初級翻訳・地底戦車の怪人 第11話

地底戦車の怪人

ああッ」
それからまたしばらくして、
「ううーん、ああッ」
そんなふうに五、六回繰り返しているうちに、彼の鼻が、小犬のようにクンクンと鳴り出しました。
「ああッ、ああッ、あーあ。……はて、俺はさっきまで一体何をしていたのかなあ。おや、これは妙だ。変な匂いがするぞ」
ピート一等兵は鼻をクンクン鳴らし続けました。意識よりも先に、鼻の感覚が戻ったようです。
「やっぱり、そうだ。このうまそうな匂いは、リンゴの匂いだ。俺はリンゴ畑に迷い込んだのかなあ。クンクンクン」
しばらくすると、彼はふと気がついて両目を開きました。
が、あたりは真っ暗でした。
「おや、真っ暗だ。はて、俺はこんなに真っ暗なリンゴ畑なんて聞いたことがないぞ」
そのうちに、彼はしくしくと泣き出しました。
「うん、わかった、わかったぞ。ここは冥途(めいど)なんだ。死後の世界なんだ。だからこんなに真っ暗なんだな。冥途は暗いところだと聞いたことはあったが、リンゴ畑まで真っ暗だとは驚いたもんだ。しかし、はてな、俺はなぜ死んでしまったのかな」
彼は腕組みをして考え出しました――というつもりでした。
実際にはそんなふうに感じていただけのことで、本当は腕組みも何もせず、死人同様に長々と伸びていたのです。
「そうだ、思い出したぞ。地底戦車がグラッと横に傾いたんだ。それで俺は驚いてハンドルにしがみついたはずだ。すると、とたんに体がスーッと浮き上がって、いやというほどゴツンと頭をぶつけてしまった。それっきり意識を失ったんだ。致命傷は頭だったはず……」
そのとき、ピート一等兵の手がようやく動くようになりました。
彼は右手を伸ばして、恐る恐る自分の頭に触れてみました。
ぐしゃり!
ぐしゃりとした感触が指先に伝わりました。
「あっ、いけねえ。脳みそに触っちまった。俺の頭は頭蓋骨が砕けて、ぐしゃぐしゃになっているぞ。ああ、情けない……」
ピート一等兵は、いきなり赤ん坊のようにワアワアと泣き出しました。
泣きながら、彼は脳みそでベトベトになった自分の手を鼻先に持っていきました。
とたんに、非常に驚いて泣きやみました。
「あら、怪しいな。俺の脳みそは、リンゴの匂いがするぞォ!」

   ああ十五個!

「いや、これでよくわかったよ」
ピート一等兵は、意外にも落ち着いた声で独り言を言いました。「昔から、親類の者や友人たちが俺を捕まえては、『お前はどうも脳がどうかしていて、頭が働かない。お前の脳みそはどこかおかしいんじゃないか』とよく言ったものだが――」
 そこで彼は大きなため息をつき、こう続けた。
「でも、まさか俺の脳みそが、リンゴでできているとは気がつかなかったね」
 もしそばでパイ軍曹がピート一等兵の独り言を聞いていたとしたら、軍曹から耳が鳴るほど叱り飛ばされたことだろう。
しかし今、パイ軍曹は叱り飛ばすどころではなく、意識を失って人事不省に陥っていた。これはピート一等兵にとって、はなはだ幸運なことだった。
「俺はへその緒を切ってから、こんなに驚いたことは初めてだぞ。しかし、このように脳みそがはみ出してしまっては、驚いたところで後の祭りだ。ええい、しようがない。こうなればやけくそだ。自分の脳みそを舐めてやれ」
 ひどい話である。
ピート一等兵は指先についたものを口元へ持っていき、舌でペロペロとなめ始めた。
「やあ、こりゃうまい。いやあ、すてきにうまいぞ。俺の脳みそは、まるで押しつぶされたリンゴみたいだ」
 そう言ったが、リンゴの味がするのも道理である。
実はピート一等兵、リンゴの袋の中に頭を突っ込んでいたのだ。彼は自分の脳みそだと思い込んでいたが、実際には自分の頭の下で押しつぶしたリンゴを指先ですくい取り、一生懸命「うまい、うまい」となめていたのである。
やがて彼もその事実に気がついた。指をなめたあと、手を頭のほうへ持っていくうちに、まだつぶれていないリンゴに手が触れたからだ。
「おやっ、こんなところに俺の脳みその塊が落っこちてやがる」
 脳みその塊ではない、本物のリンゴであった。
だが、彼はもうそんな区別はどうでもよくなっていた。彼はやたらにリンゴを食らった。次から次へと手を伸ばしてはリンゴを丸かじりし、腹の中におさめた。
合計十五個のリンゴを食べ終えたときには、さすがの彼も本当のことを悟っていた。これはリンゴであって脳みそではない、と。なぜなら、大きなリンゴが十五個も入るような脳など聞いたことがないからである。そんな大きな頭の人間だったら、自分の頭に陸軍制式の鉄帽がすっぽり入るはずがない。
理由はさっぱり分からないが、彼はたくさんのリンゴを食べたことをはっきりと自覚した。そして、元気を取り戻した。
そこで、ふらふらと立ち上がった。二、三歩歩いたとき、爪先で何か硬いものを蹴飛ばした。
「あ、痛っ!」
 とたんに、パッと車内に電灯がついた。
スイッチか何かを蹴飛ばしたらしい。彼は驚いて、急に明るくなった車内を見回した。
「あ、あ、あ、あッ!」
 ピート一等兵は、二度目の驚きに見舞われた。
驚くべき車内の光景!
 戦車は、天井と床が全くあべこべになっていた。操縦席が天井からぶら下がっているかと思えば、電灯が足元についているという騒ぎだった。
それよりも驚いたのは、上官であるパイ軍曹の姿だった。
彼は天井から塩引き鮭のように逆さまになってぶら下がり、気絶している。片方の足が操縦席にはまり込み、そのままぶら下がっているのだ。お世辞にも勇ましい格好とは言えなかった。
ピート一等兵は顔を向け替え、もう一人の人物、黄いろい幽霊の居場所を探し求めた。
ところが、黄いろい幽霊はどこへ行ったものか、見当たらない。
「おやおや幽霊め、とうとう妖怪変化の正体をあらわして逃げてしまったかな」
 そう言ってピート一等兵が独り言を言ったとき、彼の足元に一本の腕が転がっているのを発見した。電灯の反対側だったので、先ほどはよく見えなかったのだ。
「うわっ、こんなところに誰が腕を落としていったんだろう?」
 そう言ったとき、その腕が急にグーッと動き出した。
怪また怪!

   廻れ右!

「ひゃっ!」
 ピート一等兵はその場に飛び上がった。
元来、幽霊が大嫌いなピート一等兵だったから、驚くのも無理はなかった。だが、あまりに驚きすぎて前後も分からず飛び上がったものだから、大男の彼は嫌というほど頭を機械の角にぶつけ、「うーん」と目を回してその場に伸びてしまった。
どこまでも世話の焼けるピート一等兵だった。
グーッと伸びた一本の腕が、やがて床――ではなく、下になった天井を押さえた。
その腕の上に肩が生え、それから頭が生えた。
黄いろい幽霊の頭であった。
そこには黄いろい幽霊が倒れていたのだが、そそっかしいピート一等兵は、彼の一本の腕だけを見ていたのである。「しまった!」
彼はそう叫ぶと、跳ね起きました。そして、そこに落ちていた機関銃を拾い上げました。すぐさま銃を構えて、あたりを見回します。
「なんだ、みんなまだ気絶していたのか」
パイ軍曹は塩引き鮭のようにぶら下がっており、ピート一等兵は放り出された大根のように床に倒れていました。

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