もし『愛している』という言葉がぴったりこないとしても、とにかく二人が肉体関係になっても不自然ではない、と言い直しましょう。
僕は断言します。編集長は狡猾なのです。恋愛の観念生活などというものは、この場合、あまりに美しく飾りすぎた言葉です。後々の面倒が嫌だから、肉体関係にまで深く入り込むのが回りくどくて、躊躇しているだけなのです。編集長のその態度は、もしこれを狡猾と呼ぶなら、まさに狡猾の極みであり、ひどくあくどく、なまぐさく、陰険なものです。
しかし、また別の角度から見れば、端麗なほど貴族的な態度だとも考えています。そして僕は、編集長のそういった性格を、ある点までは好きなのです。ギリシャ彫刻のように冷たく、時に絵画的な美しさを覚えることがあるからです。
けれども、愛情にまつわる束縛が負担だという見解は、僕には受け入れられません。そして、実際の行動よりも頭の中の観念を優先させるという生活態度にも反対です。なぜ行動よりも先なのですか? 後にきてはいけないのですか? 僕は行動のあとにくる観念生活こそ、深く、正しく、そして清潔なものだと思います。高尚で、澄み切っていて、静寂がある。たとえそれが貴族的でなく、世間一般の卑俗なものだとしても、それこそが人間的なのです。
そうです。編集長は、いわば芭蕉の世界に生きています。その世界は貴族的ではあっても、人間的ではないのです。貴族的な静寂を宿してはいるけれど、人間的な視点で見れば、むしろ極めて騒がしい。僕は編集長が貴族的であることも一面では好きですが、同時に、もっと人間味のある人であってほしいと切望せずにはいられません。
編集長は冷酷な人です。僕は断言します。村正の刀のように冷たい人だ。時々話をしていると、自分だけの世界に閉じこもり、人の心など何も持たない冷酷さに、薄気味悪くなるような嫌な思いをすることがあります。突き放されて、すがりつく場所もないような、惨めな思いをさせられるのです。この世に類を見ないほど薄情な人だ。冷酷で、残忍な人だ。他人を思いやることもない。他人を踏みにじっても平然としている。
そうです。そして、それでいいのだと僕は信じているのです。編集長は、自分自身の冷たさに気づいていますよね。つまり、人を愛しきることができないから、愛することが怖い。深入りするのが怖いのです。編集長は、結局自分の冷たさを恐れている。そして自分の冷たさを誰よりも正しく知っているのです。
編集長は、別れた女の悲しみを思いやっているような顔をしていますが、あれはすべて余興にすぎません。振られた女の悲しさなんて、いい気になって考えていられるほど、徹頭徹尾冷酷そのものの人間なのです。結局、自分にまつわりつく後腐れだけが嫌なだけでしょう。
むしろ僕は思います。そして断言します。編集長は、さらに冷酷な人なのだ、と。後腐れだって、実は少しも怖くないはずです。それさえも余興にすぎない。けれども、その余興にこだわりすぎているのです。そう、僕は信じています。編集長は、そんなケチくさい余興になどこだわらない方が、もっと立派なのだ、と。
冷酷さを恐れることは、僕には受け入れられません。それは貴族的であっても、人間的ではないからです。編集長の場合には、その冷たさを恐れることなく、ためらうことなく、徹底的に発揮することが、どんな態度よりも見事であると僕は信じます。
さあ、思いのままに、女も踏みにじりなさい。男も踏みにじりなさい。編集長は、現に僕のことなど、てんで眼中にはないのでしょう。ただ単に、ひとつの道具にすぎないのですから。」けれど、僕自身はそれで至極平気なのです。
編集長は、人を踏みにじる人だ。
冷酷で無慈悲な人だ。
それなのに、遊び半分の自分探しなんかに躓いていないで、その冷たさを徹底的にさらけ出すほうが、よほど見事なはずの人間です。
だからこそ、まずは行動すること、まずは人間であることを、切望せずにはいられないのです」
「君の青木卓一論は、当たっているらしいな」卓一は答えた。
「だが、旅行のことは、青木卓一論とは切り離して考えてみよう。
はっきり言えば、僕は嘉村由子を愛してなどいない。
あの人について僕の頭を占めているものなんて、すべて肉体と、そして猥らな空想だけだ。
つまり、あらゆる美女について考えるときと同じようにね。
僕はあらゆる美女の肉体が欲しいのだ。
嘉村由子は、その何千万分の一にすぎない。
結局、僕は一人の嘉村由子を諦める前に、すでに何千万人の嘉村由子を諦めざるを得ない状況にいるわけだ。
同時にまた、何千万人の美女を差し置いて、たった一人の嘉村由子にこだわる自分の滑稽さには、我慢がならないのだよ。
何千万人の嘉村由子の中には、容易に、あるいは金によって手に入れられる女が何人もいる。
一人の嘉村由子を忘れることは、追うことよりも不快なことではないんだ。
それに、一度気持ちの冷めかけた相手に対して、それを再び無理やり駆り立てられるような不自然な煽りにも、僕はうんざりしている。
しかも僕の情欲は、いつに限らず、また相手が誰であろうと、煽られれば常に再燃しうる状態にある。
僕の肉体は、極めて精神を裏切りやすいものなんだ。
その弱みに対して、無遠慮に口出しをされることは、僕にとってかなり腹立たしいことなんだよ」
木村重吉は一日中不機嫌な顔をして、同僚たちにもぶっきらぼうに応対していた。
その翌日のことだった。
木村重吉が卓一の机の前にやってきた。
彼はいつものように、机のふちに両手を突くことさえ忘れていた。
「編集長」彼は両手をだらりと下げて、ひどく落ち込んだ様子で呼びかけた。
「僕たち三人は、やっぱり温泉へ行くべきだと思うのです。
僕は一日中考えました。そして結論に達したのです。
どうしても、我々三人は、温泉へ行くべきである、と」
卓一は思わず両目を閉じた。
そして椅子に深くもたれかかった。
この執拗な怪人が立ち去るまで、決して二度と目を開くまい、と。
しかし数分後に目を開けると、木村重吉は、少しも乱れた様子を見せない、しょんぼりとした顔つきで、やっぱりそこに立っていた。
卓一は、すでに自分の意志とは無関係に、どうしても想像せずにはいられなかった。
湯の宿の一夜の情景を。
ひとつの白い肉体を。
その空想を断ち切ることは簡単だった。
しかし、空想の中に宿り始めた妖しい命の火は、殺しがたいものだった。
目の前に立つ執拗な男。
その人は決して愚鈍な人ではなかった。
批判精神も確立していて、しかも批判の対象と、自分自身の立場を、微塵も混同していない。
これほど明確なスタンスを持つ男が、かくも執拗であり得ることが不思議でならなかった。
行動を伴わない男女関係は、観念としても偽物だと言う。
そして由子の肉体を自由にしろと言う。
そこまでは話のわからないことではない。
甚だ深い好意に満ちた、ひとつの意志であることはわかる。
ひとつの意志はわかるけれど、その意志を持つ者の肉体は? 卓一は考えずにはいられなかった。
この執拗な意志と好意を持つ者の肉体とは? 言うまでもなく木村重吉の肉体だった。
しかし、想像してみろ。
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