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